国を思う気持ちは、立場が入れ替わっても変わるものではない」|第二章 二一

織田信長の家臣・木村忠範は本能寺の変後の戦いで、自らが造った安土城を枕に壮絶な討ち死にを遂げた。遺された嫡男の藤九郎は家族を養うため、肥後半国の領主となった加藤清正のもとに仕官を願い出る。父が残した城取りの秘伝書と己の才知を駆使し、清正の無理な命令に応え続ける藤九郎──。戦乱の世に翻弄されながらも、次から次に持ちあがる難題に立ち向かう藤九郎は、日本一の城を築くことができるのか。

もっこすの城 熊本築城始末』好評発売中!

二十一

 蔚山城は明軍の大砲攻撃によって石垣などが崩壊し、短期間で修復するのは困難だった。そのため清正は蔚山城を放棄し、西生浦城への撤退を独断で決定した。結局、蔚山城が使用されたのは、籠城戦の開始から終わりまでの一カ月にも満たない間だけだった。

 ──城取りとは空しいものだな。

 内城の本曲輪から眼下の城を見下ろしつつ、藤九郎は感慨にふけっていた。蔚山城は内城を除いて明軍によって蹂躙じゆうりんされ、見るも無残な有様となっていた。

 ──それでも内城だけでも守り抜いた。

 無念の思いの中にも、藤九郎はわずかながらの達成感を感じていた。

「兄者、どうした」

 藤十郎が背後から声を掛けてきた。

「いや、この城を捨てることが無念でな」

「そのことか」と言って藤十郎もため息をついた。

「わしとて同じだ。せっかく丹精込めて造った城を、こんなに早く捨てることになるとは思わなかった」

「城とは百年以上使われるものもあれば、この城のように、たった一月ひとつきで捨てられるものもある」

「だがな──」と言って、藤十郎が天を仰ぐ。

「城は人のためにある。それゆえ、この城に運がなかったとは言えない。百年以上使われていても、さして人の役に立たない城もあれば、短くとも人の盾となり、十分に役割を果たしたものもある」

「たまには藤十郎もいいことを言う」

 二人は寂しげに笑った。

 ──われら城取りは、つい「人のための城」ということを忘れてしまう。あくまで城は人のためにあり、その役に立てば、十分に命を燃やしたと言えるのだ。

 藤九郎は手近の石垣に手を置き、心の中で「ありがとう」と声を掛けた。

「兄者、もはやわれらは、この城に来ることはあるまいな」

「おそらくな」

 それについては全く分からない。秀吉の思惑通り、今年の雪が解けた頃、漢城への侵攻作戦が成功すれば、再びこの城を取り立てることも考えられる。

「で、兄者、めぼしいものは、すべて運び出したのだな」

「ああ、もう何もない」

「では、火をつけてよいな」

 藤十郎の背後には、枯木を満載した荷車がいくつも連なり、夫丸たちが指示を待っている。

「ああ、頼む」

 そう言うと藤九郎は、天守に向かって深々と頭を下げた。

 藤九郎が内城を下りて舟入に向かっていると、退去の支度をしている足軽や夫丸たちが、口々に何か言いながら内城の方を指差している。すでに内城の建物が焼ける臭いは漂ってきていたので、それが何を意味するのか、藤九郎には分かっていた。

 藤九郎は振り向くことなく、舟入に向かった。


 撤退の支度をしていると、船着場の辺りが騒がしくなった。藤九郎がそちらに顔を向けると、狼の革で作った袖なしの上掛けをまとい、女真じよしん族が使うような毛皮靴を履き、革製のつばなし帽をかぶった男が、船から降りたところだった。

