ただ話をしに来るだけのお客さんたち
……とはいえ、ニュクス薬局は、「夜の仕事に携わるひと」専門の店というわけではもちろんない。立派な調剤薬局であり、街の薬屋だ。
医者から渡された処方箋を持って残業帰りに立ち寄る多忙なビジネスパーソンもいれば、他の薬局が寝静まった深夜に
「突然、具合が悪くなったんです。なにかいい薬はありませんか」
と顔をゆがませて駆け込んでくるひともいる。
「明日手術を控えているのに、飲むべき薬をもらい損ねてしまった!」
と滑り込んできたひともいた。
水商売の従業員など、ふつうの薬局が開いている時間には活動していないひとはもちろん、昼間は仕事が忙しく病院や薬局などに行く時間がとれないひとや急な体調不良に陥ったひとたちが、助けを求めてドアをくぐる。
「それこそ、いろんな街から来られますよ。起きている時間帯に開いている薬局やドラッグストアがなかったり、開いていても、薬剤師や登録販売者がいなかったりしますから」
「登録販売者」とは「医薬品登録販売者」のことで、2009年に誕生した新しい資格だ。
ニュクス薬局の開局は2014年で、当時はまだこの資格保持者が少なかった。だから、夜間にドラッグストアが開いていても薬は買えないことも多く、ちょっとした市販薬がほしいときでも遠方の街からわざわざニュクス薬局まで買いにくるケースも多々あったのだそう。
ただし、たとえば解熱鎮痛剤の「ロキソニン」や発毛剤の「リアップ」などの第1類医薬品は、登録販売者には扱えない。中沢さんのように薬剤師の資格を持つ人間がいなければ、売れないことになっている。
ちなみに、ニュクス薬局では膣カンジダの薬「エンペシド」も扱っていて、これも第1類にあたる。歌舞伎町近辺ではここでしか手に入らない。
「とてもよく売れますね」
しかし、それだけではない。
「お客さんというか、ただ話をしにくるだけの女性も、とても多いんですよ」
と中沢さんは強調する。
「久しぶり〜」
「彼氏と別れたんだけど」
「仕事に行くの、だるいわ」
といった個人的な話をして帰っていく。
薬を買いにきたついでに話し込むということもあるけれど、処方箋も持たず、市販薬もドリンクも買わず、ただ雑談をして帰っていくなんてこともしばしばある。
「彼氏に捨てられた」
「親とうまくいっていない」
「借金つくっちゃった」
「お客さんの子どもを妊娠しちゃった」
あるときには泣きながら、家族にも言えないような話をそっと漏らしていくこともある。
そして、中沢さんはどんなときでも、それをひたすら「聴く」。
言うまでもないことだが、「薬剤師に話を聴いてもらう」と書かれた処方箋はない。
どんなに一生懸命に話を聴いたとしても、利益が上がるわけではない。
そういう意味からすれば、「聴くこと」は薬剤師の仕事ではない。
収入にはならないし、むしろお客さんの回転率は下がる。経営という視点からすれば好ましいことではないだろう。
けれど、中沢さんは言う。
「お客さんの話を聴くことも、薬剤師としてあたりまえのことですから」
体調が悪くて苦しんでいるひとに薬を出すのと同じで、それによって元気になるひとがいるなら、いくらでも話を聴く。恋人への愚痴も、壮絶なカミングアウトも、なんだって「聴く」。
そして、来たときよりも明るい顔になったのを見届けて、再び「夜の街」へと送り出すのだ。
「ひとり」が集まる、上京者の街
大阪のミナミ、福岡の中洲、札幌のすすきの……全国に数多ある歓楽街の頂点とも言えるのが、ここ歌舞伎町だ。ラブホテル、ホストクラブ、キャバクラ、バー、性風俗店といった夜の店がひしめく街。
だからこそ、ついつい歌舞伎町の住人を「ふつうとは違う世界のひと」、ここで起こることを「ふつうとは違う世界の物語」だと片付けてしまいそうになる。
けれど、そうした先入観の薄皮をぴりぴりと剥いでいくと、ごくごく「ふつうのひとたち」の姿が浮かび上がってくる。
まず、「歌舞伎町の住人」と言っても、実際に住民票をここに置いて暮らしているひとは多くない。ほとんどのキャバ嬢や性風俗の女性、ホストなどはここに「通勤」している。「街の外」からやって来ているのだ。
さらに意外なことを中沢さんは告げる。
「ウチに来るお客さんで地元が東京って子、聞いたことがないかもしれません。
みんな口を揃えて、『実家は遠い』って言いますね」
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