道徳の時間

第1回】なぜ、いま「道徳」なのか

評価経済など新しい資本主義が加速しはじめた21世紀。 そんな新時代の「道徳」とは、一体どんなものでしょうか。 未来社会をサバイブする岡田斗司夫が、 ゲストとともに様々な事例を引用しながら、 現代の「道徳」について考えていきます。

—「道徳の時間」をやりたいというお話をきいたのですが。

岡田 日本人にとって、特にインターネットをやっている人たちにとって、一番必要なものは何だろう? ということを最近考えていました。それで出てきたのが「道徳」です。ゆるい共同体のルールというのかな。サンデル教授の「正義」の話とはまた違った、「道徳」の話をしたいと思っています。

—岡田さんの言う「道徳」というのは、どういうものなのでしょうか?

岡田 物事を考えるときのベースにある、感情的な部分のこと。物事の出発点であって、個人個人がどうしたいと感じるかの問題です。その皮膚感覚についての共通認識が深められておらず、希薄化していると感じることがよくあります。僕は、それを「道徳の低下」だと思っています。

 最近、びっくりした話をさせてください。GIZMODOで見つけた、「ドライバーの6パーセントは、あえて路肩にはみ出しても動物をひき殺すことが判明」というニュース記事です。アメリカで行われた実験の記事なんですけど、高速道路の路肩にゴム製の動物のハリボテを置いておいたところ、路肩に乗り上げてでも動物を轢いた人が6%いたというんです。1000台に実験して、60台が轢いた。結構有意な数字じゃないですか。

—60台! ……信じがたい数字ですねえ。

岡田 わざわざ路肩に乗り上げて轢くというのは、リスクのあることですよね。逮捕されることもありうる。それなのに、6%もの人がやってしまった。これは、 魔が差したってことなんでしょうか。少なくとも、自分はそんなことをやらない気がするんですよ。自分の周りでもそんなことをする人はいないんじゃないかな。でも、やってしまう人が一定数いる。この人たちは、自分と違うのだろうか。おそらく、動物を轢くことが悪いという皮膚感覚を持っていない人なんです。その事実に対して、社会には一定数の異常者がいてどうしようもないんだという考えもできるけど、僕は改善できる部分もあると思うんです。そのための手段が、道徳を学ぶということ。でも、今の社会では、道徳を教えてくれるものがないんです。

—これまでには道徳を担うものがあったんでしょうか?

岡田 長い間、小説が道徳を担っていたと思うんです。ドストエフスキーの『罪と罰』もそうでしょう? 戦前や戦後すぐの文化人が読んでいたのは、『三太郎の日記』や『善の研究』といった本らしいですけど。

—どういう本なんですか?

岡田 要するに、僕らから見たら綺麗ごとに思えることが書いてある本。妥協を忌め、孤立を忌めだとか、毅然とした態度の人は勇ましく美しいだとか、そういうことが書き連ねてある。当時は、青春時代にそうした綺麗ごとをちゃんと読むことが、人生に必要なことだとされていた。
  しかし一時期から、あらゆる作家が、道徳から外れることをよしとして小説を書くようになってしまった。人々も、小説などの創作物というのはそうしたものだと思うようになった。これは、社会の完成と関係していると思います。社会が完成して盤石の体制になってしまったために、創作物にはそれを打ち壊す快楽が求められるようになった。尾崎豊が校舎のガラスを割ったことを美談にするのは、校舎のガラスがいつも綺麗に整備されるようになったからなんですよ。

—村上龍さんがデビューしたのも社会がある程度完成した時期でしたよね。小説の後に道徳を担ったものは何でしょうか?

岡田 学校が担っていたんじゃないかな。僕らのころは、道徳の授業で話し合いをしたでしょう?

—道徳の授業は、今の学校にもありますよね

岡田 たしかにカリキュラムには組み込まれていますが、機能しなくなっています。昔は、道徳の授業で、学級会のような話し合いがされていたのだけど、今はテレビ番組を見せられて終わりだったり、他の授業の時間に当てられてしまっていたりするんです。

—何が原因なんでしょうか?

岡田 実は、親のせいなんですよ。道徳教育に反対する人、無意味に思う人が増えて、もっと勉強の時間を増やせという声が出た。それでPTAや市民団体などが運動した結果、詰め込み教育が始まって、道徳に割かれる時間や労力が必然的に減らされていったんです。1970年代以降かな。この流れというのは、親は学校にとって消費者であり、何でも要求して当然、という意識が生まれてきたことと関係あると思います。

—なるほど。

岡田 これは子供にも当てはまります。諏訪哲二さんという、有名な元教師の方がずっと前から言っていることなんですが、今の子供は、学校で消費者の態度をとるようになっているんだそうです。学校の授業や行事に対して、つまらなそうな態度をすることが正しいものになっている。経済の世界では、物は安く買えるほど良いですよね?

—はい。

岡田 物を安く買うために、賢い消費者は、提示された商品に対して買う気がないことを示す。ある商品が100円だと聞いたときに、「100円?」と値段に疑問を示すと、相手は90円に値下げしてくれるかもしれないでしょう。これを学校に応用すると、先生が生徒にいいことを言ったときに、生徒ができるだけつまらなそうな顔をすることが、正しい態度になるんです。「えぇ?」とか「かったるい」とか言って、聞いていないフリをして聞く。そうすると教師は、もっとサービスを向上しようとする。
 さらに、他の人間に対して「この先生の言ってることはきく価値がないんだ」と思わせることで、自分の成績を相対的に上げることもできる。だから、成績がいい子も悪い子も、全員先生の言うことをきかないようになって、 教室が余計に荒れていく。経済的合理性を教育の現場に応用すると、こんなことになってしまうんですよ。その結果、学校が学びの場として機能しなくなったし、道徳の場としても機能しなくなったのだと思います。

—学校が道徳の場でなくなったことは、最近のいじめの傾向にも影響しているんでしょうか。

岡田 していますよ。というか、「最近のいじめ」と言っていますが、「いじめ」というのは、ここ10年の間に出てきたもので、僕らの世代は経験していないものなんです。

(次回に続く)

Photo: Statue of Kinjiro / fujitariuji

 

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僕らの新しい道徳 僕らの新しい道徳
岡田斗司夫 FREEex
朝日新聞出版

 

ケイクス

この連載について

道徳の時間

岡田斗司夫

評価経済など新しい資本主義が加速しはじめた21世紀。 そんな新時代の「道徳」とは、一体どんなものでしょうか。 未来社会をサバイブする岡田斗司夫が、 ゲストとともに様々な事例を引用しながら、 現代の「道徳」について考えていきます。 (月...もっと読む

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