 ──まさか、嘉兵衛殿か。

 嘉兵衛はかつての傍輩たちに取り囲まれ、笑い合っている。

 藤九郎も嘉兵衛に会うべく駆け出したが、嘉兵衛は清正のいる陣所に向かったので、追うのをあきらめた。

 嘉兵衛の後ろ姿を見送り、仕事に戻っていると、清正の使番が呼びに来た。

 舟入の近くに清正は仮陣所を構えている。そこに駆けつけると、清正、嘉兵衛、金宦、そして援軍としてやってきた和田勝兵衛が、車座になって談笑していた。

「藤九郎、嘉兵衛が来たぞ」

 清正が空いている座に座るよう指示する。

「先ほど大手の辺りでお見掛けしましたので、後で挨拶しようと思っていました」

「藤九郎殿には危うい目に遭わせてしまい、申し訳なかった」

 嘉兵衛が頭を下げる。

「いや、それがしの方こそ、嘉兵衛殿を誤解しておりました」

「では経緯いきさつは、聞いたのだな」

「わしが話した」と金宦が言う。

「嘉兵衛殿、何も知らなかったとはいえ、ご無礼の段、平にご容赦を」

「そのことはもうよい。すぐに誤解は解けると思っていた」

 嘉兵衛は涼やかな笑みを浮かべていた。

 勝兵衛が涙ぐみながら言う。

「嘉兵衛と金宦のお陰で、この城に籠もった者たちは救われた。明や朝鮮軍の方にも、命を捨てずに済んだ者が多くいるはずだ」

「そうだな」と言いながら、清正が苦い笑みを浮かべる。

「だが追撃戦を行わなかったことは、太閤殿下の耳にも入るはずだ。帰国してから、わしは大目玉を食らう」

 清正が「やれやれ」と言った調子でため息をつくと、金宦が気の毒そうに言った。

「殿には、ご迷惑をお掛けすることになりますが、人の命には代えられません」

「その通りだ」

 清正が背後に合図すると、小姓が脇差を持ってきた。

「これは、わが秘蔵の名刀だ。これを嘉兵衛に下賜する」

「ははっ、ありがとうございます」

 嘉兵衛が片膝をついて、それを受け取る。

「金宦には扶持二百石を取らす」

「えっ、それは真で」

「もはや、この国にはいられぬだろう」

「はい。附逆とされた今、殿に従って日本に参るしかないと思っておりました」

「そうか。その覚悟ができておるならよかった。わが家中を支える柱の一つになってくれ」

「ああ、何とありがたい──」

 金宦が涙ぐむ。

 冷徹で意志堅固な金宦も、さすがに祖国を捨てることになり、心中穏やかではなかったのだ。

「して、そなたのことだ」

 清正が嘉兵衛に向かって言う。

「すでに布告した通り、いったん降倭になった者でも、もう一度わしに仕えたいという者がおれば、すべてを水に流して帰参を許す」

 清正は此度の戦いで降伏してきた降倭に対し、そういう布告を出していた。もちろん捕らえられた降倭は全員、清正に付き従うと誓っていた。

「殿、ありがとうございます」

 嘉兵衛が深く頭を下げた。

 ──嘉兵衛殿が帰参するのか!

 藤九郎はうれしくて飛び上がりたかった。

「嘉兵衛殿、よかった。共に日本に帰ろう」

 だが嘉兵衛は、わずかに笑みを浮かべると、首を左右に振った。

「帰るわけにはいきません」

「何を仰せか。殿が帰参をお許しになられたではないか」

 嘉兵衛の口の端に、寂しげな笑みが浮かぶ。

「それがしは降倭です。降倭になると決意した時、二度と日本に戻らぬ覚悟をしました」

「嘉兵衛」と声を掛けつつ、よろよろと勝兵衛が近づいてきた。

「共に帰るのではなかったか」

「それは叶わぬことなのです」

「何を申すか。首根っこをひっ摑んでも一緒に帰るぞ!」

この続きは有料会員登録をすると
読むことができます。
cakes会員の方はここからログイン

1週間無料のお試し購読する

cakesは定額読み放題のコンテンツ配信サイトです。簡単なお手続きで、サイト内のすべての記事を読むことができます。cakesには他にも以下のような記事があります。

人気の連載

おすすめ記事

コルク

この連載について

初回を読む
もっこすの城 熊本築城始末

伊東潤

藤九郎、わしと一緒に日本一の城を築いてみないか――。 織田信長の家臣・木村忠範は本能寺の変後の戦いで、自らが造った安土城を枕に壮絶な討ち死にを遂げた。遺された嫡男の藤九郎は家族を養うため、肥後半国領主加藤清正のもとに仕官を願...もっと読む

この連載の人気記事

関連記事

関連キーワード

コメント

Tweetがありません