人生って何がどうなってどうなるかなかなか予想できないですよね。
予想しても思わぬところで思わぬことが起こったりして「あれ、こんなはずじゃなかったのに。」とか「あ、こういうことになるのか・・・。」とか思ってみたり・・・。
アラフィフと言っても人生100年時代があながち嘘ではなくなってきた今日この頃・・・まだ半分しか来ていません・・・長っ!
若干(あえてそう言いますが)48歳の私の人生を振り返ってみてもターニングポイントだったかなと思える場面がいくつもありますが、やはりその後の未来に影響を及ぼしているのは、「出会った人」でした。
まずどういった家に(どんな家族がいる家に)生まれ落ちるかで最初のポイントがきます。
その後どんな先生や友人に出会ったかによって様々なポイントを通過して来て、それらがまた次のポイントに繋がっていって今に至っているように思います。
私の場合も色んな人々との出会いが大きくその後の人生を左右して来ました。
数え上げればキリがないですが、おっきめのポイント通過は
1.中学受験、入学
2.16歳で「劇団☆新感線」出演
3.18歳でモデル事務所所属
4.19歳で大学受験、入学
5.24歳で結婚
6.34歳で出産
7.38歳でヨガセラピスト資格取得
8.48歳でメディカルヨガインストラクター、メディカルアロマセラピスト資格取得
・・・こんな感じです。
1は主に親が関わっていて、2と3は勧めてくれた友人がいたから実現したことで、4はモデル業が思いのほか順調で逆に不安になり「このままではダメだ」と自分で決断したつもりだったけど、母は「私が勧めた」と言っています。
こういうコンポジット(オーディション用資料)を毎年作っていました(⬆︎20代後半から30代前半のもの)
5は相手があることなのでもちろん夫と決めましたが、ここへ至ったのは2が大きく関係しています。
2がなかったら私と夫の人生に接点など全くなかった訳ですから・・・あの時「一人で行くのが不安だから一緒にオーディションを受けて欲しい。」と誘ってくれた友人がいなければ、夫には出会っていませんでした。
その当時、大阪の梅田にあった劇団稽古場の隣の劇場でたまたま夫が公演に客演として出演していて、更に夫のファンだという女子大生がオーディション組にいて、会いに行きたいからついて来て欲しいということで、握手してもらいに行ったのが最初の出会い(私は後ろにいただけでしたが)ですので、その女子大生の存在にも感謝しなくてはなりません。
自分自身は、「劇団☆新感線」も「槍魔栗三助」(当時の芸名)も全く知らなかったのですから・・・。
3はこれまた友人が「この雑誌がモデルを募集していて、最終審査まで残れば推薦者である私も交通費が出て一緒に東京へ遊びにいけるから、応募してもいい?」と、ティーン誌(「mc.sister」・・・現在廃刊)のモデル募集記事の切り抜きを学校へ持って来たことがきっかけでした。
結局そのオーデションは全く連絡がなかったので写真選考も通らなかったのかと思っていたら、審査員だったモデル事務所の方が写真を見て大阪までスカウトに来てくれました・・・その雑誌は10代前半で応募するようなヤング向けティーン誌だったため18歳での応募は遅かったらしい・・・お恥ずかしい・・・。
自分自身はもう少しターゲットが上の雑誌(「non-no」とか)を読んでいたので買ったことがなく、よくわかっていなかったのです。
6はまさに授かりものであり、7、8は自分で決めましたがやはりそこには「家族との関わり」が影響していると思います。
「ヨガを人に教えたい」と思ったのは数年前に夫婦で「スタジオ付きの家」を購入した事が最初のきっかけとなりました。
5年前くらいに雑誌に取材していただいた時のもの(「美スト」)
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