そのおかげで、この城に入ることができた」|第二章 十七

織田信長の家臣・木村忠範は本能寺の変後の戦いで、自らが造った安土城を枕に壮絶な討ち死にを遂げた。遺された嫡男の藤九郎は家族を養うため、肥後半国の領主となった加藤清正のもとに仕官を願い出る。父が残した城取りの秘伝書と己の才知を駆使し、清正の無理な命令に応え続ける藤九郎──。戦乱の世に翻弄されながらも、次から次に持ちあがる難題に立ち向かう藤九郎は、日本一の城を築くことができるのか。

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十七

 北方から蔚山城に迫った明・朝鮮連合軍五万七千は、南側の太和江方面を除いた三方から城を包囲した。城から太和江までは四半里もないが、葦が茂っているだけの湿地帯なので、この方面から太和江を渡河するのは不可能に近い。それゆえ連合軍は、南を除く三方面に包囲陣を布いたのだ。

 明軍の砲撃は、これまでの敗戦の鬱憤うつぷんを晴らすかのように凄まじかった。

天字銃筒てんじじゆうとう・大将軍砲・仏狼機砲ふらんきほう震天雷しんてんらいといった強力な火器を装備した明軍は、鉄砲を主武器とする日本軍とは比べものにならないほど遠方から砲撃を試みてくる。

 天字銃筒に至っては六町(六百メートル強)前後の射程を持っており、欧州も含めて当時、最強の火器だった。むろん砲弾は広範囲な殺傷力を持つ炸裂弾さくれつだん榴弾りゆうだんではないため、着弾地点付近にいない限り脅威ではないが、着弾の際の破壊力は、城に籠もる者たちの恐怖心を呼び覚ますのに十分なものがあった。しかも明軍はこの時、六万九千斤と言われる火薬を運び込んでいた。これだけあれば、大きな都市の一つを更地さらちにできる。

 明軍は日本軍が反撃できない距離から砲撃を開始し、城壁を破壊し、前衛を担わせた異民族部隊を駆り立てて城を制圧する戦法を取っていた。

 しかも二千余の日本軍に対して、連合軍は五万七千もいる。これでは「寄手の三分の一の兵力があれば城は守れる」という城郭攻防戦の定理も崩れる。

 瞬く間に外郭部分を破られた日本軍は、内城に逃げ込んだ。一方、敵は内堀に張られた水によって、それ以上接近することができないでいた。ぎりぎりのところで堰堤を破壊できたことが幸いしたのだ。

 それでも日本軍が追い込まれたことは間違いなく、どこまで籠城戦を完遂できるかは分からない。しかも季節は厳冬期を迎え、着の身着のままで内城に逃げ込んだため、西部洞にある食料倉庫から何も運び出せなかった。それだけならまだしも、内城に井戸を掘っていなかったため、今後の水不足も思いやられた。

 やがて天地が覆るほどの砲声が轟き、大地を揺るがすような砲撃が始まった。夫丸たちは身を寄せ合い、恐怖に震えている。

 藤九郎は夫丸たちを叱咤しつたし、前線から怪我人を後方に運び、手当てをした。

 やがて二十二日の日が沈んだ。敵は日本軍を内城に追い込んだことで安心したのか、一気に攻め寄せることはなく、城を包囲して夜を明かし、翌日に総攻撃を掛けることにしたらしい。

 敵は雲霞うんかのごとき大軍で、この状況を籠城衆だけで乗り切ることは不可能に近い。つまり外にいる日本軍の助けを借りないことには、事態を打開することはできない。

 この時、太田一吉を看病する従軍医の慶念きようねんは「もし唐人からびとが城を攻め崩したら、めでたく往生を遂げる」と書き残している。

 厳しい寒さの中、最初の夜を迎えた。いぬの刻(午後八時頃)、昼間の疲れから藤九郎がうとうとしていると、何やら騒がしい空気が伝わってきた。

「兄者、何かあったようだ」

 目を開けると、藤十郎が肩を揺さぶっている。

「何かとは何だ」

「わしにも分からん。とにかく行ってみよう」

 藤十郎を従え、藤九郎は皆が走っていく方に向かった。

 本曲輪の一角には人だかりができていた。人垣の間から顔を出した藤九郎は啞然とした。

「殿が、なぜここに──」

 藤九郎は言葉を失った。

 清正は浅野幸長と宍戸元続と一緒に床几に座り、歓談していた。

 人垣をかき分けて藤九郎が進み出る。

「殿、いったいどうして──」

「おう、藤九郎か。助けに来たぞ」

「よくぞ、ここまで──」

 あまりのことに、その後の言葉が続かない。

「そなたが決死の覚悟で内堀に水を通したと聞いた。そのおかげで、この城に入ることができた」

「いったい、どういう経緯いきさつで──」

 清正によると、今日が城の引き渡しのため、蔚山城に向かうべく準備を進めていたところ、夕刻になって蔚山城から使者が入り、危急を知らせてきたという。

「それでいらしたのですか」

「ああ、急だったので、二十人ばかりの小姓と近習だけしか連れてこられなかったがな」

 清正が平然と言う。

 実際にこの時、清正に付き従ったのは小姓十五人、使番五人、足軽と船手衆三十の、わずか五十人余だった。

「でも殿は、どうやってここまでいらしたのですか」

「関船一艘なら敵にも見つからないと思い、ここまでやってきたのだが、もしも内堀に水が引かれていなかったら、わしは舟入付近で立ち往生し、討ち取られていたことだろう。またしても、そなたに救われたのだ」

