いや、違う。鉄砲の音ではない。あれは──」|第二章 十六

織田信長の家臣・木村忠範は本能寺の変後の戦いで、自らが造った安土城を枕に壮絶な討ち死にを遂げた。遺された嫡男の藤九郎は家族を養うため、肥後半国の領主となった加藤清正のもとに仕官を願い出る。父が残した城取りの秘伝書と己の才知を駆使し、清正の無理な命令に応え続ける藤九郎──。戦乱の世に翻弄されながらも、次から次に持ちあがる難題に立ち向かう藤九郎は、日本一の城を築くことができるのか。

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十六

 蔚山は慶尚南道の東南端に近い位置にあり、東は二里半で海に、南は太和江の支流の東川トンチヨンに面しているという場所で、朝鮮半島東南部の海陸交通の要衝だった。

 太和江は城の南側を東流し、そこから枝分かれした東川が、城の東側を北流している。つまり蔚山城は、南と東に外堀代わりの川が流れているという築城に適した地だった。

 現地に先乗りしていた宍戸元続は蔚山の築城予定地を占拠し、加藤家の築城奉行が縄張りを描くのを待っているという。

 藤九郎は急いで蔚山に向かったが、その途次に渡った太和江の川幅には度肝を抜かれた。

 ──これでは海と変わらん。

 太和江は朝鮮半島南部一の大河で、この川の北岸にある蔚山への物資の補給は困難が予想された。

 舟は太和江から東川に入り、ようやく蔚山の地に着いた。

 ──見たところ、高さは二十八間(約五十メートル)ほどか。

 三つの頂を持つその丘は東川に向かってなだらかに傾斜してきており、どれもさほどの高さがない。その点は西生浦城に近い地形をしている。

 ──これなら内城からさほど離れていない位置に舟入を築ける。

 選地した宍戸元続の目は確かだった。

 早速、元続の陣屋に入ると、元続は大いびきをかいて眠っていた。

 取次役の近習が「加藤家から城取りが派遣されてきました」と告げると、元続は大儀そうに起き上がった。

「ようやく来たか」

「はい。加藤家中の木村藤九郎と申します。お疲れのところ起こしてしまい、申し訳ありません」

「いや、構わん。実は選地したのはいいが、この辺りは義兵を装った盗賊が多い。夜を徹して急ごしらえで堀をうがち、阻塞そそくを築いていたので、昨夜は寝ていないのだ」

 元続は何日もひげをそっていないのか、顔中に剛毛が生え、唇も干からびている。

「何なら、ご案内は後でも構いませんが──」

「いいのだ。一刻も早く城を築かねばならん」

 元続が大あくびをしながら手足を伸ばす。そこにたらいを二つ持った小姓が現れた。

 水が飛び散るのも構わず、元続が顔を洗って口をそそぐ。

「それでは案内しよう」

 元続の案内で、東川河畔から小丘にかけて藤九郎たちは歩いた。

「石切り場は見つかりましたか」

「ああ、半里ほど奥によき山があった」

 それを聞いた藤九郎は安堵した。

「ざっと見たところで構わぬが、惣構に造る堀と石塁の総延長はどれほどになる」

「目分量ですが、千四百間(約二・五キロメートル)余かと」

 後に判明するが、実際の総延長は千四百三十間となる。

 ──西生浦城と同等の大きさの城だ。

 丘の頂と舟入を惣構内に取り入れねばならないので、国内に築く城と異なり、どの城も面積が大きくなる。

「そこまでの城を築くとなると、年内には無理だろう」

「仰せの通りです。惣構を全面石垣にするのは来年になるでしょう。まずは堀と土塁を回して城としての体裁を整えてから、順次石垣に換えていきます」

 実地検分することで、様々な物事が整理されてきた。

「内城と舟入の間はかなりあるが、どう思う」

「内城を西端とし、このあたり──」

「そこは西部洞ソブドンと呼ばれている」

「ここを兵の駐屯地としましょう。それで東端の東部洞トンブドンに舟入を守る曲輪を築くのです」

「あそこはどうする」

 元続が北方を指差す。そこには蔚山城の予定地よりも、やや高い丘があった。

「あれは厄介ですね」

「あそこは龍城洞リヨンソンドンと呼ばれている」

「敵に取られると、まずいですね」

「ああ、恰好かつこうの陣地とされ、城が砲撃される」

「それでは出城を築きましょう」

 藤九郎は、背後に控える藤十郎の持つ手控えに次々と絵を描いていった。

 ──何とかなりそうだ。

 少し歩いただけで、藤九郎は「いい城が築ける」という手応てごたえを摑んだ。

 翌日、藤九郎は元続の考えを入れた縄張りを描いた。その写しを急ぎ清正の許に送り、清正と三宅角左衛門の承認を得て、いよいよ蔚山城の普請が開始される。

 今回の普請作事を担当するのは、先乗りしていた宍戸元続と浅野幸長よしながの部隊だ。というのも、加藤家の夫丸たちは西生浦城の築城で疲れ切っていたからだ。

 しかし蔚山城は加藤勢の駐屯する城となるため、縄張りだけは加藤家が担当するという変則的な態勢になった。

 藤九郎は山頂部を広く削平して本曲輪とし、その周囲に大小の曲輪を配する、いわゆる梯郭ていかく式の縄張りとした。また西部洞との間に堀をうがち、城の中核部(内城)の防御力を強化させた。また出城となる東部洞の微高地にも曲輪を築き、そこだけで独立した戦いができるようにした。

 さらに少し離れた龍城洞にも出城を築き、堀を伴った長塁を築くことで、そこで敵の侵攻を少しでも食い止められるようにした。

 藤九郎は、いつものことながら八面六臂はちめんろつぴの活躍で石切り場と蔚山の間を行き来し、必要な石を切り出していった。

 瞬く間に時は過ぎ、十二月になった。

 全員が必死に働いたこともあり、蔚山城は完成に近づき、二十二日の引き渡しの儀を待つばかりとなっていた。


 二十二日の早朝、藤九郎と藤十郎の兄弟は、清正の目に付きそうな箇所を検分し、不十分なところは応急処置を施すよう命じて回った。

「兄者、あとは惣構堀と内堀に水を引き込むだけだ」

「ああ、東川との間を仕切っている水止め用の堰堤えんていを切り、惣構堀と内堀に水を流し込む。それでこの城は完成だ。よくぞ年内に終わらせられたものよ」

 二人は堰堤に向かって歩きながら、残る段取りを語り合った。

 蔚山城の経始が終わったのが十月末、普請が開始されたのは十一月初旬、そして今日が引き渡しの儀となった。むろん全面に石垣を施したわけではなく、予定していた普請もすべて済んでいるわけではないが、この規模の城をこれだけの短期間で築けたのは、信じ難いことだった。

「これも兄者の段取りがよかったからだ」

「いや、皆が力を合わせてくれた賜物たまものだ」

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もっこすの城 熊本築城始末

伊東潤

藤九郎、わしと一緒に日本一の城を築いてみないか――。 織田信長の家臣・木村忠範は本能寺の変後の戦いで、自らが造った安土城を枕に壮絶な討ち死にを遂げた。遺された嫡男の藤九郎は家族を養うため、肥後半国領主加藤清正のもとに仕官を願...もっと読む

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