そうだ。今年中に造ってほしいのだ」 |第四章 三 四

織田信長の家臣・木村忠範は本能寺の変後の戦いで、自らが造った安土城を枕に壮絶な討ち死にを遂げた。遺された嫡男の藤九郎は家族を養うため、肥後半国の領主となった加藤清正のもとに仕官を願い出る。父が残した城取りの秘伝書と己の才知を駆使し、清正の無理な命令に応え続ける藤九郎──。戦乱の世に翻弄されながらも、次から次に持ちあがる難題に立ち向かう藤九郎は、日本一の城を築くことができるのか。

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 慶長四年十二月、鍬入れの儀も終わり、いよいよ隈本城の築城が始まった。

 外堀の掘削や城下町の整備と同時に行われるため、肥後国内の各地から働き手が続々と集まってきた。本来なら彼らは不満たらたらのはずだが、清正が治水と街道整備から行ったことで、「大恩ある御領主様の城を造ろう」という空気がみなぎっていた。

 彼らの生き生きとした顔を見て、藤九郎は「これならやれる」と確信した。

 藤九郎は現場ごとの進捗しんちよく報告を受け、材料配布の優先順位付けから夫丸の割り振りなどに日々、変更を加えていった。

 夫丸たちが慣れていないことから多少の計画の遅れはあったものの、どの現場も徐々に軌道に乗ってきた。

 年が明けて慶長五年(一六〇〇)四月、清正が上方から戻ってきた。実母の伊都いとが病床にしたと聞き、急いで帰国したのだ。

 帰国した清正は、藤九郎から進捗状況を聞きつつ様々な指示を飛ばした。清正は上方で流行している最新の築城法に精通しており、諸大名が新たに造り始めている城の数々の話を聞くことができた。それは縄張り面でも技術面でも役立つことばかりだった。

 数日後、藤九郎は清正に呼ばれ、その屋敷に伺候した。


 障子の外から「木村藤九郎、参上つかまつりました」と言うと、「来たか。入れ」という清正の野太い声が聞こえた。

 藤九郎が「ご無礼仕ります」と言って入室すると、何カ所にも置かれた短檠たんけいの灯が、部屋の中を昼のように明るくしていた。

 清正は藤九郎が描いた絵図面を見つめていた。

 その背後には、日蓮宗の仏壇が安置されている。仏壇の中央には本尊の三宝尊の掛軸が、左右には大黒天だいこくてん鬼子母神きしもじんの掛軸が飾られ、その前方に木像の日蓮上人が鎮座している。

