六
三成は百名余の武装した配下を引き連れ、険しい顔で門の前に立っていた。
「これは治部少、大儀」
清正がゆっくりと駕籠を降りる。
「主計頭殿、これはいかなることか!」
三成はその才気走った顔を赤くしていた。
「見ての通り、上様にお目通りいただこうと思うて罷り越した」
「上様はご多忙だ。何の前触れ(予約)もなく訪れた者とはお会いにならぬ」
「では問うが、貴殿は敵が城に迫っておる時に、前触れがないので会わぬと言うのか」
「敵が迫っているのか」
三成が顔色を変える。
「たとえ話だ」
清正が鉄扇をあおぎながら笑う。
「火急の用がない場合、不時登城でのお目通りは叶わぬ」
「それでは逆に問うが、向島に退いた内府の真意をいかに解く」
「それは──、公儀に対して畏まったからだろう」
「違うな」
そう言うと清正は、一歩二歩と三成に近づいていった。三成を取り巻く兵たちが身構える。
三成と一間(約一・八メートル)ほどの距離まで近づいた清正は、懐に手を入れると何かの巻物を取り出した。
「これが何だと思う」
「知らぬわ」
「徳川内府が上様にあてた書状だ」
三成が横柄に言う。
「分かった。では預かっておく」
三成が手を出したので、清正は持っていた巻物を引いた。
「そうはいかん。この書状は、わしの手から直に上様に渡すよう内府から申し付けられている」
「何だと──」
三成が口惜しげに唇を震わせる。
「ここを通してもらおう」
しばし考えた末、三成が答えた。
「いいだろう。だが、わしも同座させていただく」
「好きにしろ」
三成が兵を左右に分ける。
──これで殺されることだけは避けられた。
安堵からどっと汗が出た。だが隣に立つ又四郎は、平然とした顔で桜御門の造りを見つめている。
──世間知らずなのか。はたまた、わしよりも図太いのか。
又四郎は何かに熱中すると、ほかのことに配慮しないことがある。その点、次々と立ちはだかる難題を解決していく城取りのような仕事は、藤九郎以上に向いているかもしれない。
清正一行が本丸内に足を踏み入れた。
──ここが大坂城の中核部か。
本丸は東・北・西の三方が水堀で囲まれ、南部の表御殿地区と南西部の米蔵地区を基部にして半島状に北に延び、奥御殿地区が中央部に鎮座し、さらにその北の一段低い部分に、二之丸へと通じる山里地区が配されていた。
桜御門を入ってすぐ目に入るのは、壮麗な造りの表御殿だ。秀吉健在の頃、秀吉は表御殿で執務し、諸大名や奉行たちと政治向きの話をしていた。つまり表御殿は公的空間として使用されていた。
それが秀頼の代になると、公的なことも私的空間の奥御殿で行われるようになる。淀殿が秀頼を奥御殿から出したくないからだ。
三成が先導する形で表御殿の一間に通された清正一行は、ここで秀頼の「御成り」を待つことになる。
「藤九郎さん」と又四郎が小さな声で呼ぶ。
「何だ」
「本丸部分は東・北・西の三方が水堀ですが、西と南に空堀があります。どうしてでしょうか」
本丸の拡張部分のように造られた米蔵地区の西側は空堀で、また表御殿地区の南側も空堀だった。
「堀底の掘削が足りなかったのではないだろうか」
「というと──」
「掘ってみたが、地水が湧いてこなかったのだろう」
山城などでは、堀底が湧水層に達しにくいため空堀が多い。
「ははあ」と感心した後、又四郎は問う。
「天下人ともあろうお方が、水が出ないからといって堀の掘削をあきらめるでしょうか」
「そうだな。もう一つ考えられることは──」
藤九郎がためらいがちに言う。
「あくまで推察だが、敵に損耗を強いるため、あえて空堀にしたとも考えられる」
「どういうことですか」
「籠城戦はただ守っているだけではだめだ。空堀にすれば、そこに寄手は兵力を集中する。城方がそこを守る自信があるなら、あえて攻めやすくしておくのも手だ」
「なるほど、空堀で寄手に出血を強い、戦意を阻喪させるのですね」
