呉国(くれのくに)からの使者①
雄略十年九月四日、身狭村主(むさのすぐり)アオ(青)は、呉国が献上した二羽の鵞鳥(がちょう)を持って、筑紫に着きました。
この鵞鳥が、ミヌマノキミ(水間君)※1の犬に噛まれて死にました。
ミヌマノキミは、恐れおののいて、一人で黙っていることに堪えられず、白鳥十羽と養鳥人(とりかい)を献上して、罪を贖(あがな)いたいと願い出ました。
天皇は、許しました。
十月七日、ミヌマノキミの献上した養鳥人らを、軽村(かるのむら)、磐余村(いわれのむら)の二か所に置きました。
十一年五月一日、近江国の栗太郡(くるもとのこおり)※2から、
「白い鵜(う)が谷上浜(たなかみのはま)※3にいます」
と報告がありました。
それで詔して、川瀬舎人(かわせのとねり)※4を置かせました。