十九
慶長三年(一五九八)の元日、藤九郎は嘉兵衛と共に連合軍の陣所に向かっていた。その道すがら、藤九郎は思い切って嘉兵衛に問うてみた。
「どうして、こんなことになったんですか」
「そのことか」
しばし考えた後、嘉兵衛が答えた。
「わしも好きで降倭になったわけではない。降倭になるくらいなら死んだ方がましだと思っていた。だがな──」
立ち止まった嘉兵衛が天を仰ぐ。
「わしは天命を覚った。この無益な戦いを早急に終わらせることが、天からわしに課せられた使命なのではないかと思ったのだ」
「使命と──」
「そうだ。わしのような一兵士が天命だの使命だの言っても、大げさに聞こえるかもしれん。それでも誰かがやらなければ、この地獄は続く。そのためには卑怯者のそしりを受けようとも、この地を静謐に導くために働こうと思ったのだ」
藤九郎に言葉はなかった。
──嘉兵衛殿は、嘉兵衛殿なりに苦しみ悩んだ末に決断したのだ。
「殿も、かように無益な戦を早くやめたいと思っている」
「それは真で──」
清正が豊臣家中きっての主戦派だというのは、誰もが知っていることだ。しかし嘉兵衛は、そうではないと言う。
「当初、殿はこの戦に乗り気だった。だがオランカイまで行き、この地が農耕に適していない不毛の地だと知り、この戦を続けても得るものがないと覚ったのだ。むろん多くの悲惨を目のあたりにし、この戦いを続ける意義を見失ったこともある」
「そうだったんですね」
藤九郎は、清正には清正なりの葛藤があることを知った。
「嘉兵衛殿は、これからどうするのです」
その問いには答えず、嘉兵衛が言った。
「あそこに見えるのが古鶴山だ。連合軍はあそこに陣を布いている」
二人の姿に気づいたのか、陣所の柵内から石弓を構える兵の姿が見える。
嘉兵衛が両手を挙げ、朝鮮語らしき言葉で何か言うと、門が開けられて中に招き入れられた。
「よくぞ参った。まず盃を取らそう」
対面に座す太った明将が盃を差し出す。
藤九郎は緊張を解すために、その大ぶりな盃を飲み干した。
「見事なものだ。倭人はかような時に、よく酒が飲めるものだ」
嘉兵衛が相槌を打つ。
「日本人というのは、死ぬと分かれば堂々としているものです」
「かような土工までそうだとはな。恐れ入ったわ」
二人の会話は、横にいる降倭の通詞が耳打ちしてくれる。
通詞は「城取り」と訳したが、明将の口調からは軽侮の念が読み取れるので、別の言葉を使ったと察せられた。
「わしが明軍を束ねる楊鎬だ」
「加藤家中の木村藤九郎秀範に候」
緊張のあまり、藤九郎は己の声が上ずっているのに気づいた。
「そなたが、あの城を築いたのか」
「はい。それがしが縄張りを描き、普請作事の指揮を執りました」
「見事なものだ。とくにあの石垣は大砲を撃ち込んでも崩れない。なぜなのだ」
「それには、いろいろな技があります」
楊鎬が腹を揺すって笑う。
「まあ、容易には教えてくれぬと思っていたが、教えてくれたところで、よく分からぬ」
──当たり前だ。
砲弾が撃ち込まれても崩れない高石垣を造る技術は、言葉だけでは説明できない。
基本的な構造も大事だが、石垣造りは微妙なところで細かい調整が必要で、紙に書き残せるものではない。その点については父も、「石の心を読め。さすれば自ずと、どこにどんな石を置けばよいか分かってくる」とだけ記していた。
──石とは収まるべきところに収めれば微動だにしないが、そうでないと騒ぎ出すということだ。
その言葉の意味を完全に理解するまで、藤九郎も時間が掛かった。
「なぜ、そなたを呼んだのか分かっているか」
そのことを藤九郎は聞かせてもらっていないので、嘉兵衛の顔を見た。
「この者には伝えていません」
「そうか。では申そう。今から降倭となれ。褒美は取らす」
通詞からその言葉を聞いた藤九郎は驚いた。
「私に降倭になれと──」
「そうだ。われらのために城を造れ。さすれば、そなたに一郡ぐらいは与えてやる」
──そういうことか。
ようやく己が呼ばれた理由を知った藤九郎は、きっぱりと答えた。
「降倭にはなりません」
「なぜだ。こちらに寝返れば、王侯貴族の暮らしが待っているのだぞ。城に戻れば、飢えと渇きに苦しみながら死を待つだけだ。それでもよいのか」