「そうだ。そして城方が陣前逆襲を掛ける際も、空堀なら兵を一気に押し出せる」
籠城戦を自力で打開するには、陣前逆襲を仕掛けるしかない。その時、効果的に兵力を奔出させるためには、水堀よりも渡りやすい空堀の方がいい。虎口に桝形などを設けて狭くしている城ならなおさらだ。
その時、石田三成が現れた。
「お待たせいたした。上様は奥御殿でお会いすると仰せだ」
「取次苦労」
清正が横柄な態度で言う。それを苦々しい顔で見ていた三成は黙って先に立った。
表御殿と奥御殿をつなぐ井戸曲輪を経て、詰之丸御門を通った清正一行は、奥御殿の表口を入ってすぐの場所にある大広間に通された。
その途次、藤九郎らは詰之丸の北東隅に上げられた天守を子細に見ることができた。
──少なくとも二十間(約三十六メートル)以上はあるな。
天守の外装は、屋根には金箔瓦を使い、壁は鼠色の漆喰に黒い腰板をめぐらせている。その豪壮華麗さは比較する対象さえないほどだ。
──外観は五層の望楼型か。
天守には望楼型と層塔型の二種がある。望楼型は入母屋造りの屋根の上に望楼を載せたもので、層塔型は五重塔のような塔建築を発展させたものだ。大坂城は望楼型で、その後に続く聚楽第、肥前名護屋城、伏見城も望楼型の天守が築かれたことで、望楼型天守が豊臣家の標準のようになっていく。
大坂城の天守は外観五層・内部八階で、入母屋になっている一層目の上に層塔型の二層目を載せ、三層目を一層目と同じ南北方向の入母屋にし、その上に四層目と五層目から成る望楼を載せるという複雑な構造を取っている。そのためか初層は庇状に大きく搦手(北側)に出張り、地震による倒壊が起こらないよう配慮されていた。
指月伏見城や方広寺大仏殿の崩落など、地震に痛い目に遭わされてきたことから、秀吉は地震に強い城を望んだに違いない。
──この城は落とせない。
藤九郎の知識と経験がそう教える。藤九郎がいかに考えても、この城を落とすには士気の高い百万の軍勢が必要だと思われた。
──つまり十万程度の兵力では、この城を落とすことはできない。ただし本丸だけの裸城にすれば話は別だ。
そんなことを考えつつ畏まっていると、「御成り」という近習の高らかな声がした。
清正をはじめとする一行が深く平伏する。
「こちらへ」
三成に先導され、秀頼が座に着いたようだ。最後列にいる藤九郎の位置からでは、顔を上げない限り秀頼を仰ぎ見ることはできない。
「大儀」という秀頼のものらしき甲高い声がすると、清正が青畳に額を擦り付けた。
「上様におかれましては、ご気色も麗しいようで、何よりに存じます」
「そうだな」
秀頼を前にして、清正は明らかに硬くなっていた。
──それほど太閤殿下の遺児を、殿は大切に思うておるのだ。
その時、女性の声がした。
「それで主計頭、上様に何用ですか」
ちらりと見ると、秀頼らしき人影の横に女性が座している。
──淀殿だな。
「これはお袋様、ご無沙汰いたしておりました」
やはり秀頼の隣にいるのは、その生母の淀殿だった。
「挨拶は結構です」
「これは申し訳ありません。まずはこれを──」
清正が懐から出した家康の書状を近習が受け取り、淀殿に渡す。
それを黙読すると、淀殿が威厳のある声音で言った。
「内府に異心などないことは、ここにいる誰もが知っています」
「仰せの通り。内府も当初、『讒言などする者は放っておけ』と仰せでした。しかし加賀大納言(前田利家)まで内府を疑っておると聞き、身をもって赤心を示すため、伏見城から向島城にお移りになられたのです」
「内府にそこまでさせてしまったか」
淀殿が苦々しい顔をする。淀殿は家康を腫物のように扱っており、そこをつつくようなことをする三成らとは、決して一枚岩ではない。
「お袋様、心卑しき者たちにより、豊臣・徳川両家の絆が断たれようとしております」
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