十三
怪我が快復した十二月、大隈は辞表を提出し、それが受理されたことで、正式に内閣から身を引いた。その間、三条実美が臨時の総理大臣に就任していたが、与党となっていた立憲改進党の矢野文雄らは、必死に大隈外交の継続を働き掛けていた。だが巻き返しは成らず、年末近くなって、大隈の進めてきた条約改正交渉は、すべて取り消されただけでなく、交渉自体が無期延期とされた。
こうしたドタバタ劇は列強の冷笑を買うだけで、日本政府の足並みの乱れを見透かされた格好になった。
三条内閣の解散と同時に、大隈の政策を常に否定してきた山縣有朋が組閣することになり、大隈の条約改正方針は完全に息の根を止められた。
立憲改進党も、一年後に控えた議会開設を与党として迎えることができず、政党として大きな挫折となった。
明治二十三年(一八九〇)七月に行われた総選挙において、立憲改進党は総議席三百中、四十六議席しか獲得できず、まれに見る惨敗を喫した。
これに失望した矢野文雄は一切の政治活動から手を引くことにする。小野梓亡き後、大隈と立憲改進党のブレーンとして政局を切り回してきた矢野だが、いつまでも藩閥政治を引きずる政界に失望し、宮内庁の官吏になって残る人生を過ごすことになる。
また大隈とはさほど近くないものの、同じく立憲改進党を支えてきたリーダーの一人の沼間守一も病没し、立憲改進党は与党どころか野党としても活動の継続が困難になってきた。
大隈は枢密顧問官という閑職に就けられ、外相時代とさほど変わらない「前官の待遇」を受けることになるが、この措置は、去りゆく者への伊藤の「武士の情け」と取れないこともなかった。
もはや日本は、大隈という劇薬を必要としておらず、明治二十三年で五十三歳になる大隈には、寂しい晩年だけが残されていると思われていた。
大方の予想では実業界へと転身すると見られていた。というのも大隈は、不動産の売買などで、この頃には莫大な資産を有しており、その敏腕ぶりは、つとに有名になっていたからだ。
——これで終わってたまるか。
右足が癒えるに従い、大隈の胸内から新たな闘志がよみがえってきていた。
ここまで培ってきた大隈の構想力、実行力、情報収集力、交渉力、人脈、見識、闘志などは、誰も追随できないほどになっており、それを使えば、岩崎一族の三菱財閥のような一大企業体を築くのも不可能ではなかった。
だが大隈は実業界に転じることなど微塵も考えておらず、政治家として、まだまだ国家のために尽くすつもりでいた。
明治二十三年の正月明け、自宅で療養している大隈の許を福沢諭吉が訪ねてきた。
「お久しぶりですな」
「此度は、たいへんな災難に遭いましたね」
無聊を持て余し気味だった大隈は、福沢のような識者の見舞いは大歓迎だった。
二人は世間話などをしながら、徐々に政界の話に移っていった。
「今回の件で分かったのは、大隈さんが生粋の実務家だということです」
「実務家ですか。佐賀藩出身者にとって最高の褒め言葉です」
佐賀藩という小さな池の中にいた頃には当たり前と思ってきたことも、中央政府に出仕してから気づかされたことが多々あった。その中で最も大きなものが、空理空論を滔々と述べる者にも、それなりの評価が下されることだった。彼らは理想論を言うので、他人を惹きつけられる。だがその理想を実行案に落とし込む術を持たない。もちろん予算などという下劣なことは毫も考えない。
そのあたりを徹底的に教育されてきた佐賀藩出身者にとって、「世の中には、こんな人間もいるのか」と、逆に驚きだった。
それは維新三傑にしても、三条や岩倉にしてもさして変わらない。彼らは「それはいい案だ。で、どうする」と大隈や江藤に尋ねる。大隈や江藤が道筋を示すと、自分で考えたかのように吹聴する。維新になってからは、そんなことの繰り返しだった。しかし伊藤や井上といった知恵者や維新後に頭角を現してきた若い世代は、早々に大隈たちの能力を見抜き、自分たちもそれに倣うようになった。これにより大隈たちは差別化要素を別に求めねばならなくなり、それができない者は、次第に閑職へと追いやられていった。
今回の大隈の失脚や佐賀藩出身者たちの伸び悩みは、「もう自分たちでできるので、お前らは要らない」という点に根差していた。
福沢が唐突に言う。
「大隈さんは有能すぎる実務家だから、大局が見えていないのです」
「なるほど。木を見て森を見ずというやつですな」
「そうです。しかも他人が馬鹿に見えて仕方がない」
「ははあ、なるほど。でもその癖は、どうしても直りません」
西郷は自分を馬鹿に見せる、ないしは巨大な空洞のように見せることで、人々を惹きつけた。誰もがその空洞に抱かれたいからだ。ところが大隈はその真逆で、他人を受け容れる余地などほとんどない生き方をしてきた。
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