五
南東に一里半(約六キロメートル)ほど馬を走らせると、茶屋峠に向かう仏木坂に出た。この坂は道幅が広く、優に二間余(約三・六メートル)はある。
清正一行が坂を登ろうとした時だった。突然、左右の崖上から敵が姿を現した。兵の背旗は大中黒の紋所なので、あきらかに木山弾正の兵だ。
清正が馬を止めると、その周囲を馬廻衆が取り囲み、鉄砲隊が前面に並ぶ。ただし敵が降伏を申し入れてくるかもしれないので、清正はまだ戦闘開始の命を下さない。
──たいへんなことになった。
清正の馬の背で、藤九郎は小刻みに震えていた。ゆばり(小便)を漏らしそうになったが、清正の馬の上で漏らすわけにはいかない。
「何奴だ!」
清正の問い掛けに、後方から一人の武士が進み出てきた。背丈が六尺はあり、その美髥は胸まで垂れさがっている。
「木山弾正に候!」
「そなたが弾正か。武名はかねがね聞いている。わしが加藤清正だ」
清正は普段以上に落ち着いている。
「武名高き加藤公に相見えることができ、武士として、これほどの誉れはありません」
弾正が深々と頭を下げる。どうやら降伏を申し出てきたらしく、藤九郎はほっとした。
「無駄に兵を損じず、降伏してくるとは殊勝である。それゆえそなたら全員を許し、以後、わが手勢に加えてやる」
「はははは」
ところが弾正は、大きな口を開けて高笑いした。
「何を笑う!」
「加藤殿、勘違いもほどほどになされよ。この弾正、降伏するとは申しておらぬ」
「何だと──。では戦うつもりか」
清正の周囲を守る者たちが身構える。
「そうだ。他人の土地を勝手に奪い、領民の糧を収奪する。それが猿関白のやることか。その手先となっている者は、猿以下の犬ではないか」
「よくぞ申した!」
清正の体が熱を帯びてくるのを背後で感じる。
「では、お手合わせ願おう」
小姓から槍を受け取った弾正は、それを数回しごくと崖の下に下りてきた。
「一騎打ちを所望するのか」
「しかり。大将どうしの一騎打ちなら即座に決着がつき、兵を損じることもない」
「ははは、田舎武士にしては見事な心映えだ」
今度は清正が高笑いする。
「筒衆、下がれ」
鉄砲隊に下がるよう清正が命じたが、筒衆頭は動かない。
「わしは下がれと申したぞ!」
雷鳴のような怒声に驚き、ようやく鉄砲隊が後方に下がっていく。
清正が肩越しに命じる。
「降りろ」
「へっ」
「降りろと申した」
「はっ、はい」と答えつつ、藤九郎は転がるように「帝釈栗毛」から飛び降りた。
「して弾正、得物は何がよい」
「加藤殿の得意な槍で構わぬ」
「ははは、よき覚悟だ」
清正は「帝釈栗毛」から降りると、小姓が槍を差し出した。
誰一人として、清正自ら槍を取ることをいさめる者はいない。
──それが加藤家なのだ。
もしも清正が弾正の槍に掛かれば、加藤勢は瓦解する。
──つまり殿が敗れれば、わしの命もないということか。
藤九郎は恐怖のあまり下がろうとしたが、背後には兵が満ちており、それもままならない。
──だが、おかしいではないか。
清正は昨夜、行長との談議で「もはや、われらは一騎駆けではない」と言いつつ、「高所に立つ者の考え」を強調していた。その話とは矛盾していると、藤九郎は思った。
二人が対峙する。
弾正は威嚇するように霞上段の構えを取る。緩やかな坂となっているので、高所にいる弾正の方が有利となる。一方の清正は槍を中正眼に構え、位置を変えようとはしない。
清正が一歩、前へ出る。それに合わせるように弾正が下がる。その顔には、先ほどまでの余裕が失せている。
──そうか。分かった。あれは矛盾ではないのだ。
