妻子あるお客さんの子を妊娠したキャバ嬢
ある日中沢さんのもとにやってきたのは、既婚者のお客さんを本気で好きになってしまったキャバ嬢だった。「妊娠してしまった」と、中沢さんの前で顔を覆う。
きっと彼女は……「避妊してほしい」と言い出せなかったのだろう。大好きだからこそ受け入れてしまった。
でも、現実は残酷だった。妊娠を告げると、彼は、即、音信不通になってしまった。
名前は偽名。住所もわからない。彼女は、「わたし捨てられたんだ」と大泣きした。
「子ども、どうしよう……」と。
父親がいない子どもを産むのか? まだ……堕胎は可能な時期だった。中沢さんは、どうアドバイスしたのだろうか?
「『産んだほうがいい』とも『産まないほうがいい』とも言わなかったですよ。
彼女もそのときはたぶん、結論は出ていなかったと思います」
ただ、その夜は長い時間、ふたりでいろいろ話した。明け方、幾分すっきりした顔で帰っていったものの、それから彼女は一切姿を見せなくなってしまったという。
しかし2年後、別の街でばったりと再会を果たす。横には、小さな男の子がいた。
向こうも中沢さんに気づき、「あっ、ニュクスの……」とはっとした顔をする。中沢さんが「元気?」と声をかけると、いい笑顔で、大きくうなずいた。それで中沢さんは、じゅうぶんだった。
「まあ、どんなに心配でもね、待つしかないんですよ」
中沢さんは、そう言う。いくら心配でも、手を差し伸べたくなっても、カウンターの外に出ることはない。連絡先を交換することは自分に禁じている。もちろん、来なくなったからといって、探しに行くわけにもいかない。
それに、基本的には「頼りがないのが元気の証」なのだ。
残念ながら、ニュクス薬局に来ていたお客さんが命を絶ってしまうこともごくたまにある。そういうときには、処方箋をたどって警察から連絡が来て、その死を知らされる。
だから音沙汰がないときは、少なくとも生きてはいるんじゃないか、と思えるのだ。この街を卒業したのか、元気になったのか、わからないけれど。
いずれにしても、「生きてさえいれば」だ。
ホストとバーテンダー、気の合うふたり
開局して間もないころ、しばしば店を訪れる若いカップルがいた。
男性はホスト、女性はバーテンダーという、気さくな美男美女だ。
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