スマホで拾ってきた言葉に閉じ込められないために

インターネット上で文章を書くのが大好きだという牧村さん。ネット上で議論になると、「わたしたち対あいつら」の構図になりがちですが、牧村さんは日本語の文法ならではの罠に注意しながら、言葉にとらわれない方法を考えていきます。


※牧村さんに聞いてみたいことやこの連載に対する感想がある方は、応募フォームを通じてお送りください! HN・匿名でもかまいません。/バナー写真撮影:田中舞 着物スタイリング:渡部あや

インターネットで議論をするみなさんへ

こんにちは! インターネットで文章を書くのが好きすぎて仕事にした、文筆家の牧村朝子です!

今日もインターネットで議論、してますか?
義務だと思ったりしちゃってませんか?
最近ではTwitterで人にケンカ売るためだけのアカウント持ってる人とか、その時々で炎上しているトピックについてお怒りを表明なさるんだけれども実際よう知らんから結果として無実の別人/別のお店をぶっ叩いている状態になっている人とか、みんな楽しそうだな~って思ってます!

親指だけで手軽に正義。便利な世の中になりましたね!
わたしはそういうの、「親指ジャスティス」って呼んでます!👍

さて、煽りはこの辺にして、本題に入りますね。

スマホを使って日本語で議論するときにわたしが気をつけてる、んー、なんと呼ぼうかな、「言葉のキャラ化」の話です。どういうことかと言いますと。

生きる上で何かがつらい

つらさについてスマホで検索する

そのつらさに名前をつけてくれる言葉と出会う

それを拾ってきて自分で名乗ったり、特定の人々を指す名前のように使ったりする

という現象ですね。スマホで拾った言葉がキャラ名になる。

これねー、勇気出るんですよ。

「ひとりじゃない」
「つらいのはわたしだけじゃなかった」
「わたしたちでつながろう」
「あいつらを正そう、あいつらをやっつけよう」

お揃いのユニフォームを着るような心強さがある。
それで生きられる人もいると思うんですよ。ただ、そこでしか生きられなくしてしまう危険もある。

わたしたちが、自由になるための言葉で、本当に自由に考えるために。特に日本語という言語の文法特性で起こりがちなことについて注意しながら、今日は「言葉のキャラ化」の話をしていきます。

というわけで、この「言葉のキャラ化」。

具体的に言えば、懸念されることはふたつあります。

ひとつは、「わたしたち対あいつら」の対立構図に閉じこもるようになってしまうこと。
よって、社会の分断を深めてしまい、たとえば「人類がいかに生きるか」「地球の生命がどう生きるか」というような、より広い視点で考えられなくなってしまうこと。これを、「思想的篭城」と呼びましょうか。お城に篭るようにして、「わたしたち以外みんな敵😠!」となってしまう。

そしてもうひとつは、「現象」と「様相」が、それそのものとしてとらえられず、特定の「存在」の中にしかなくなってしまうこと。キャラという言葉を使うなら、「あのキャラはああだから」みたいな属人的な見方になってしまうこと。いや、「たとえば?」って思いますよね。うーん、そうだな、じゃあ、「差別」を例に取りましょうか。

「差別」
「差別的」
「差別主義者」

これらはそれぞれ、使い分けたほうが、ていねいな議論および思考ができると思うんですよ。あらゆる面で。

差別という現象そのものや、差別的な表現とは何かということについて考えることなしに、差別を属人的なものとして考えてしまうと……つまり、「差別というのは差別主義者がやっている行為のことだ」みたいなふうに考えてしまうと、極論、「差別主義者を全員ぶっ潰せば全部解決」みたいな短絡的結論におちいってしまう。マジでそうなってる人インターネットで見ますけどね。これは、この辺の使い分けができてないからだと思うんです。なんでもそうです、別の概念でもそう。これをここでは「文法的硬直」と呼びます。

では、なぜ文法的硬直が起こってしまうのか。

最も文法的硬直を起こしやすいのが、こういう状況です。

「カタカナの言葉をスマホで拾ってきてSNSで使ってる」

そうするとどうなるかって言いますと、まず、「その言葉そのものが出てきた背景」が切り落とされる。そして、「わたしたちでまとまる/あいつらを指差す名前」として使われ始める。カタカナ語は、「何かの名前」として認識されやすいんですね。

例として、「ミソジニー」。ミソジニーという言葉自体、日本語で説明する方法がいろいろある言葉ですが、これをここで仮に「女性嫌悪」と訳しまして、文法的硬直を起こす前の状態でみていきましょう。こうなります。

「ミソジニー」(現象:女性嫌悪)
「ミソジナス」(様相:女性嫌悪的)
「ミソジニスト」(存在:女性嫌悪者)

これらを使い分けて論じる人もいます。が、「あいつはミソジニーだ」とかいうように、文法的硬直を起こした状態で、人を告発する名指しとして使い始める人もいる。そうするとやっぱり、「どうしてこの世の中にミソジニーが存在するのか」みたいな根本的なところからは考えにくくなってしまうんですよ。インターネットで「あいつはミソジニーだ、ちょん切れ!」みたいなことを始めてしまう。

究極形態としては、キャッチーに略されたりして、オリジナルアレンジがなされ、「わたしたちにだけわかる、あいつらに陰でつけてるあだ名」みたいになります。「ミソジニー男」略して「ミソ男」とかね。この段に至るともう、完全に言葉のキャラ化が起こっています。

こういうのって……独特に気持ちいいことなんですよね。たぶん、人間の原始的闘争本能を甘く刺激してしまうんだと思う。「わたしたちで団結してあいつらをぶっ潰す」っていうことをずっとずっとずっとずっとやってきてる生き物なわけだから、人間は。だけど……そうだけど、一体、いつまで……。

だらだらだらだら数千年間「わたしたちで団結してあいつらをぶっ潰す」の繰り返しで、果たして人間社会は良くなってますか、って話ですよ。

ってことで、わたしは以下二つを、かなり意識して避けています。
・「わたしたち対あいつら」みたいな、思想的篭城
・「差別/差別的/差別主義者」を使い分けないような、カタカナ語を名前だと認識して「あいつはミソジニー!」って言うような、文法的硬直

じゃあ、どうやって避けて行けるのか、って話を、最後にしますね。

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ハッピーエンドに殺されない

牧村朝子

性のことは、人生のこと。フランスでの国際同性結婚や、アメリカでのLGBTsコミュニティ取材などを経て、愛と性のことについて書き続ける文筆家の牧村朝子さんが、cakes読者のみなさんからの投稿に答えます。2014年から、200件を超える...もっと読む

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makimuuuuuu インターネットで議論しとると陥りがちな、「わたしたちvsあいつら」の構図から自由になる作戦です ▼全文(金曜朝10時まで無料公開) https://t.co/pmHM21tlsV ▼試し読み https://t.co/erQnMxAnV9 約1ヶ月前 replyretweetfavorite