藤九郎は、ようやく清正の真意に気づいた。
──殿には、絶対の自信があるのだ。
清正がまた一歩出る。弾正が下がる。もはや勝敗は明らかだ。
目に見えぬ殺気が周囲に漂う。それに気圧されるように弾正がまた一歩下がる。弾正の顔色は蒼白で、肩が激しく上下している。
「キエーッ!」
突然、弾正は化鳥のような気合を発すると、左上方で槍先を回転させながら突進してきた。位置の優位性を生かし、一気に勝敗を決しようというのだ。
弾正が槍を打ち下ろす。それを清正がかわすと、体勢を立て直した弾正は、清正の胴めがけて槍を突いた。
「キエッ、キエッ!」
九州人独特の甲高い気合を発しつつ、弾正が槍先と石突を交互に繰り出す。
それを払いつつ清正が下がる。まだ攻撃には移らない。
いったん攻撃をやめた弾正は、槍の重みに耐えかねたのか、肩で息をしている。
「それで終わりか」
「何!」
「では、参る」
そう言うと清正は、大地が裂けたかのような気合を発した。
「ぐおーっ!」
弾正が目を瞠る。
清正は右手だけで握った槍を背中に回して回転させると、石突で弾正の顔を突いた。一瞬、槍が死角に入る目くらましの一種だ。
「がっ!」
弾正の鼻が砕ける。
「まだまだ」
清正がすかさず弾正の裾を払う。
「ぎゃっ!」
足に傷を負った弾正の姿勢が低くなる。それが狙いだった。
清正は左足を踏み出すと、右膝をついて槍を繰り出した。
次の瞬間、弾正の喉仏から鮮血が噴き出した。六尺に及ばんとする体躯が数歩下がると、どうとばかりに倒れた。
一瞬、静寂が訪れた後、木山勢が逃げ出した。
「深追いは無用だ。隊列を組んで茶屋峠に登れ!」
「おう!」
清正の命を聞いた配下の者たちは、隊列を整えて山頂を目指した。藤九郎も遅れじと坂を登る。
清正は自らの手で弾正の首をかき切ると、手を合わせ、「南無妙法蓮華経」と念仏を唱えた。
──武士とは何と恐ろしいものか。
とても自分にはできない稼業だと、この時、藤九郎は思った。
その後、殿軍を担った和田勝兵衛の部隊も追い付いてきた。幸いにして敵の追撃はなく、和田隊と無事に合流を果たすことができた。
十一月八日、清正と行長は、志岐城に惣懸りを掛けて落城に追い込んだ。
抵抗をあきらめた志岐麟泉は、わずかの兵を率いて島津領へと逃れていった。
この戦いで、志岐勢は四百六十三もの首級を献上したが、加藤・小西両勢の損害も大きく、三百七十もの死者を出した。
続いて加藤・小西両勢は、天草種元の本渡城に押し寄せた。本渡城は志岐城の東二里半ほどの東海岸にあり、三方が切り立った崖で北方だけが尾根続きとなっている攻め難い城だ。それでも寄手の戦意は旺盛で勝敗は歴然だった。
十一月二十一日に始まった攻防戦は壮絶なものとなったが、二十五日の惣懸りで決着がつき、天草種元は妻子を刺し殺した上で自害した。
この戦いで城方は七百三十、豊臣方は六百三十もの戦死者を出した。いかに城方の抵抗が激しかったとはいえ、加藤・小西両勢が競い合うように攻め寄せたことが、これだけの損害を生んだ原因となった。
これらの激しい城攻めを体験した藤九郎は、大軍に攻められた際の城というものの虚しさを知った。だが難攻不落の城を築くことで、寄手は攻撃をあきらめるのも事実なのだ。
──攻め難い城は籠もっている者たちだけでなく、寄手の生命をも守るのだ。
藤九郎は、そんな城をいつか築きたいと思った。
cakesは定額読み放題のコンテンツ配信サイトです。簡単なお手続きで、サイト内のすべての記事を読むことができます。cakesには他にも以下のような記事があります。