人生を肯定するために、他者に優しくあるために大切なものはユーモアと想像力

いま、「おっさん」はどこへ行くべきなのか? 時代に合わせて生まれつつある「あたらしいおっさん=ニュー・ダッド」たちの姿を見つめながら、これからの「父性」「男性性」を軽やかに考えるエッセイ連載第16回。世界の残酷さや複雑さに直面しながら、それでも希望を持って生きていくために必要なものは? この連載に通底する「肯定」の哲学はどこからやってきたのか。そんな回でもあります。

イラスト:澁谷玲子

限りある生を肯定する、ヘンテコなユーモア

 10代のときの自分に衝撃を与えたおじさんがいる。そのおじさんはシンガーだ。夜ごと血糊を浴びて、着ぐるみの動物たちをたくさん引き連れて、大量の紙吹雪を飛ばし、巨大風船に入って飛び跳ね、人生のはかなさと美しさをヘナヘナの声で歌い上げるのだ。彼の作り上げる舞台は、それまで僕が知っていたライヴとは違った。パーティに近いのかもしれないが、それにしたって常軌を逸しているというか、楽しさも限界値を超えると狂気や恐怖に近づいていくものである。彼の繰り広げる饗宴を見ていると抱く感慨は、「あー、世界が滅ぶ前夜のパーティってこんな感じだろうなー……」というものだ。

 そんな頭のネジが5本ぐらいぶっ飛んだ表現で僕を驚かせたのは、アメリカのサイケデリック・ロック・バンド、ザ・フレーミング・リップスのフロントマンのウェイン・コインというひとだ。僕はいまだに、どこか深いところで彼の影響から逃れられていないと思う。

 何がそんなに自分にとって大きかったのかはよくわからないが、ひとつには、常人には思いつかないような素っ頓狂なユーモアがある。着ぐるみたちと歌い踊るライヴはそれでも愛らしいところはあるので、日本の音楽リスナーにも物珍しいものを見る感じで受けていたように思うが、自分たちもファンも全裸になって騒ぎまくるミュージック・ヴィデオ辺りになると引いていたひとも少なからずいた。まあ当然だろう。イッちゃってる集団にしか見えないもんな。けれど僕は、それに混ざりたいとすら思ったのだ。一度きりの人生、狂ったパーティに参加しない手はないと。

 彼の哲学をよく表した曲がある。「Do You Realize??」、つまり「気づいてる??」というタイトルのナンバーで、コインはこんな風に歌う。「気づいてるかい? きみの顔は世界で一番美しい。/気づいてるかい? 僕たちは宇宙に浮かんでるだけ。/気づいているかい? 幸せはきみを泣かせてしまう。/気づいてるかい? きみの知っているひとはみんな死ぬ」。

 眩しい光が溢れるようなドラマティックなコーラスと演奏、感傷的なメロディ。思春期のさなかにいた僕はこの曲を聴きながら、自分の知っているひとがみんな死ぬことを、本当に「気づいて」いるだろうかとよく考えた。その真実を前にして、どんな風に生きていけるのだろう、と。

 コインがオーディエンスも巻きこんで狂った宴を繰り広げるのは、限りある生を全力で肯定するためだ。悲しいことや無常ばかりのこの世の中を、それでも祝福するためだろう。そのためにこそ、ヘンテコなアイデアや意味のよくわからないユーモアが必要なのだと、彼は僕に教えてくれた。

 新型コロナウィルスの拡大でライヴの開催が難しくなった2020年、ザ・フレーミング・リップスが企画したユニークなショウが話題となった。いつもはコインが巨大風船に入ってオーディエンスの上を転がるのだが、そのライヴでは、オーディエンス全員が風船に入ってソーシャル・ディスタンシングが守られた。どんな逆境にあっても工夫をすれば楽しいことはできるというコインの考え方がよく表れているようで、僕はそのニュースを嬉しく感じたものだ。彼はいまでも、現実の厳しさを想像の力で乗り越えようと実践している。

現実をちょっとだけ愉快なものに変える想像力

 そんなわけで僕は奇天烈なユーモアを持ったおじさんが……というか、老若男女問わずそういうひとがいつも好きなのだけど、コインがある種の「ハレ」を表しているなら、(僕にとって)「ケ」の部分のユーモアを代表するおじさんがいる。イスラエルの人気作家、エトガル・ケレットだ。

