いよいよこの講座もまとめになります。この章のテーマは「ストーリーは何のためにあるか」です。ストーリーにはさまざまな効用がありますが、ストーリーによって受け手に何がもたらされるかを考えると、私は以下の4つに整理されると思います。
①伝達:情報の記録や伝達
②興奮:その時間を楽しむため(期待→緊張→満足によるハラハラドキドキ)
③共感:主人公やその他の登場人物に共感し、自分の感情や本音に気づくため
④悟り:感動によって新しい視座、価値観を獲得するため
①は情報があまり加工されていない状態で、伝達することが主な目的のものです。ニュース、パンフレット、日記などが例として挙げられます。②はいわゆるエンターテインメントです。映画、小説、マンガ、ゲームなどほとんどのものがここに入ると言えます。③は②の一部が当てはまります。意識的興奮に加えて、登場人物、キャラクターに共感までできる場合です。④はさらに、第6章で書いた自らの内側にある矛盾、葛藤、抑圧を昇華してくれるような感動体験までたどり着いたときです。
③と④はかぶるところもありますが、エンターテインメント的に泣いてすっきりするのが③、それによって価値観や概念の変化まで起こると④というイメージです。クオリティが高いから④までいけるということではなく、ストーリーの目的や優先順位の話だと思います。娯楽を求めたストーリーであれば、②が達成されれば成功と言えるでしょう。ただ①から④へと段階を経るごとに、より無意識(心)のほうへの働きかけの話になっていくのは事実です。いわゆる教科書的な理論や理屈で伝えられる情報は、頭(意識)で受け止められて止まる可能性が高く、ストーリーという形だからこそ心の無意識の部分まで届く。これこそがストーリーの真骨頂だと私は考えています。
④のストーリーが必要なときというのは、私たちの中に解決できていない問題があるときです。それは精神的に解決できていない課題であったり、あるいは社会的な矛盾に葛藤や抑圧を感じていることであったりするでしょう。第6章で書いた「人は殺してはいけない」にも関わらず「死刑がある」という社会的な矛盾には、論理的なアプローチで納得できる場合もあるかもしれませんが、もっと根源的な問いの場合には、それがむずかしいことも多いものです。人間は何のために存在しているのか? 自分の生きる意味は何か? 死や悲しみをどう克服するか? こういった深い問いに対しては、ストーリーという手段が適しているのです。
ストーリーの起源
これらの根源的な問いに答えているものとして、ストーリーの起源とも呼べるものが3つあります。
①神話
神話とは国の成り立ちをまとめたものです。ひとつの形にすることで、社会全体で価値観を共有し、みんながまとまるのです。
②儀式
昔は今よりも大人になるのが早く、ある年齢になったら、いきなり「大人」や「戦士」にならなければいけませんでした。非連続なその変化を支えたのが儀式です。儀式にはたいてい、それを意味づける物語が添えられていますが、それは儀式自体が個人が変化を受け入れるために必要なストーリー体験ということでしょう。
③宗教
宗教にはいろいろな要素がありますが、「死」をいかに受け止めるかが大きなテーマであるのは間違いありません。理不尽に親や仲間が死ぬ、そんな現実をいかに受け入れるかは切実な問題で、そこに宗教というストーリーが必要であったのでしょう。
これら3つのストーリーに共通するのは、世界と我々の存在自体に迫る根源的な問いに向き合っていることだと思います。神話は国、つまり世界の成り立ちについてのストーリーですし、儀式は私たちが変化を受け入れるために必要なもの、宗教は死や生きることの意味と向き合うために必要なストーリーです。
繰り返し問い続けられてきた、これらの根源的な問題と向き合い、それを受け入れるにはストーリーという形態がふさわしかったのです。ロジックで説明するだけでは意識を超えて無意識(心)に届かない。無意識(心)に届かないと私たちの本当の問題は解決されない。だからこそストーリーが必要だったのです。
ストーリーを作ることの意味
これまでストーリーの存在理由を、受け取る側の視点から伝えてきましたが、それとは別にストーリーを作り出す行為自体にも大きな意味があると考えています。