いろいろあったが、まだ命をつないでおる」| 第二章 十八

織田信長の家臣・木村忠範は本能寺の変後の戦いで、自らが造った安土城を枕に壮絶な討ち死にを遂げた。遺された嫡男の藤九郎は家族を養うため、肥後半国の領主となった加藤清正のもとに仕官を願い出る。父が残した城取りの秘伝書と己の才知を駆使し、清正の無理な命令に応え続ける藤九郎──。戦乱の世に翻弄されながらも、次から次に持ちあがる難題に立ち向かう藤九郎は、日本一の城を築くことができるのか。

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十八

 ──喉が渇いた。ああ、水が飲みたい。

 口の奥から喉にかけて渇ききっているためか、うとうとしていると、息が詰まって目を覚ましてしまう。だが起きたところでつばも出ず、苦しさは募るばかりだ。

 蔚山城内には水源も水甕みずがめもなく、渇きを潤す雨も降ってこない。それでも動ける者は雑草を根からむしり、根をかじっては吐き出している。根には水分があるからだ。しかし皆が同じことをするので、その雑草さえ、もはやわずかしか残っていない。

 先ほどまで「水をくれ」とうめいていた負傷兵が静かになったので体を揺すると、すでに息絶えていた。周囲には、生きているのか死んでいるのかさえ分からない者たちが所狭しと身を横たえ、「助けてくれ」「けえりてえよ」といった声を絞り出している。

 ──ああ、日本に帰りたい。

 たつや又四郎の笑顔が目に浮かぶ。

 ──だが、おそらく帰れないだろう。すまなかった。

 藤九郎は心中二人に詫びた。

 この地に来た時から死は覚悟していた。だが飢えと渇きに苦しみながら死ぬことになるなど、思ってもみなかった。

 しかし痛手を負っているのは、籠城する日本軍だけではなかった。

 藤九郎たちは知る由もないことだが、寄手の明・朝鮮連合軍も甚大な損害をこうむっており、惣懸りを掛けられる状態になかった。

 それでも十二月二十五日、明・朝鮮連合軍は、最後の力を振り絞って攻撃を掛けてきた。

 しばし砲撃を行い、日本軍がひるむのを見計らい、韃靼兵ら異民族部隊が石垣に取り付く。彼らは退却すれば明軍に殺されるので、命を捨てる覚悟で突撃してくる。そのため日本軍の鉄砲攻撃をまともに受け、死傷者で堀は埋め尽くされるほどだった。

 そうした光景は至るところで見られ、まさに地獄絵図が繰り広げられていた。

 それでも明軍は力攻めをやめない。その攻撃の苛烈かれつさは、日本軍に鉄砲の弾を使い切らせ、死傷者の山で堀を埋め尽くそうとしているかのようだった。

 轟音が鼓膜をつんざき、まともに話ができない中、藤九郎たちも必死の思いで鉄砲や焔硝を前線に運んだ。

 日本軍の必死の防戦に、さしもの連合軍も夕方には疲弊し、兵を引いていった。

 翌二十五日は朝から雨となり、水不足で困っていた日本軍を潤した。

 慶念によると、兵たちは「日本は神国なれば、あわれみの雨を降らして人を潤す」と言い合い、感涙にむせんだという。

 一方、明将は、働きの悪い朝鮮軍に乾柴からしばを積んで火攻めにするよう命じた。

 これを受け容れざるを得ない朝鮮軍司令官は、まず降倭に乾柴を背負わせて城際まで迫らせた。その上で、後方から火矢を射掛けて背負った乾柴に火をつけるので、慌てた降倭は城際まで走っていく。しかし雨で火が消えてしまい、そうこうしているうちに、日本軍の鉄砲攻撃によって次々と斃されるということが繰り返された。

 降倭の無残な姿は日本軍将兵の目に焼き付けられ、この戦い以後、降倭の数は減っていく。

 だが雨はこの日一日だけで、翌日から城内の水不足は再び深刻化した。常の籠城戦なら、城内に甕や樽といった貯水できる器があるのだが、今回のように、でき上がったばかりの城にそうした備品はなく、せっかくの雨水を十分に貯めることができないのだ。

