殿は、将たる者がどうあるべきかを知っている」|もっこすの城 熊本築城始末

熊本城に生涯を賭した築城家の一代記、感涙必至の戦国ロマン! 織田信長の家臣・木村忠範は本能寺の変後の戦いで、自らが造った安土城を枕に壮絶な討ち死にを遂げた。遺された嫡男の藤九郎は家族を養うため、肥後半国の領主 加藤清正のもとに仕官を願い出る。父が残した城取りの秘伝書と己の才知を駆使し、清正の無理な命令に応え続ける藤九郎──。次から次に持ちあがる難題に立ち向かう藤九郎は、日本一の城を築くことができるのか。

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 秀吉から「誅伐ちゆうばつ許可」をもらった小西行長は、宿老おとなの一人の伊地知いじち文太夫ぶんだゆうに三千の兵を託し、天草へと向かわせた。むろん伊地知には、天草・志岐両氏に降伏を促すべく、秀吉から討伐令が出ていることを知らせるよう命じておいた。

 この時点で行長は、天草・志岐両氏が秀吉の討伐令を知り、平身低頭して許しを請うなら赦免するつもりでいた。行長としては同じキリシタンを殺すに忍びなかったからだ。

 天草袋浦ふくろうらに上陸した伊地知文太夫は、まず志岐城に降伏勧告の使者を送った。ところが和談(講和交渉)に応じるどころか、志岐麟泉は夜襲を敢行して伊地知勢をさんざんに打ち破った。この時、船も焼かれ、逃げ場を失った三千の兵の大半が殺された。

 これに呼応するように、同じ天草国人領主の大矢野おおやの栖本すもと上津浦こうつうらの三氏も反旗を翻した。

 天草諸島は下島を中心として、上島かみしま長島ながしま、大矢野島、じましようらじまなどから成る群島だが、天草・志岐両氏は下島の、大矢野氏は大矢野島の、栖本・上津浦両氏は上島の領主であり、それぞれ独立自尊の気風が強い。そこにきて各島が水軍を駆使して連携すれば、十分に戦えると踏んでいた。つまり天下の兵を率いる秀吉を侮っていたのだ。

 伊地知勢壊滅の知らせを聞いた行長は討伐を決意し、領内に陣触れを発した。だが万が一にも敗れるわけにはいかない。そのため清正にも援軍を要請した。

 これを聞いた隈本城は色めき立った。


 十月、隈本城ほん曲輪くるわ前の広場に加藤家中が整列していた。その数は千五百余──。

 集まった将兵たちは、緊張の面持ちで清正の登場を待っていた。藤九郎もその中にいる。

 やがて清正が姿を現した。

 色々おどしに片肌脱ぎの胴具足を着け、小姓に烏帽子兜えぼしかぶとを持たせた清正が、居並ぶ者たちの前に立つ。

 その威厳ある姿を見た将兵からは、しわぶき一つ聞こえない。ただ風に叩かれた背旗の音だけが耳朶じだを震わせる。

「皆の者、よく聞け!」

 大地が揺らぐかと思えるほどの大音声がとどろく。

此度こたびの戦は、わが家中がこの地で戦う初めてのものになる。それゆえ敵に背を見せることはもとより、小西勢にも後れを取るわけにはまいらぬ。万が一!」

 清正が一拍置いて将兵を見回す。

「一歩でも退く者がおれば、その場で首をねる」

 武将や物頭はまなじりを決し、兵たちは青ざめている。

「また、物頭の命に反した者や抜け駆けの功名を図らんとした者も、そのっ首を叩き落とすから覚悟しておけ!」

 強風が砂塵さじんを巻き起こす。そこにいる者たちのおそれを形にしているかのようだ。

 ──これが将たる者の器なのか。

 その威風堂々たる清正の姿に、藤九郎は圧倒されていた。

「この戦こそ、加藤家の命運が懸かっている。それゆえ力の限り戦うのだ!」

「おう!」

 清正があごで合図すると、代わって佐々平左衛門へいざえもん政元まさもとが進み出た。

 政元は、天草へと出陣する第一陣の大将を任じられていた。佐々という姓からも分かる通り、佐々家旧臣で成政の縁者にあたる。

 第一陣となる先手の大半は、加藤家への忠節を示さねばならない立場の佐々家旧臣団から成っていた。清正は彼らに先手を務めさせることで武功を挙げさせようとしていた。だが逆に考えれば、捨て石となることを運命付けられた部隊でもあった。

「これから法度書はつとがきを述べる!」

 清正に負けじと、政元が大声を張り上げる。

「一つ。わが家中は厳正な軍紀を旨とする。それゆえいかに寒気が厳しくとも、着衣の乱れは許さん。とくに一手の将や物頭は、指物を背に差したまま陣羽織を着るといったことをしてはならない。常に兵の手本となるよう心掛けよ」

 清正は着衣の乱れを嫌う。着衣の乱れから来る心の緩みは、兵の弱さにつながるからだ。

「一つ。一手の将や物頭は、功を焦って勝手な戦をしてはならない。いかに敵が攻めやすい場所に出てきても、わしの許しがない限り、討ち掛かってはならん」

 清正は小さな勝ちを好まず、最終的な勝利を得ることを常に心掛けていた。

「一つ。それぞれの役割をわきまえ、やり持ち(下級武士)を夫丸に使ったりしてはならない。槍持ちを夫丸に使えば、いざという時に疲れて使い物にならないからだ。同様にうままわりしゆうが使者として先手陣に派遣された際、兵力と見なしてはならない。使者は使者ということを忘れるな。同様に馬廻衆も、勝手に敵に討ち掛かることを禁じる」

 戦では、それぞれが役割を全うすることが大切だと、清正は知っていた。信長以前は、どのような役割があろうと敵を討ち取って首級を挙げれば恩賞がもらえたので、使者は使者の役割を果たさず、夫丸は分捕りに血道を上げる始末だった。清正は、そうしたことをやめさせることが家中の強さにつながると、その豊富な経験から学んでいた。

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もっこすの城 熊本築城始末

伊東潤

藤九郎、わしと一緒に日本一の城を築いてみないか――。 織田信長の家臣・木村忠範は本能寺の変後の戦いで、自らが造った安土城を枕に壮絶な討ち死にを遂げた。遺された嫡男の藤九郎は家族を養うため、肥後半国領主加藤清正のもとに仕官を願...もっと読む

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