オンライン書店「Amazon」が日本上陸したときのことを憶えているだろうか。私は忘れている。2000年秋のニュースだそうだ。出版関係者は再販制度がどうとか大騒ぎしていたけれど、「インターネットで本が買える」サービスならそれ以前からあったし、黒船襲来と言われようが、私はすぐにはピンとこなかった。
「だって本なんて、街の書店で買えばいいんじゃないの? 立ち読みもできるし」……2000年の自分のことなんてなかなか思い出せないが、この感覚だけは鮮明に憶えていて、今となってはすごく懐かしい。あの頃の私にとって本や雑誌は、洋服や靴と同じように「お買い物」の対象だった。街へ出かけてそれを眺め、熟慮の末に買って帰る行為自体が、人生をウキウキさせるものだった。
ネット購入なら玄関先まで届けてくれると言われても、むしろ配達日時を指定されて家でジリジリ待つ時間が惜しかった。休日は街でのお買い物に忙しい。ふわふわした軽いものから順に試着して、靴見てカバン見て、お茶して本買って、戦利品が腕にずっしり食い込んできたところで日が暮れる。大抵が渋谷、たまに新宿、ときどきその他のターミナル駅を回遊し、自動車を所有する気などなかったが、両手で持てないほど重いものを買う機会もそうなかった。デスクトップパソコンを新調した日さえ、自慢げに提げて持ち帰ったのだ。今となってはおそろしく古い感覚で、懐かしい。
今はポチる。何でもポチる。クルマに載らない家具でさえ玄関先に届く。それが当たり前で、とくに便利とも思わない。素敵な音楽を聴けばその場で検索してポチる、面白そうな書題を聞けばその場で検索してポチる、水や酒のケース買いどころか、今ここで立ち読みしている雑誌さえ「持ち帰るのが億劫」とレジへ運ばず手元でポチる、果てはドラッグストアの前を通りかかって「あ、トイレットペーパーきれてた、洗剤も買わなきゃ」と目にした商品をiPhoneでポチる、……いつからそんなふうになったんでしょうね? なかなか思い出せない。私は忘れてしまっている。
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