 そのため、渇きに耐え切れなくなった日本軍の雑兵が夜間に城を抜け出し、太和江や東川に川水を汲みに行くのだが、次々と捕らえられて殺されるか降倭とされた。これを知った清正が夜間の水汲みを禁じたため、城内にいる者たちの渇きはいっそう激しくなった。

 明軍は降倭を優遇するよう朝鮮軍に命じたので、降倭とされた日本兵は紅色の将校服を着せられ、駿馬しゆんめに乗って堀際を走らされた。降倭が厚遇されていることを示し、さらなる降倭を誘うための策だ。だが乾柴の一件があったので、その効果はなきに等しく、進んで降倭となる者はほとんどいなかった。

 二十七日は、ひようが降るほど寒気が厳しく、飢餓と疲労から凍死する兵や夫丸も出始めていた。

 この日は連合軍も攻撃どころではなく、身を縮めて一日を過ごした。

 二十八日と二十九日も、みぞれの降る厳しい天候だった。

 二十九日、加藤水軍が西生浦から救援にせつけるも、太和江河口を強行突破しようとした際、河口を封鎖した明水軍と砲戦となり、撤退を余儀なくされた。

 これに勢いを得た明将たちは、異民族兵や朝鮮軍に再び火攻めを試みさせるが、二十五日同様、容赦ない鉄砲攻撃に晒され、屍の山を築くだけだった。

 それでも日本軍の鉄砲攻撃は次第に衰えを見せていた。玉薬や焔硝が底を尽き始めていたのだ。

 日本軍は凍りついた衣服を解かしてその水をすすり、馬を殺して食べ、敵方の砲撃で焼けた兵糧まであさった。こうしたことから蔚山城の日本軍には、厭戦気分が漂い始めていた。

 ところがこの頃、西生浦城には、黒田長政、蜂須賀家政はちすかいえまさ、毛利秀元ひでもと、鍋島直茂ら一万三千の部隊が集結していた。西生浦に待機していた加藤勢八千と合わせ、二万余の救援軍が編制され、蔚山城に向けて進軍を開始した。


「木村殿、殿がお呼びだ」

おお晦日みそか、水のように薄いかゆをすすっていると、清正の近習が藤九郎を呼びに来た。

「はい、すぐに参ります」と返事をしたものの、疲労から立ち上がれない。

「兄者、食べてから行け」

「もうよい。おぬしが食べろ」

「いいのか。いただくぞ」

わんの底に少し残った粥を、藤十郎がすする。

「兄者、殿から何か命じられても、夫丸たちは動けんぞ」

「分かっている。わしも動けん」

 藤九郎は足を引きずるようにして清正の許に向かった。

「おう藤九郎、大儀であった」

「すぐに駆けつけられず、申し訳ありません」

 正面に座る清正の顔にも、憔悴しようすいの色が浮かんでいる。清正は「兵が飢えておるのに、わしだけ飯を食べられるか」と言い、兵と同じ薄粥を食べているという噂だった。

 そこには、清正と一人の男が対座していた。男は背を向けているので、顔までは分からないが、朝鮮兵の服を着ているので使者だと分かる。

「藤九郎、驚くなよ」

 清正が背を向けている男に顎で促す。

「藤九郎殿、久しぶりだな」

 その顔を見た藤九郎は愕然とした。

「ま、まさか」

「驚いたか」

「嘉兵衛殿、生きておられたのか!」

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もっこすの城 熊本築城始末

伊東潤

藤九郎、わしと一緒に日本一の城を築いてみないか――。 織田信長の家臣・木村忠範は本能寺の変後の戦いで、自らが造った安土城を枕に壮絶な討ち死にを遂げた。遺された嫡男の藤九郎は家族を養うため、肥後半国領主加藤清正のもとに仕官を願...もっと読む

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NigerTigris いやぁドキドキするな。 約2ヶ月前 replyretweetfavorite