 ケレットはわりと近年日本に紹介された作家で、多くのひとと同じように僕も『あの素晴らしき七年』(新潮社)というエッセイ集で彼に出会った。それは自分の息子が生まれてから、ホロコーストを生き延びた父が亡くなるまでの七年間を短い文でスケッチしたもので、彼が自分の日常を通して世界をどんな風に見ているかが綴られている。ただ、日常といっても何しろイスラエルである、わたしたち日本人のそれとはまったく違う。テロや爆撃が珍しくない「戦時下」の日々がそこにはある。

 けれど、ケレットのエッセイに悲愴感はなく、むしろとぼけた笑いに溢れている。テロが起きた直後の病院で子どもの誕生を待つ冒頭のエピソード「突然いつものことが」からしておもしろい。偶然会った記者にテロ攻撃についての所感を尋ねられたケレットだが、気の効いた回答をすることができない。記者に求められた「作家らしい何かオリジナルなこと」が言えなかったと。その後、無事息子を迎えたケレットは泣きわめく新生児に向けて、心配いらないよ、と語りかける。きみが大きくなる頃には中東の問題はみんな解決しているよ、平和がやってくるよ。すると赤ん坊が泣きやんだのを見てケレットは、やっぱり新生児はだまされやすいんだなという妙な感慨に浸る。が、すぐに息子は泣き出してしまう……というところでこのエピソードは終わる。それは、「中東の平和」がけっして簡単には訪れないという絶望感と、どうにかしてかすかな希望をもって向き合えないか—という想いをユーモアで語ろうとしたものだと僕には思える。

 あるいは、僕のお気に入りのエピソード「親愛を込めて(でもなく)」はこんなものだ。本の著者と交流ができるブックウィークで、作家のエトガルは読者のために本に献辞を書かなければならない。だが、「友情を讃えて」「敬愛をこめて」「ご多幸を」といった決まり文句がどうにも空々しく感じられてしまい、いっそのこと「虚構の献辞」を書くことを思いつく。要は、嘘のメッセージを読者に書いてやるのだ—「フェイゲへ オレが貸した十ドルはどうした? お前は二日って言ってたけどもう一月経った。オレはまだ覚えているぞ」といった具合に。そんなことを続けているうちにトラブルに巻きこまれてしまう、というところでこのエピソードは終わるのだけれど、とにかくケレットがつねにヘンなアイデアを実践しようとしていることが伝わってくるものだ(オチも最高)。

 「嘘」は、ケレットの作品にとって重要なモチーフだ。それは「想像」と言い換えられる。何か現実の酷さやつまらなさがあったとして、それを想像でちょっとだけ愉快なものに変えてしまうこと。そんな力が彼の文章にはある。

 ケレットの来日講演が実現したとき、聞きに行った僕はその明晰な文学観や穏やかで茶目っけのある人柄にすっかり魅了されたのだけど、さらに特別な思い出もできてしまった。講演後のサイン会で「虚構の献辞を書いてください」とお願いすると、彼は「よしきた!」と目を輝かせ、「つよしへ あなたは最高のモサド諜報員です。イスラエルのために最高のスパイでいてくれてありがとう! エトガル」と書いてくれたのだった。け、けっこうギリギリのユーモアですね……!

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ニュー・ダッド あたらしい時代のあたらしいおっさん

木津毅

「おっさん=悪いもの、古いもの、いまの社会の悪しき土台を作ったもの」とされている今日この頃。ではいま、「おっさん」はどこへ行くべきなのか? 時代に合わせて生まれつつある「あたらしいおっさん=ニュー・ダッド」たちの姿を見つめながら、これ...もっと読む

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コメント

shunnnn002 読みました https://t.co/t2lMTg8vFA 11ヶ月前 replyretweetfavorite

aknosp6 読んでる | 11ヶ月前 replyretweetfavorite

r_mikasayama 今年最初のニュー・ダッド!週末に是非…! 11ヶ月前 replyretweetfavorite

wt_alb12 https://t.co/eRLRVcylU5 11ヶ月前 replyretweetfavorite