「MMさんが商品を購入しました。内容確認のうえ発送してください」
iPhoneのロック画面の通知を見た時、本当に終わったんだなと思った。
断捨離という言葉が流行って、どれぐらいの月日が経ったのだろう。2009年に発売された『新・片付け術 断捨離』のヒットがブームの火付け役らしいので、10年以上も前のことになる。もともと断捨離とはヨガの行法をベースに考案されたもので、不要な物を「断ち」「捨て」、物への執着から「離れる」ことを指すという。
これまで、断捨離の一環としてメルカリでいろんなものを売ってきた。古いMacBook Airに読み終わった本、履かなくなったマーチンのブーツ。私の「出品した商品」一覧は、過ぎ去りし日の蓄積と言ってもいい。
Facebookが元恋人を探してしまう場所だとすれば、メルカリは過去の未練を断ち切るツールだ。
クリスマスの後にメルカリを見ると、ブランド物のアクセサリーが溢れるほど売りに出されているという。きっとこれは不本意な結末を辿ったプレゼントなのだろうけれど、私は家に長らく眠っていた「贈り損ねたプレゼント」を出品した。
渡せなかった贈り物
サクッと気の利いたプレゼントを贈れる人は、かなり良いセンスの持ち主だと思う。私は贈り物が下手で、どんな時も頭を抱えてプレゼントを選ぶことになるし、渡した後も失敗した気持ちが芽生えてしまう。
プレゼントを選ぶときは、相手の欲しいモノ、似合うモノという基準のほかに、自分と相手との関係値も考慮しなくてはいけない。高価すぎるモノを贈っても「重い」し、かえって相手の負担になる。こんなことをぐるぐる考えてしまうあたりが、私のダメなところなのだけれど、いまだに軽妙な贈り物作法は身についていない。
友人であるAの誕生日プレゼントに、ようやく選んだのが、とあるアーティストの画集だった。
Aがそのアーティストを好きなのは知っていたし、趣味が合う私たちは一緒に青山のスパイラルで開かれた作品展にも行った。正確に言うと、彼が「きっとキミも好きだろうから」と誘ってくれて私も後追いで好きになった、そんな感じだったと思う。
なんだかんだ、ほぼ毎日LINEをしていた。「あれ見た?」「これ知ってる?」「じゃあ一緒に見に行こうよ」という具合に、趣味の話をしては週末どこかにでかけた。飲み明かすこともあったし、どこに行くのも一緒だった。まるで恋人のようだけれど、決してそういう関係ではない。正直に言うと、彼には恋人がいたし、Aからすると私は馬の合う友人の1人なのだろう。そのことも理解しているつもりだった。別に恋人になりたいわけじゃなくて、いろんなものを共有したかったし同じ時間を過ごしたかった、のだと思う。
そういう関係性をふまえて選んだプレゼントを、誕生日の翌日に渡そうと思って買った。ちょうど好きなDJが出るクラブのデイイベントがあったので、遊びに行く約束をしていたのだ。画集は一般の流通網にのっていなかったらしく、普通の書店では買えずに楽天で掘り起こした記憶がある。確か、値段は6000円ほど。画集にしては高価で、20代前半の安月給にはそれなりにインパクトがある価格だった。でも、誕生日だし。日頃のお礼を込めないと。そんな気持ちで購入ボタンを押した。
会う当日までにちゃんと手元に送られてくるのか不安だったものの、前日に家に届き無意味に安堵した。彼の本棚にこの画集は並んでいなかったし、同じものを持っていることはないだろう。喜んでもらえると良いが、大げさだと思われたら嫌だなとも思う。こういうときは、ネガティブ要素ばかりが頭に浮かぶ。
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