「ああ、何たるお言葉──」

 藤九郎が地面に額を擦り付ける。

「しかも、わしがこの城に入れば、西生浦城に残してきた家臣たちは死に物狂いで後詰に駆けつける。そうなれば、釜山にいる諸大名もそれに続くだろう」

 無謀な行為にも、清正なりの計算があったのだ。

「すなわち、わしがこの城に入ることで、この城が見捨てられることはなくなる」

「ありがとうございます」

 幸長と元続が頭を下げる。

「後詰は間もなくやってくる。われらは、それまでこの城をどう守るかだ」

「実は、この城で長期の籠城をするのは、極めて困難なのです」

 幸長が言いにくそうに言う。浅野長政の息子の幸長は弱冠二十二歳の若武者だ。実は出陣前、清正は幸長の父の長政から、「くれぐれもせがれのことを頼む」と依頼されていた。その約定もあり、清正は捨て身の入城を果たしたのだ。

「どういうことだ」

「実は城内には、すまし(飲料水)や食い物はおろか玉薬さえ十分に残っておりません。この城の周囲には川が多く、すましに事欠くことはないと思っておりましたが、城を三方から囲まれ、水場への道も断たれたことで、城内に貯めた数日分の水で凌ぐしかないのです」

「井戸はどうした」

「まだ掘っておりません」

「太和江のある南は包囲されていないようだが」

「そちらは腰まで沈むほどの泥湿地が広がっており、水を汲んでくるのは至難の業です」

「兵糧は十分にあったはずではないか」

 それには元続が答える。

「加藤殿が大量の兵糧と共に入城すると聞いていたので、食べ尽くしてしまったのです」

「何たることか」

 天を仰いだ清正だったが、すぐに気を取り直した。

「どうやら厳しい籠城戦になりそうだな。皆、後詰が来るまで最善を尽くそう。それで水と食い物がなくなれば、城を打って出て死ぬまでだ」

 清正が悠揚迫らざる態度で言い切る。

「では城内を見回る」

 清正が立ち上がる。それに付き従おうとした藤九郎だが、清正は一人の男を指し示した。

「藤九郎、そなたに頼みがある。この男に言い含めておいたので、話を聞いてやれ」

 それだけ言うと、清正は幸長らに先導されて城内の巡検に出かけた。

 男がたどたどしい日本語で言う。

「殿から、あなたに力を貸してもらうよう言われました」

 その口ぶりといい、服装といい、明らかに現地人だ。蔚山城には五百人を超える現地人がいるので、とくに珍しいことではないが、男は片言の日本語を話す上、着ているものの質がよいので、学識階級だとすぐに分かる。

「あなたは、いったい誰ですか」

「この国の者です。ゆえあって加藤家に仕えています」

 ──附逆ふぎやくか。

 附逆とは日本軍に協力する高麗人のことだ。その逆に、朝鮮側に降伏した日本人を降倭という。

 男が附逆と知った藤九郎は、男のことを軽蔑けいべつする気持ちが働いた。

「それは分かったが、わしはただの城取り、つまり城を造る者だ。何に力を貸すのだ」

「今この城には、五百人ほどの高麗人がいます。彼らを解放するよう殿にお願いしたところ許されました」

 男は、身振り手振りを交えてつたない日本語で言う。

「で、わしに何をしてほしいのだ」

「彼らを解放するには、どこかの城門を開く必要があります。その時に敵を内部に入れないようにしろと、殿から命じられております」

「だが、それは武将のやることではないか」

「敵を防ぐのは武将ですが、引橋を作るのは、あなたの仕事と聞きました」

 ──そういうことか。

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もっこすの城 熊本築城始末

伊東潤

藤九郎、わしと一緒に日本一の城を築いてみないか――。 織田信長の家臣・木村忠範は本能寺の変後の戦いで、自らが造った安土城を枕に壮絶な討ち死にを遂げた。遺された嫡男の藤九郎は家族を養うため、肥後半国領主加藤清正のもとに仕官を願...もっと読む

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NigerTigris 読んでるだけで鳥肌が立ったのは久々かもしれない。そしてどんどん清正ファンになってしまう。 約2ヶ月前 replyretweetfavorite