恋愛が成り立ちづらい時代
伊藤聡(以下、伊藤) 今の時代は、成人式がきたからって大人になるわけでもないし、人として成熟する機会って恋愛くらいしかないと思うんです。そういう意味では恋愛ってすごく大事なのに、風潮としては恋愛から逃げたいという人が増えているように思えます。
町山智浩(以下、町山) 日本だけでなく、今は世界的にみんな、恋愛や結婚をしなくなってきていますよね。アメリカでもその傾向はあって、恋愛はめんどくさいからしないという人が増えています。
伊藤 そうなんですか。勝手なイメージですけど、アメリカ人はもっと恋愛に対して積極的なイメージがありました。
町山 まあ、プロム*1があったり、男が女を誘う機会は日本よりあるかもしれないですけど、女の子をナンパして口説く、いわゆるフックアップ・カルチャーは一部の人だけのものになりつつあります。クラブで踊って女を口説くみたいなことは、アメリカでもエグザイル的な人しかやらなくなったんです。独身率も1960年には15%だったのが、2010年には28%に上がっている。
*1 高校生活の最後にあるダンスパーティー。参加は原則として男女ペア
伊藤 ああー。
町山 これって男が全体的に弱くなったから、ではないと思うんですよ。もっと構造的な問題がある。かつては、恋愛も結婚もお互いの家族・親戚や地域社会に縛られていましたよね。それによって、簡単に離婚できなかった。その代わり、夫婦の揉め事は周りに相談すれば何とかなったし、結婚自体もお見合いなどで周りがセッティングしてくれました。
伊藤 そうですね。
町山 ところが、近代以降になると、核家族化が進んで男女が二人だけで結婚・子育てをするようになりました。日本だと、戦後からになるのかな。夫婦が世界の中で孤立した状態になる。すると、旦那が浮気をしたとしても、誰もどうにかしてくれない。夫婦ふたりだけの関係で争いが起こったら、もう決裂するしかありませんよ。
伊藤 なるほど……。
町山 だから、世界的に見ても離婚率は上がってきている。社会の変化によって、今我々は人類史上初の局面にぶつかっているわけです。
伊藤 これは深い問題ですね。昔の日本映画には、誰と誰をくっつけようとまわりがあれこれ世話を焼く話がよくありますよね。
町山 小津安二郎の映画がそうでしたね。
伊藤 増村保造の映画にもありました。昔は自力で結婚できない人がほとんどだったんじゃないかなと思います。
町山 カップル成立のお膳立てとしての村祭りなどもありましたしね。どんな人でも結婚相手を見つけられるようになっていた。ところが現代は、恋愛も全部自己責任。自由主義経済と一緒です。そのなかで皆同じように恋愛をしろと言われても、キツすぎると思います。
伊藤 うむむ、たしかに。
町山 近代以降、個人個人が自分の判断で投票する民主主義システムができた。それによって、みんな自我、近代的主体を持つようになった。でも、異性との関係では自我を主張したらダメですよね。だから、器用に自我のスイッチを切ったり入れたりできる人じゃないと無理ですよ。
伊藤 あああ、たしかになあ……。
右翼でも、左翼でもなく、「無欲」でいこう
町山 自由主義経済のように恋愛する社会だと、やっぱりエグザイル的なイケイケなやつに勝てないですよ。上戸彩も、長澤まさみも、エグザイルが全部持って行っちゃう。あと、キャンドルアーティストとか(笑)。