嫌われたくない」と恐れていることは「好きになって」と求めているのと同じ

バズ(この場合は、ネガティブかポジティブかというよりも、情報拡散に参加する人数が多い状態)に、自分が接するとき、その最初の目撃者になることはあまりなくて、大体はすでに盛り上がっているものを目撃することが多いですよね。その状態を「学生時代の、自分だけ長期間休んだあとの教室の空気とすごく似ています。」と書いている土門さん。SNSとの最適の距離とは現代人の基礎教養とも言えますが、しかしこれがなかなか難しい。交換日記第39回は引き続きSNSの送受信について。毎週火曜日更新です。

サクちゃんへ

こんにちは。

だんだん寒くなってきました。そしてコロナがまた流行ってきていますね。今日はうちの保育園から久しぶりに登園自粛を要請され、4歳の次男を休ませて家で見ながらこれを書いています。

今年の春頃には、登園自粛要請が出るとあたふたしていたものですが、やはり慣れというのはあるもので、今回は「そっか」という感じで粛々と仕事のリスケジュールを行っています。

わたしも個人として、ちょっとずつアップデートしていっているんでしょうね。
一度経験したことを、二度目に経験したときには、心はそんなに揺れなくなっている。
心配や不安ではなく、行動によってのみしか対処できないと学んだのは、このコロナで得たひとつの教訓だったように思います。

ー・-・-

さて今回はSNSの話ですね。

いやぁ、SNS。愛おしくも厄介なツールです。わたし自身毎日愛用しては、予想以上に時間をとられて慌てたり後悔したりしています。

サクちゃんはこの前、SNSを1か月やめてみたそうですね。
理由はわからないけれど違和感を覚えるから、一度距離を置くと決める。サクちゃんはそういう「違和感」に敏感で、「距離を置く」ことができ、なおかつ「決める」ことができる人です。そんなところを、わたしはいつも尊敬しています。つまり、「ひとり」でいられる人だということ。これはなかなかできないことです。

わたしはこの春、スマートフォンからFacebookとTwitterのSNSアプリを消しました。今も消えたままです(Instagramだけはスマホからじゃないと投稿できないので残しています)。その結果、SNSに触れる時間は格段に減りました。パソコンを開いているとき以外は、ほとんどアクセスしません。

わたしがアプリを消したのも、サクちゃんが言うように「受信過剰」になっていたからです。今回のコロナの騒動で、この春は普段よりも情報を得ようとしていました。それ自体は悪いことではないのだけど、SNSの情報は玉石混交なので、ときどき尖ったもので心が刺されてしまうようなことがあります。そういう不意の事故が続くうち、どんどん自分が磨耗されていくような気持ちになりました。

でもそれと同時に、ちょっとしたスリルや快感もあったのも事実です。だからどんどん磨耗しているのがわかっているのに、なかなかやめられなかった。こんなことは以前からあったことなのですが、コロナでそれがぐっと可視化されました。
だから、距離をとるにはいい機会だったのだと思います。

ー・-・-

距離をとってよかったことは「ノリ」がよくわからなくなったことです。

たとえば、Twitterでわたしがフォローしている方たちは近い属性を持っていることが多いので、ぜんぜんつながっていない方たちが同じ時間帯に同じ話題に興味を持ち盛り上がることがあります。
そういうとき、Twitterという短文投稿の性質上、主語や目的語がないままに意見や感想が述べられることがあるので、パッと見「これはなんのことについて話しているんだろう?」とわからないことがあるんですよね。

前まではなんとかそれについていけていたし、そのごく短時間の同時代性がおもしろくもあったのですが、SNSへの訪問頻度を抑えるうちに、わからないものはまったくわからなくなりました。ノリや空気がわからなくなったんですね。

この感じ、学生時代の、自分だけ長期間休んだあとの教室の空気とすごく似ています。
みんなには連綿と続く文脈があるようだけど、わたしにはその文脈がわからない。最初はそれが少し寂しかったり焦ったりもしましたが、次第に「まぁ、だいたいはわからなくてもいいことなんだよな」と気がつきました。

するとどうなるかと言うと、流すことができるようになったんです。
わたしには関係ないことだよな、と。 そのとき改めて気がついたんですけど、SNSに書いてあることって、だいたいのことが関係ない。関係あることだったら、直接連絡が来たり、すでに知っているはずですもんね。

SNSを始めたころは、そんなことわかりきっていたんですよ。たかがSNSだと。
でも毎日使っているうち、いつの間にかSNSが日常において重要なもの……「自分に関係していることが書かれているもの」のように感じるようになっていた。自分もなにか言わないといけないような気になるし、みんなの意見やノリを内面化して「みんなが怒らないようにしよう」と思ってしまっている自分もいる。されどSNSですね。
「自分に関係している」と感じるというのは、依存につながるひとつの理由だと思います。

でも「だいたい関係ないんだな」ということがわかったので、それからはあんまりノリとか空気とか気にせず、受信しても流すことができるようになりました。重要度が薄まったので、依存もだんだんしなくなってきたし。

サクちゃんは「自分と関係あることと関係ないものの区別をする線が曖昧になった」ことを、SNSでの違和感の理由にあげていましたが、多分わたしもそうだったのだと思います。

ー・-・-

今のは受信について。
逆にわたしがSNSで発信するときに気をつけていることは
「読み返しても嫌な気持ちにならないものだけを書く」
ということです。

愚痴、悪口、誹謗中傷などは書きません。読み返しても気持ちよくないから。 そして、言葉は必ず自分に返ってくるからです。

言葉を発し、それを誰かが受け取ると、そこで「関係」が生まれます。双方向じゃなくても知り合いじゃなくても、受信された時点で、一方通行とは言え「関係」が誕生します。

さきほどわたしは、「SNSに書いてあることは、だいたい自分に関係ない」と気づいたと書きました。逆に言えば、意識しなければ「SNSに書いてあることが、だいたい自分に関係ある」と思ってしまう。つまり自分の書いたことが、誰かにとって「関係ある」ことになってしまい、そこでわたしとその人の「関係」が知らぬ間に築かれるということです。
人の目に触れるところでものを書くというのは、そういうことだと思っています。

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サクちゃん蘭ちゃんのそもそも交換日記

土門蘭 /桜林直子

東京でクッキー屋さんをしている「桜林直子(サクちゃん)」と、京都で小説家として文章を書く「土門蘭(蘭ちゃん)」は、生活も仕事も違うふたりの女性。この連載は、そんなふたりの交換日記です。ふたりが気が合うのは、彼女たちに世界の「そもそも」...もっと読む

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emaaanooooo 「与えよ、さらば与えられん」 良い言葉。心を自ら開かなければ、相手の心は開かない。患者さんから学んだこと。 https://t.co/j6iqG9oqjX 4ヶ月前 replyretweetfavorite

LEIMENdao #スマートニュース 4ヶ月前 replyretweetfavorite