※牧村さんに聞いてみたいことやこの連載に対する感想がある方は、応募フォームを通じてお送りください! HN・匿名でもかまいません。/バナー写真撮影:田中舞 着物スタイリング:渡部あや
“バッドニュースの方が数字伸びる時代
未来 見たい? 見たくない?
大 殺 界”
さあさあ!みなさん!これを叩いて!!
っていう感じのインターネット記事がSNSを流れていく。
わたしはわりと病む。
他人の炎上狙い記事が結果的に数字出してるのを見ている。
料理人が胃に入る栄養を作る人だとしたら、文筆業者は頭に入る栄養を作る人だと信じて仕事をしてきた。それがどうだろう。どちらかというと下剤を求められている気がする。頭の栄養どころか、不安から延々と情報を詰め込みすぎちゃって頭がパンパンに膨らんで苦しんでいる人たちがいっぱいいるんだと思う。
何かについてググるたび、地獄のような検索予測。
「The ○○(バンド名) 下手」
「○○ズ(お笑いコンビ名) うるさい」
自分が下手だと思うなら、自分がうるさいと思うなら、それでいいじゃん。何その「自分以外にもそう思ってる人がいて欲しい」みたいな、自分の感性信じられてなさすぎる検索。
「○○イズム(思想名) 論破」
自分の気に入らない思想を他人に論破してもらおうとするなよ。っつーか、対象が漠然と思想単位かよ。でけえよ。
地獄のような検索予測を眺めながら、それを刺激に自分自身も自分のイライラを吐き出していることに気付いて、ゾッとする。もうちょっと健康的なやり方で怒りを放出せねばと思う。部屋を暗くし、ロックバンドのライブDVDを再生する。ライブに行った気で暴れる。ああ、この人たちもコロナでライブ中止の末に解散しちゃったんだよなあ、と思いながら。
わかっている。人生のどんな大激震も、「終わり」にしない限りは「変化」なんだって。
たとえそれでうまくお金を稼げなくなったとしても、「終わり」にしたくないならば、放さないことなんだ。ペンを。ギターを。ボールを。フライパンを。ここに生きるこの体を。……とはいえ、放したくない大切なものだからこそ、前みたいに振るうことができない現実が辛くて、忘れるために、先を生きてくために、歯ぁ食いしばって売り払ってしまう感じというのもわかる。空っぽになった両手。気持ちだけでも「終わり」じゃないって思っておけば、この先に「変化」を迎えることができるのかもしれない。けれど、それがいったいいつなのか、わからない。