※牧村さんに聞いてみたいことやこの連載に対する感想がある方は、応募フォームを通じてお送りください! HN・匿名でもかまいません。/バナー写真撮影:田中舞 着物スタイリング:渡部あや
「同性愛」って言葉を見ると、「“同性”って、性の何が“同じ”だって思われてるんだろう」と思うんですよね。
毎週水曜朝10時の人生相談エッセイ、『ハッピーエンドに殺されない』。人生相談エッセイってなんか、著者の属性で勝負するところってあるよなあと思うんです、「LGBT当事者です」とか「海外在住です」とかね。それもいいんです、「実体験をしている人にこそ相談したい」というお気持ちの方もおられるんでしょう。
けれどわたしは、このやり方が、「属性で人を見る感じ」を強化してしまうことだけは避けたいと思っています。
「LGBTの人の連載でこう言ってたよ〜、LGBTの人ってそうなんでしょ?」
「同じLGBTどうし、あの人だったらわかってくれる!」
……みたいなやつじゃない、いつも「あなたとわたし」で話したい。人間、そろそろつるむのをやめたい。
人は言います、「自分だけみんなと違う気がして不安だった」と。 「自分みたいな人に会えて安心した」と。
それもいいんだけど、いいんだけどさ、根本的には結局人間、みんなそれぞれ違うんじゃん。“自分みたいな人間”なんか、結局、世界にたった一人で。そのことが心許なくて、誰かに「ね、あなたも仲間だよね?」って圧をかけてしまう感じ、かけられてしまう感じ……ありていに言えば「さみしさ」について、そことの決別と前進について、考えていきたいと思います。今回ご紹介するのは、「同性愛者の方から“仲間”だと決めつけられました」というおたよりです。
性的マイノリティは、微かな合図を頼りに、自分に理解のある人or恋人になれる可能性のある人を探してしまうのが普通なのでしょうか?
先日『ダウントンアビー』という英語圏のドラマを観ていたとき、登場人物のゲイ男性が発した「かすかな合図を頼りに同類を探している」という台詞を聞いて、こんなことを思い出しました。
昔、映画に出てくる同性カップルをSNSのアイコンにしていた時期がありました。好きなものをアイコンにしているとテンションが上がるという程度の認識でいました。しかしながら、そのアイコンを見た同性愛者の方から「仲間」だと認識されてしまったことがあります。
その人とはアイコンがきっかけで話が盛り上がり仲良くなりました。SNS上で友達登録したくてその人の名前をGoogle検索したら、別のサイトでその人が同性愛者としてカミングアウトしている記事がトップに出てきてしまいました。
その人を枠にはめたくなかったので、相手の性的指向を私から聞き出そうとはしませんでした。恋愛関係の話も極力しないようにしていました。同時に、相手も私の性的指向を聞いてこようとはしませんでした。
それにもかかわらず、その人が陰で、私=「同性愛者」だと決めつけて話していると聞いてしまったことがあります。何も聞かれていないのに勝手に勘違いされてしまったというのが少し悲しくなりました。
仲間だと思われてもいいけど、その気持ちに応えることはできないのに期待させてしまっているような感覚になり、申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。その気持ちに応えるために、私も同性愛者にならないといけないのか?という強迫観念も感じました。勘違いさせるようなアイコンにしていた私が悪かったと思いました。
あの時、私はどうするべきだったのでしょうか。タブーだと思って話さないようにしていたけど、もっと踏み込んだ話をしてお互いを理解するように努めるべきだったのでしょうか。
おたよりありがとうございます。
一読して「アァッ ウチのモンがすんません」みたいな気持ちに最初なったんですけど、自分で自分に突っ込みましたね。「ウチのモンって何」って。
わたし、その人のこと知らないのに。
勝手に「われら同性愛者たち一門の一人があなたを勝手に決めつけてご迷惑をおかけしました」みたいな気持ちになっちゃってさ、わたし。
で、そのあとに浮かんだのは優等生回答ですね。「お相手の方はご自分からインターネットでカミングアウトしているのに、なぜあなたはそれについて話すことをタブーだとお思いになられたのでしょうか。カミングアウトとは、出てくるという意味です。“枠にはめたくない”とおっしゃいますが、出てきたその人を枠にはめたのは、タブーという枠にはめたのは、あなたではありませんか?」みたいな。正し〜いやつ。
いや、正しいんだけどさあ。
ってなった。自分で自分に。
確かに正しいんですよ。「人間、別に、男らしい男と女らしい女で一生ワンペアでセックs……じゃなくてえっと、うーん、愛しあう関係?を結んでパパ・ママ・ぼくのニコニコ家族やっていこうと思ってる国民の皆様ばっかりじゃないんだぞ」ってことについて語るのが社会制度組む実権力握ってる人にとっていろいろ都合悪くて全般的にタブー扱いされてきたからこそ、教育・医療・婚姻・労働などの社会制度を組む上で、うーんなんて言うかな、いろんな面で“そうじゃない人”全般が制度の想定範囲外にされて困ってきたわけでしょう。だから、タブー扱いによって何が起こってきたのかということは見据えておきたい。
LGBTうんぬんの前に、根本的なさ、人を管理したい人による性差別があるわけだよね。
「男は強くなってゴリゴリ働き、女はニコニコ従順に産み育ててくださ〜い」
っていう。「そうなれない人は変態、わがまま、日陰者で〜す。努力してくださ〜い!」っていう。そういうのに「は?😀」って言い返すために、「いやいや、わたし、ここ存在してるんですけど。いないことにしないでくれます?」ってやるのが、対個人じゃなく対社会でやるカミングアウトなわけだし、メッセージとしては「タブー扱いして排除するな」なんですよね。
でもさあ。