第23回】民族としてのアイデンティティーとは、いったい何なのか---映画『ハンナ・アーレント』が内包する普遍的なテーマを考える

『ハンナ・アーレント』という映画を、今年の初めにシュトゥットガルトで見た。アーレントは、高名なユダヤ人哲学者だ。ただ、本人は哲学者と呼ばれることを嫌い、政治思想家であるとしていた。1906年、ドイツのハノーヴァーに生まれるが、ナチの迫害を逃れて、チェコ、スイス、フランスを経て、41年、アメリカに亡命する。それ以前、マールブルク大学での学生時代は、そこで教鞭を執っていたハイデッガーの愛人でもあった。

ハンナ・アーレント』という映画を、今年の初めにシュトゥットガルトで見た。アーレントは、高名なユダヤ人哲学者だ。ただ、本人は哲学者と呼ばれることを嫌い、政治思想家であるとしていた。

1906年、ドイツのハノーヴァーに生まれるが、ナチの迫害を逃れて、チェコ、スイス、フランスを経て、41年、アメリカに亡命する。それ以前、マールブルク大学での学生時代は、そこで教鞭を執っていたハイデッガーの愛人でもあった。ハイデッガーは、17歳も年下のアーレントと関係を持っていた4年の間に、彼の一番有名な著書『存在と時間』を書いた。

その後、フライブルク大学でフッサールに、ハイデルベルク大学でヤスパースにそれぞれ師事。結婚は2回だが、恋多き女性でもあったようだ。

戦後のアメリカではジャーナリストとして、あるいは、大学で教えながら、政治思想を研究し、多くの著作を残した。1975年、2度目の心筋梗塞のため、マンハッタンの仕事場で亡くなっている。

アイヒマン裁判に関する論文で一躍有名に

アーレントが1951年に発表した論文『全体主義の起原』は、ヨーロッパの政治が、反ユダヤ思想→帝国主義(ナショナリズム)→全体主義(ヒトラーとスターリンの台頭)という段階で発展していったとして、その道程を徹底的に分析している。

おそらく、これが学術的には彼女の代表作となるのだろうが、しかし、彼女の名を世界中に知らしめたのは、ナチの大物、アイヒマンの裁判についての論文だった。

アドルフ・アイヒマンはナチの親衛隊(SS)の隊員で、ユダヤ人を強制収容所に移送するにあたって、指導的な役割を果たした。もちろん戦後は第一級の戦犯の1人だったが、うまく潜伏し、1950年にはバチカン市国発行のビザを使い、イタリア経由でアルゼンチンに逃亡した。

ブエノスアイレスで暮らしていた彼を、イスラエルの秘密警察モサドが捕まえたのが1960年のこと。しかもイスラエルはそれを、アルゼンチンの政府や警察には知らせずに極秘のうちに遂行した。何故か? 

イスラエルは、アイヒマンをどうしても本国に移送して法廷に引き出したかったのだ。しかし当時、イスラエルとアルゼンチンには犯罪者の引き渡しについての協定が存在せず、合法的に連れ出す方法はなかった。そこでイスラエルは、最初から非合法で連れ出すことを計画し、自分たちの活動をアルゼンチン当局に知らせることはなかった。

その結果、拘束、あるいは誘拐されたアイヒマンは、その11日後、極秘のうちにイスラエル機で連れ去られた。いわゆる拉致である。出国の際にはイスラエルのエル・アル航空の制服を着せられ、薬で寝かされたまま、「酒に酔って寝込んだ非番の客室乗務員」として、アルゼンチンの税関職員の目を誤魔化したという。ここら辺の事情は、CIAやドイツの連邦情報局の資料が徐々に公開され始めて、だんだん明らかになってきた。下手なスパイ小説よりもずっと面白い。

その後、アイヒマンはエルサレムで裁判にかけられる。「アイヒマン裁判」として世界中が注目した。

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シュトゥットガルト通信

川口マーン惠美

シュトゥットガルト在住の筆者が、ドイツ、EUから見た日本、世界をテーマにお送りします。

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KNDPG 民族のアイデンティティ https://t.co/2rPSXuKZQ2 川口マーン惠美さんが書いた記事。印象に残ったのは「もし愛する国が無かったら、人間はどこに帰属すればいいのだろう」 作中のアンナの台詞に同じく、より具体的なコミュニティにこそ帰属意識があるのでは、と考える。 4年弱前 replyretweetfavorite