とくに伊藤さんはずっと政治の第一線にいる」|素志貫徹(十六)1

豪腕作家として知られる伊東潤が描く、大隈重信の成長譚! 早稲田大学の創始者で、内閣総理大臣を2度務めた大隈重信という男はどのような人物だったのか? 幕末の佐賀藩に生まれ、明治期に藩閥政治から立憲・政党政治への道筋を切り拓いた男の思想と生涯とは。青年期から最晩年まで、「走る人」「闘う人」「創る人」「聞く人」として駆け抜けた、令和版大隈像をお楽しみください。

十六


 明治二十八年(一八九五)一月一日、母の三井子が死去した。満八十八歳の大往生だった。三井子は二男二女をなしたが、大隈の弟と姉の一人は早世し、生き残っているのは大隈と姉の一人だった。

 いよいよ危ないとなった時、大隈は佐賀にいる姉に上京してもらい、二人で母を看取った。

 大隈も今年で五十八歳になる。右足をなくして歩行に難はあるものの、体は健康だった。しかし年齢的にも時代から取り残されていく感は否めず、このまま老いていくだけかと思うと、一抹の寂しさはあった。

 大隈のそんな思いをよそに、世の中は日清戦争の勝利で沸き立っていた。

 四月十七日、清国との間に講和条約が結ばれた。下関条約である。日本は旅順・大連を含む遼東半島と台湾・澎湖諸島を割譲させ、賠償金として二億テール(当時の日本円で約三億一千万円)を獲得した。さらに清国に朝鮮国に関するすべての権益を放棄させ、沖縄とその島嶼群が日本の領土であることを認めさせた。

 大隈の予想した通り、伊藤と陸奥は軍部の圧力に抗しきれなかったのだ。

 だがその直後、ロシア・ドイツ・フランスの三国は、日本による遼東半島の占領は清国の独立を危うくするものとして、返還を勧告してきた。三国干渉である。これにより政府は、三国に軍事力で抗し難いとして勧告の受諾を決定する。

 後のことだが、三国干渉によって清国から日本を追いやった見返りを三国はもらっている。ロシアは旅順・大連を、ドイツは山東半島の膠州湾を、フランスが雷州半島の広州湾を、さらに三国には入らなかったものの、イギリスが九龍と威海衛の租借権を得ていた。

「清国保全論」を唱える大隈には嘆きしかなかった。

 大隈は議会での演説で、こう唱える。

「日本は、欧州列強と張り合うようにして清国に領土を求めるようなことをしてはならない。清国との親善は極東の平和の基盤を成すものであり、清国を指導して近代化を推し進め、やがては双方に利のある貿易を行う。これが日本の進むべき道だ」

 日本は遼東半島を占拠して植民地化を進めようとしており、大隈はそれに多大なコストが掛かることを危惧していた。

 言うまでもなくロシアは日本の遼東半島領有を認めず、アジアへの進出に出遅れていたドイツとフランスと手を組んで強硬に干渉してきた。

 それなら初めから清国に寛容な条件を提示すれば、清国も日本に恩義を感じるはずだった。結局、遼東半島は手放し、清国からは恨みを買うという虻蜂取らずの結果になってしまった。だが国民の強硬姿勢を背景にした軍部の圧力が、大隈ら下野している者たちの予想をはるかに上回っていたのも事実だった。

 ところが案に相違し、自由党系と改進党系の衆議院議員らは、こうした伊藤の弱腰を糾弾し始める。すでに立憲改進党は尾崎行雄が牛耳っており、また分派した清国進歩党は犬養毅が中心となり、大隈が影響力を及ぼせなくなっていたのだ。

 大隈は回顧録で、「学校(東京専門学校)を叩きつぶしてやる」とまで言い放った尾崎を「無邪気で面白い」と評し、犬養に対しては「犬養君は時々狼のように食ってかかるが、世の中には狼も必要である」と言って、上に立つ者の余裕を見せているが、実際は大隈のコントロールが及ばなくなっていたのだ。

 その一方、政府内では、日清戦争後の軍備拡張をめぐって激論が戦わされていた。軍部と妥協しようとする伊藤に対し、蔵相の松方正義は健全財政を唱えて軍備拡張策を否定して互いに譲らず、妥協点が見出されぬまま、松方は八月二十七日に辞任した。

 しかも陸奥が結核を患ったことで、西園寺公望が外相代理の座に就く。肝心なところで陸奥が病床に伏したことは、伊藤にとって大きな痛手となった。

 こうしたことから、伊藤内閣が十一月には解散し、新たに松方が首相兼蔵相、松方と同じ軍備拡張反対派の大隈が外相という観測が流れ始める。実際に伊藤は辞意を表明するが、周囲に押しとどめられて撤回するという一幕もあった。

 そんな最中の十月八日、伊藤が大隈の許を訪れた。

 —しばらく見ぬ間に随分とふけたな。

 伊藤は大隈より三つ下の五十五歳だが、その顔は老翁のようで、髪の毛も薄くなってきていた。だが伊藤も、大隈に対して同じ思いを抱いているかもしれず、まさにお互い様だった。

「訪問の趣旨は、推察いただいていると思いますが—」

 伊藤はその面に心痛をあらわにしていた。

「まあ、お掛け下さい」

 伊藤が「ふう」とため息をつく。

「すいません。近頃は膝が痛みまして」

「われわれも年ですからな。とくに伊藤さんはずっと政治の第一線にいる。その緊張の連続が、体にはいかんのです」

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威風堂々 幕末佐賀風雲録

伊東潤

豪腕作家として知られる伊東潤が描く、大隈重信の成長譚! 早稲田大学の創始者で、内閣総理大臣を2度務めた大隈重信という男はどのような人物だったのか? 幕末の佐賀藩に生まれ、明治期に藩閥政治から立憲・政党政治への道筋を切り拓いた男の思想と...もっと読む

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