蘭ちゃんへ
こんにちは!
またしても感染症が広がってきて、日本中に緊張感が出てピリピリと張り詰めています。それぞれが気をつけるしかできないとわかっているのだけど、飲食店を営む友人知人のことを考えると、とても苦しく、どうか偏った理不尽な困難がありませんようにと祈るばかりです。
蘭ちゃんも調子の良し悪しを繰り返しているようだけど、前回の日記の途中で「あ、なんか元気になってきた」とあって、よかったねーと画面の前でニコニコしました。
書くことが、深呼吸やストレッチのようになるのは、とてもいいね。わたしもそうできるといいなあ。
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わたしは、書くことが整理整頓の手段であることが多いので、いつも一度あたまを経由しています。感情を書くときも、心と直結ではなくて、俯瞰的な視点から観察して書いています。
そのせいか、「書けない」ときがよく訪れます。それはどういうときかというと、心を観察したくないときです。すべての文章ではなくて、自分についての文章が書けなくなるという意味なのですが、「書きたいけど書けない」とはちがい「書きたくない」という感じです。
そういうときに無理して書くと、思ってもいないことを表面的に書いてしまい「気持ち悪い」と感じてしまいます。
どんなときも自分に向き合い、心を観察して、どんな感情もすべて書くことができる人もいるのでしょうし、そんな人がきっと文章を書く仕事に向いているのだろうなと思います。
常に自分に向き合い続けるのは、わたしにはとても難しいです。覗き込んだらそこにどんな感情があるかわかっている、突いたら破裂して出てくるとわかっている、そういう状況になると、今それに向き合ってはいけない。ちょっと無視させてほしい。と思ってしまいます。
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感情に蓋をして閉じ込め、なかったことにしていると、自分が本当にどうしたいか出てこなくなって、感情がわからなくなってしまうということは、よく知っています。
わたしには子供の頃からそのクセがあったので、「本当はどうしたいのか?」を知るために、大人になってから時間をかけてすこしずつ蓋を剥がす作業をしてきました。
感情に蓋はしないほうがいい。でも、そこで感情に蓋をしなければならない理由もあったのだと思うのです。
過去のことを振り返ると、感情に蓋をして出さないようにするのは、何か他に大事にしなければいけないものがあって、そちらを優先するときでした。
たとえば「とにかくお金を稼がなければ」というときに「楽しいとか悲しいとかの感情に向き合っている場合じゃない」と後回しにするように。
もし、そこで蓋をしないで、すべての感情に向き合っていたら。お金を稼ぐことよりも、悲しい寂しい苦しい虚しいという感情を大事にしていたら。誤解を恐れずにいうと、生きてこられなかったと思うのです。
時間が経って、あとから「あのときはこうだったな」「こうすればよかったな」と考えて、過去を捉え直すことはできるし、そうして蓋を剥がすことはわたしにとってとても大事な作業だったけれど、やはり、その最中に向き合うのは無理だったと思います。
ただ、今は、若いときとはちがって「知らないうちに感情を閉じ込め、なかったことにする」のではなく、「今は他に大事なことがあってそれどころじゃないかから、ちょっとあとでね」と、しまっておく感覚です。
何がちがうのかというと、あたまの中をぐちゃぐちゃなままにしないで、箇条書きするように整理して、優先順位を決めて並べることができるようになったので、意識的に後回しにしているという点です。
わたしはシングルマザーという立場で、社会的に弱く、困る状況が多いこともあって、何歳になってもなお、かなり頻繁にあれこれ困っています。現実的にどうにかしないといけないとき、「感情を大事にするよりも他にやることがある」と割り切るのは、やはり必要なのです。
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