 部屋の外の長廊まで、線香の匂いが漂ってきていたのは、清正が直前まで題目を唱える勤行ごんぎようをしていたからに違いない。

 藤九郎が礼式にのつとり、はるか下座に控えていると、清正が絵図面から視線を外さずに言った。

「ちこう」

 藤九郎が上段の間の段差近くまで膝行しつこうする。

「見事なものだな」

「何がでございますか」

「そなたの勘録よ。そなたはわしの見込んだ通り、いや、それ以上の城取りだ」

 藤九郎がうれしさのあまり、青畳に額をり付ける。

「そんな──、身に余るお言葉です」

「それで、この勘録通りに進んでいるのだな」

「はい。遅れは五日から六日ほどですが、三年という期間がありますから、いかようにも挽回ばんかいできます」

「そうか」と言って清正が腕を組んで瞑目めいもくする。

 ──何かある。

 清正の様子から、藤九郎はそれを察した。

「三年という期間を短くできないかと言ったらどうする」

「短くというと、どれくらいで」

 清正の顔が強張こわばる。

 ──まさか二年でやれとは言うまいな。

 藤九郎の肝が縮む。

「どれくらいと問われてもな。実は明日にも完成させてもらいたいのだ」

「さすがにそれは──」

「それが無理なのは分かっている。では──」

 清正の眼光が鋭くなる。

「年内と言ったらどうする」

「えっ、年内と仰せで──」

 藤九郎はわが耳を疑った。

「そうだ。今年中に造ってほしいのだ」

 藤九郎は啞然あぜんとして言葉が出ない。

 ──三年で造る予定のものを、一年どころか八カ月で造るなど無理な話だ。

「どうだ」

「いかなる事情があろうと、それは無理です」

「もちろん、この勘録通りとは行かないだろう。当初案の変更は致し方ないが、防御力は損ないたくない」

「いや、それは──」

 確かに計画を縮小すれば、形としてできないこともない。だが防御力を落とさないで、それを実現するのは不可能に近い。

 ──あらゆることを、やり直さねばならなくなる。

 しかもすぐにそれをやらないと、集まってきた夫丸たちを遊ばせることになる。

「わしがこんな無理を言うのには、理由がある。それを話さずに望みだけ言うのは、身勝手なことだった」

 清正の顔が苦渋に満ちる。

「実はな──、秀頼公の身が危ういのだ」

 藤九郎は息をのんだ。

 清正が落ち着いた口調で話し始めた。

 清正が肥後にいた九月七日、家康が重陽ちようようの節句の挨拶に大坂城の秀頼を訪問しようとした。その時、家康の暗殺計画が発覚した。主犯格の土方雄久ひじかたかつひさだけでなく、その母方の従兄弟いとこにあたる前田利長までもが関与を疑われた。これにより加賀征伐が現実味を帯びてくる。

 同月、北政所きたのまんどころ(秀吉の未亡人)が大坂城西ノ丸から京都に移る。入れ替わるように家康が大坂城西ノ丸に入り、諸大名に出兵の支度を命じた。

 だが畿内では、「家康が大坂を留守にした隙に、清正が上洛じようらく軍を発して大坂城に入る」というまことしやかな噂が広まっていた。しかし瀬戸内海せとないかいには、家康方の水軍大名が幾重にも配備されており、現実的な話ではない。

 むろん清正自身、前田利長にくみして挙兵するなど考えておらず、逆に秀頼の身の安全を図るため急いで上洛したものの、わずかな供回りだけだったので家康を安心させたほどだ。

 年末、仲裁に入った細川忠興の勧めにより、前田利長が権中納言ごんのちゆうなごんを辞した。これは戦意がないことを示すためで、実質的な降伏にあたる。これにより加賀征伐は中止となった。

「いずれにせよ、上方の情勢は予断を許さないものになってきている。それゆえわしは、いざという時に備えておきたいのだ」

「つまり、この城に秀頼様を迎え入れるのですね」

「そうだ。いつ何時、大事が起こるか分からない。だがこの地なら、徳川勢とその与党らがやってくるまで時を稼げる」

「となると、お迎えするとしても、すぐに籠城ろうじよう戦となるやもしれませんな」

 清正が力強くうなずく。

「そうだ。内府のことだ。五万から十万の大軍を率いてくるだろう。途次に毛利が降伏でもしたら、それ以上の兵力になる」

 加賀前田家が家康の前に膝を屈したことを考えると、そうした事態が起こることも十分に考えられる。

「殿は日本全土の大名を敵に回しても、秀頼様をお守りするご所存か」

 清正の顔が憤怒ふんぬゆがむ。

「答える必要もないほど下らん問いだ」

「ご無礼仕りました」

 藤九郎が平伏する。

「この清正、何があろうと太閤殿下のご子息は守り抜く。たとえ天地がひっくり返ろうと、この身が八つ裂きにされようと、不動明王ふどうみようおうと化して秀頼様を守り抜く!」

 己に言い聞かせるように、清正が覚悟のほどを語る。

 その背からは、まさに不動明王のようなほむらが沸き立つように思えた。

「もうよい。面を上げよ」

 清正の穏やかな声に促されて顔を上げると、清正は慈父のような顔つきになっていた。

「すぐに勘録を作り直せるか」

「いつまでに──」

「わしはいつ何時、上方に出向くか分からぬ。ただし母上のご病状も芳しくないので、しばらくは肥後にいるつもりだ」

「しばらくとは──」

「ずっといるかもしれんし、すぐに出立するかもしれん。ただ年内に城を造り上げるとなると、五日後くらいには出してもらわねばならん」

 藤九郎の頭の中では、すでに様々なことが動き始めていた。

「尤もなことです」

「むろん茶臼山の削平など必要な普請は続けさせる。新たな勘録ができるまで、普請作事を止めることはない」

 ──何をどう変えればよいのか、今は見当がつかない。だが、やらなければならない。

 藤九郎がはらを決めた。

「殿、しかと承って候」

「よし、頼んだぞ」

 ──これで後には引けなくなった。よし、やってやる!

 藤九郎は気合を入れ直した。

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この連載について

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もっこすの城 熊本築城始末

伊東潤

藤九郎、わしと一緒に日本一の城を築いてみないか――。 織田信長の家臣・木村忠範は本能寺の変後の戦いで、自らが造った安土城を枕に壮絶な討ち死にを遂げた。遺された嫡男の藤九郎は家族を養うため、肥後半国領主加藤清正のもとに仕官を願...もっと読む

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NigerTigris カッコイイとはこういうことだ。 約1ヶ月前 replyretweetfavorite