第十一回】久松温泉と冷やしたぬきうどん (前編)

今回も、本編に入る前に旅先の本当にあったコワい旅館の話から。テレビ番組のロケ後に泊まった旅館が相当なものだったよう。壁のひび割れがガムテープでとめられているくらいボロく、部屋にはトイレすらなく、書かずにはいられないほどの印象的な出来事だったそうで。果たして、怪しい旅館の浴場はどんなものだったのか……。「孤独のグルメ」でお馴染みの久住昌之氏がおくる、「風呂」×「グルメ」の痛快エッセイ!

 今回も、まず旅行の朝湯の話からさせてください。
 書かないといられない。
 その旅館も、ボロかった。地方の駅前の旅館。というより、古いビジネスホテルだな。観光案内にもしっかり出ている。
 名前書くと特定されるので、仮に「むじなや」としておくけど、ハッキリ言って、むじなやよりヒドイ名前。「まむしや」に近い。なんでそんな屋号にしたのか、初代のセンスを疑う。
 あるテレビ番組のロケで行ったのだけど、ボクら出演者だけ和室だった。ADの話では、洋室のほうが狭くてユニットバスが超狭いから、ということだった。ボクはみんなと違う階であることのほうが心細かったのだが。
 さて、言われた部屋に行き、ドアを開けると狭い三和土があって、襖がある。靴を脱いで上がると、広い。十畳ぐらいある。でも床の間とか違い棚とかは何もなくて、ガラーンとしている。その真ん中に座卓があって、隣にすでに布団が敷いてあった。まだ午後三時だ。いくらなんでも早いんではないか。しかも布団の幅がちょっと狭くて、掛け布団がピンク。なんだか、ちょっと。
 布団の横の畳に、かなり古い小さな液晶テレビが置いてある。
 和室と窓との間には、細い廊下のような空間がある。普通ここには椅子と小さなテーブルが置いてあって、灰皿がのっていたりするが、それらはすべて、ない。また、洗面台がついてたりするが、それもない。ただの廊下的空間。
 まあ、いいや。とりあえず、トイレに行きたかったので、玄関のところに戻ったが、ない。さっきの廊下的空間に戻ったが、ない。まさかと思って、部屋の引き戸を開けたが、普通に押し入れ。
 トイレがない。廊下に出てみた。部屋が並んでいるだけ。ウソ。と思って、階段の方に行ったら、階段の、階と階の間に小さな共同トイレがあった。 半階上が女子トイレ、下が男子トイレ。えー、夜中にトイレに行きたくなったら、ここまで出てこなきゃならないのか。歯を磨いたりするのも、ここに来るしかないようで、洗面所の古い鏡の前に、クリーム色のプラスティックのコップが裏返して置いてある。ここで夜寝る前に歯を磨くの、やだな、と思った。
 しかも階段の壁には無数のヒビが入っていて、そこに全て白いガムテープが貼ってあった。ちょっと、コワイ。
 部屋に戻って、じゃあ風呂はどうするんだ? と疑問がわいてきた。スタッフの部屋にはユニットバスがあるといっていたが。
 テーブルの上にあった、カードケースに入ったホテルの間取り図を見た。
 そしたら、同じ階の奥に「殿方中浴場」というのがあった。
 思わず笑った。大浴場ではなく、中浴場。聞いたことがない。
 大浴場が別にあるのかと思ったが、ないようだ。ショック。
 そのあと、撮影があったので、着替えて靴を履いて、一応廊下の奥に行ってみた。奥を曲がったところに、紺色の模様の入った長い暖簾がかかっていて「男湯」と書いてあった。灯りがついてなくて薄暗かったせいもあり、絶望的な気分になった。隣に女湯があった。今回は女優さんはいない撮影だが、ボクが女優だったら、ディレクターに、
「宿、変えてもらえる?」
と、言ってたかもしれない。

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ふらっと朝湯酒

久住昌之

三度TVドラマとなることが決定した「孤独のグルメ」の原作者久住昌之が、新たに提案するのが“ふらっと朝湯酒”。その名の通り、朝からお風呂入って一杯飲るという試みを、やってみようというエッセイである。朝から飲むからって、♪朝寝朝酒朝湯が大...もっと読む

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ikiiki_commu 「孤独のグルメ」原作者の久住昌之さんがcakesで久松温泉について書かれています。面白い〜:第十一回 久松温泉と冷やしたぬきうどん (前編)| #ikegami #ootaku2 5年弱前 replyretweetfavorite