心」は言葉に表れるからこそ、どんどん外へ

「サクちゃんって、イメージ通りの人だ!」と、書いている今回。実はそういうのってすごいことかもしれません。SNSだけに現れる新しい人格ではなく、見栄すらなくてそのまんまの自分を出し続ける。それってすごいことですよね。第一印象よりも前に、先入観のカケラがインターネットに落ちている現代では、そういうことって大切なのかも。おまけ情報は読書について。連載第41回(毎週火曜日更新)は蘭ちゃんのターン。

サクちゃんへ

こんにちは。もう年末ですねぇ。
来年は初詣ってどうなるんでしょう。自粛したほうがいいのかな。

わたしは年末年始という時期がどうも苦手です。
他にも、ゴールデンウィークとかお盆休みとかも苦手で、要は長期休みの時期に心のバランスを崩しがちなのですが、そのボス的存在が年末年始なんですね。
なんだかこの時期って、「ちゃんとどこかに所属してるか?」って問われ続けているような気持ちになるんです。
子供の頃、家族の団欒があまりない家庭で育ったので、テレビの中の「おこたを囲んでみんなでお節」みたいなのが本当に羨ましかった。
大人になり、自分で家族をつくってもなお、そのときの心細さやよるべなさは染み付いてしまってとれません。
いつかこの感情が、郷愁として味わえるようになったらいいんですけどねぇ。

ー・-・-

「わたしがSNSで書くことは、忘れないためのメモと、自己紹介のふたつの要素でできている」

前回サクちゃんは、SNSでの発信についてそのように書いていました。
なるほど、自己紹介! 言い得て妙です。わたしたちは短文や写真の投稿を繰り返しながら、「自分はこういう人間ですよ」と表現しているのですね。

わたしは、人格は言葉に表れる、と思っています。
だけどそれは、どれだけ語彙が豊富かとか、どれだけ論理的かとか、そんなことは関係ありません。漢字も習っていない子供の言葉に品格を感じることもあるし、肩書きが立派な年上の方の言葉に幼稚さを感じることもあります。

黙っていればわからないことが、発言すると急に露呈される。
言葉にその人の「心」が乗り、外に表れるからです。その集合体が、人格になる。
それって本当に恐ろしいことですよね。わたしは物書きなので、どんどん心を外に流出しているわけで、いつだって裸んぼうの気持ちです。自分って恥知らずだなぁ、とよく思います。

ー・-・-

でも「恐ろしい」と思うと同時に、どんどん心を外に、とも思っています。

以前、サクちゃんがわたしに『ハーフ・オブ・イット』という映画を薦めてくれたことがありましたね。すっごくすてきな映画で、大好きになってしまったんですが、あれは友達の代わりにラブレターを代筆する、というストーリーでした。

主人公の女の子は人種差別を受けながらも、文章を書くのがとてもうまいのでいろんな人に代筆を頼まれます。それまでは、誰かになりきって文章を書く、ということをしていたのに、ある女の子へのラブレターの場合は別でした。そこに徐々に、自分の心が乗っていってしまったのですね。

わたしは感動して観ながら、
「ああ、もっと早く、彼女の心が外へと表現されていたら」
と口惜しく思ったものです。
そうすれば、もっと早くに理解しあえる友達や、惹かれ合う恋人と出会えていたかもしれない。言葉は人格を表しますが、沈黙はそれを隠してしまいます。人は見た目やステータスで簡単に決めつけてしまうから、その決めつけを壊すのはやっぱり言葉なのです。

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サクちゃん蘭ちゃんのそもそも交換日記

土門蘭 /桜林直子

東京でクッキー屋さんをしている「桜林直子(サクちゃん)」と、京都で小説家として文章を書く「土門蘭(蘭ちゃん)」は、生活も仕事も違うふたりの女性。この連載は、そんなふたりの交換日記です。ふたりが気が合うのは、彼女たちに世界の「そもそも」...もっと読む

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