この時代、どの国の人間も愛国心や民族への帰属意識などなきに等しいものだった。だが日本の場合、島国ということもあり、多少なりとも国家への帰属意識がある。
「藤九郎殿、そなた次第だ」
その言葉を聞いた藤九郎は鼻白んだ。
「嘉兵衛殿、あなたは最初からこういう話をするために、私を呼んだのか」
「そうだ。あの城にいたら明日にも死ぬ。昔の誼で、そなただけでも救えぬかと思うてな。わしの鉄砲技術と同様に、そなたのような城取りはこちらにいない。それゆえ大禄が食める。悪い話ではないと思うのだが」
「呆れたな。かつての友を降倭に誘うとは」
「そうではない。これは、そなたが決めればよいことだ。すぐに返事をしろとは言わない。ゆっくりと考えたらどうだ」
「何だと。つまり私をここに拘束するのか」
楊鎬が腹を抱えて笑う。
「そなたが地獄に帰りたければ帰すだけだ。煮えたぎった鍋の中で死ねばよい」
嘉兵衛が口を挟む。
「楊鎬殿、お待ちあれ。籠城衆が城を捨てて去るなら、攻撃を仕掛けぬという条件で和談を進めるということで、よろしいですな」
「ああ、それで構わぬ。三日のうちに城を出るよう、清正に伝えろ」
「そんなことを急に言われても、それがしの一存では決められません」
「こちらの知ったことか。一月三日まで待つ。それで城を出なければ皆殺しだ」
楊鎬が吐き捨てるように言う。
「それでは、わが主にそう伝えます」
藤九郎には、そう答えるしかない。
「それでよい。もう一度聞くが、われらの国で働く気はないか。そなたの技術を明国に広げていくというのも、土工としての夢ではないか」
楊鎬の言葉が一瞬、胸を打った。
──確かに、ここで死ぬぐらいなら、その方がどれだけよいか。
だが藤九郎には、武士の誇りもあった。
──異国の王のために城が造れるか。わしの技は技を広げるためにあるのではなく、多くの兵や民を救うためにあるのだ。
「城は戦うためにあらず、民を守るためにある」
その言葉を、藤九郎は長らく「当たり前のことではないか」と思ってきた。だが、今なら父がその言葉を書き残した理由が分かる。
──父上は、守るべきは民の命、民の財産、民の暮らしだと言いたかったのだ。
「これが最後だ。悪いようにはせぬ」
「藤九郎殿、ここに残った方がよい。生き長らえれば、いくらでも城が造れるぞ。財を成して安楽な暮らしも営める。ここに残るだけで、夢はすべて叶うのだ」
嘉兵衛が笑みを浮かべて誘う。だが藤九郎は首を左右に振った。
「わが父は同じ状況で、主の信長公が築いた安土の城に殉じました。私がここで主を裏切れば、父の顔に泥を塗ることになります」
「そうか」と言って嘉兵衛が俯く。
「それなら仕方がない。苦しみ抜いて死ぬがよい。この男と一緒にな」
楊鎬が部屋の外に向かって「よし、連れてこい」と命じると、二人の兵士に腕を取られ、猿轡をされた男が、背を押されるようにして現れた。
「まさか。金宦殿か──」
楊鎬が得意げに言う。
「ああ、その通りだ。この附逆も城で死ぬことになる。わしは、ここで見せしめのために殺すつもりでおったのだが、城に入れて殺した方が見せしめになると嘉兵衛が言うのだ。確かに倭城は、附逆のような犬の死に場所にはもってこいだ。それで城に戻すことにした」
「嘉兵衛殿は戻らぬのか」
「嘉兵衛はここに残る」
「何と卑怯な──」
藤九郎が憎悪の籠もった視線を嘉兵衛に向ける。
「わしのことはもう忘れろ。わしは降倭だ。もはやこの地で生きていくしかない」
「私は、あなたのことを見損なっていた」
「何とでも言えばよい。わしの気持ちは、そなたには分からぬ」
嘉兵衛が寂しげに苦笑いする。
「あなたは、それでも武士なのか」
楊鎬がうんざりしたように言う。
「もうよい。連れていけ」
藤九郎が兵士に腕を取られて立たされる。
「嘉兵衛殿、この恨みは忘れぬぞ」
「ああ、ずっと覚えておけ。これが運命なのだ」
嘉兵衛が涼やかな笑みを浮かべる。
この後、金宦は猿轡をされたまま、藤九郎と共に蔚山城に戻された。
藤九郎の報告を聞いた清正は、「分かった」とだけ答え、それ以上のことは何も言わなかった。
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