私が修行でご本山に入ったのは二二歳のとき。そこでは、はじめの「百日禁足」というルールがあり、外出はもちろん、新聞、テレビ、雑誌などが禁止され、完全に外部から遮断されます。家族、友達、恋人に連絡を取ることは許されません。
修行に入ると決めた私は、アパートを引き払い、持っていたものを全部手放し、当時おつきあいしていた女性とも別れて本山に行きました。 当時の私は、将来への不安や別れた彼女への未練で、内心荒れていました。
だからきっぱりと外の世界から離れて、修行に励み、そして心が平穏になった……と、話はそううまくいきませんでした。 禅寺の朝は早く、慣れないことばかりで失敗し、一日中怒鳴られたり叱られたり、心身ともにクタクタです。
でも私は、「修行に入る前の世界を全部忘れるくらい頑張ろう。自分の体に鞭打って、バカになって頑張ろう」と考えていました。 消灯は夜九時とされていながら、その後にトイレ掃除があり、先輩の点検に合格しなければ何度でもやり直し。さらに「公務帳」という仕事の申し送りを筆で書き写すのも消灯後の日課で、一字でも間違えれば全部書き直さなければなりません。
最初の一~二カ月は幸せでした。いつでも、どこでも瞼(まぶた)を閉じた瞬間に寝落ちする、というぐらい疲労困憊(こんぱい)していましたから。 けれども、しばらくすると慣れてきて、坐禅中や布団に入った後など、現実の世界への未練がむくむくと蘇ってました。
「こんなことをして何になる?」「あの子はどうしているだろう?」など悶々(もんもん)とするばかり。ふとした瞬間に入り込んでくるこの考えが、苦しくてたまらないのです。眠れない、食べられない。考えたくないのに考え続けてしまう。でも答えは出ない。 心身の疲労はピークに達し、気がつけば七五キロあった体重は六二キロまで落ちていました。
百日禁足が開け、「お師匠様に報告を」ということで、修行僧はみなハガキを渡されました。私はそこに「苦しい」と書きました。
「乱れた心が修行で楽になると思ったのに、楽になるどころか、苦しくて苦しくて仕方がありません。こんな修行をして何の意味があるのでしょうか?」 「一所懸命に修行をしているつもりです。自分なりに真剣に修行しているつもりです。でも時間が経つほどに、苦しさが増すばかりで、心が楽になりません」 修行をやめるにも師匠の許しが必要なので、そのお願いも込めていました。しばらくして、師匠から返信が来ました。
そこには「落ちろ」と書いてありました。 落ちるところまで落ち切ったら落ち着く。そしておまえの名は今日から大愚だ。 当時、私の僧名は「仏道(ぶつどう)元勝」でした。それを「大愚元勝」に変えて、落ちろと言う……。
修行はうまくいかず、でもやめることもできず、「落ちろ」と言われ、私はどうしようもなくなり、その晩は布団に入るなり、声を押し殺して泣きました。 そのまま次の日の朝を迎えたのですが、不思議なことに今までとは違う感覚が自分の中に芽生え始めました。
「お釈迦様のような立派な僧侶にならねば!」と、あがいてみたけれど、いくら必死に修行してもなれそうにない。そこに「大愚」という名前をいただいたことで、「俺はこれでいいんだ」という気持ちが芽生えたんです。背伸びして賢くなろうとしなくていい。愚かでいい。 でも、どうせ愚かなら愚かさを受け入れて大愚(おおおろ)かになる。そう開き直ったら、全身の力が抜けて心がスッと楽になったのです。
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