今だから、カンカン・ランラン。

上野に2頭のパンダがやってきたのは、今からちょうど40年前の1972年。昭和における一大ブームを巻き起こしたカンカンとランランの軌跡を、今一度振り返ろうではないか!(『ケトル』創刊号より)

1972年には、何かある。気がする。あさま山荘事件も沖縄返還も、田中内閣が発足したのもこの年だ。そして、日本に初めてパンダがやってきたのも。日本のことを語るなら知っておくべき歴史があるように、パンダのことを語るなら知っておくべきパンダがいる! 昭和史に残るブームを巻き起こしたあの2頭、カンカンとランランを、そして彼らが残した伝説のことを、今こそ振り返る時が来た!

パンダもらった! 田中角栄  

9月 29 日、田中角栄氏と周恩来氏による日中国交正常化。 その記念に中国から、2頭のパンダが贈られた。日本人にとって初めてのパンダ、動物園人にとって「夢の動物」、 パンダ。日本中の動物園が挙手するなかで、受け入れ先に選ばれた上野動物園では、ベテラン飼育員や獣医が集結しプロジェクトを結成。当時は参考になる文献も少なく、圧倒的な情報不足のなか、受け入れ準備が進められた。その時、関係者内でパンダを見たことがあったのは、飼育責任者の中川志郎さん、ただ一人。 中川さんは研修先のロンドン動物園で、パンダ飼育に携わった日本人初の飼育員だ。

「到着した特別機の中で2頭と対面しました。幼さの残るぬいぐるみのような愛らしさとあどけなさに、抱きしめたいような感動を覚えました」  

と、カンカンとランランを初めて見た時の感想を教えてくれた。ちなみに「動物を抱きしめる人」の代名詞、ムツゴロウこと畑正憲さんが、 79 年9月4日(ランラン死亡日) の朝日新聞に残したコメントを発見。

「実は私は、ランランもカンカンもまだ見ていなかった。 上野動物園へ行きたくてしようがなかったけど、(中略) 行けば抱きたくなるし、欲しくなると分かっているから、 どうしても行けなかったのです。」  

さすがのムツゴロウさんですら近づけなかったパンダな のだから、日本中が大騒ぎするのは当然だ。当時から「パンダ博士」と呼ばれ、現在は日本パンダ保護協会の名誉会長を務める黒柳徹子さんも、 この日ばかりは落ち着いていられなかった。羽田空港から上野に2頭が運ばれた時、動物園の入り口で待機していたという。なんでも2頭を迎えるために、仕事を抜け出してしまったのだとか。トットちゃんのパンダ愛、恐るべし!

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「最高に、無駄がつまったワンテーマ・マガジン」をコンセプトとした、雑誌『ケトル』。その毎号の特集をcakesで配信していきます。第二弾のテーマは「パンダ」。そもそも、なんでパンダは白黒なのか。よく知っているものも、視点を変えると新たな...もっと読む

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