高句麗、百済を滅す
雄略二十年、高句麗王は大軍を起こして、百済を討ち滅ぼしました。
そのとき、わずかな残兵が、高床の倉の下に、身を寄せていました。兵糧はすでに尽きて、深く憂い泣いていました。そこで、高句麗の諸将は王に、
「百済の考えていることは、よくわかりません。私は、見るたびに戸惑ってしまいます。おそらく、また残党が蔓延するでしょう。どうか今、完全に排除してください」
と言いました。しかし、高句麗王は、
「それは良くない。聞いたところでは、百済は、日本国の官家※1として長い由来があるという。また、百済王が、日本の天皇に仕えることは、まわりの国々の知るところだ」
と言って、追撃しませんでした。
二十一年三月、天皇は、百済が高句麗に敗れたと聞いて、コムナリ(久麻那利)※2を百済王・モンス※3(汶洲)に与えて、その国を救い、再興させました。当時の人は皆、
「百済は、一族すでに亡んで、倉の下に集まって嘆いていたのを、天皇に頼って、またその国を再興した」
と言いました。