くれぐれも身辺にはお気をつけ下さい」|素志貫徹(十) 1

豪腕作家として知られる伊東潤が描く、大隈重信の成長譚! 早稲田大学の創始者で、内閣総理大臣を2度務めた大隈重信という男はどのような人物だったのか? 幕末の佐賀藩に生まれ、明治期に藩閥政治から立憲・政党政治への道筋を切り拓いた男の思想と生涯とは。青年期から最晩年まで、「走る人」「闘う人」「創る人」「聞く人」として駆け抜けた、令和版大隈像をお楽しみください。


 明治二十一年(一八八八)五月一日、黒田清隆内閣が発足した。閣僚はほぼ横滑りで、伊藤内閣の外務大臣を三カ月ほど務めた大隈も、引き続き外務大臣を務めることになった。

 黒田内閣の喫緊の課題は不平等条約の改正で、それを担うのは大隈だった。

 五月下旬、黒田に呼ばれた大隈は、不平等条約交渉の今後の方針について、黒田と会談することになった。

 総理大臣執務室と書かれた銅板が打ち付けられたドアを開けると、正面の広すぎるくらいの机の奥に黒田が座していた。室内にはもう一人おり、背を向けて窓際に立ち、外を見るでもなく見ている。

「大隈さん、どうぞそこにお掛け下さい。榎本さんも、どうぞこちらへ」

「ああ、榎本さんでしたか」

 窓際にいた榎本武揚が、手を前に出しながら歩み寄る。

「大隈さん、よろしくお願いします」

 これまで大隈は榎本と顔を合わせたことはあるが、さほど親しく口を聞いたことがなかった。だが黒田は榎本を頼りにしており、常に重要な面談で陪席してもらっているという。二人は箱館戦争で敵味方に分かれて戦ったことから、逆に相手に敬意を払うようになり、今では肝胆相照らす仲となっていた。

 大隈は榎本と固く握手を交わした。

 榎本は伊藤内閣の時から逓信大臣を務めており、国内の電信網の拡充に辣腕を振るっていた。

 時候の挨拶や雑談などをした後、黒田が切り出す。

「この度は、いろいろ折り合っていただき感謝に堪えません」

 大隈が入閣の三条件を取り下げたことに、黒田は心底感謝しているようだった。

「まあ、そこは腹芸でしょう」

 その言葉に、黒田が一瞬啞然とした顔をした後、髭面を震わせて哄笑した。榎本も仕方なさそうに笑っている。

「そうか。大隈さんは探りを入れたのですな」

「当然です。そんなことは、黒田さんも伊藤さんも分かっていらしたでしょう」

 大隈とて、自分の出した条件すべてが叶うとは思っていなかった。もちろん三条件の内容を見れば明らかだが、「国会開設」も「責任内閣制」も政府の喫緊の課題であり、「選挙権を得るための最低納税額の設定」は、すでに政府内でも決定事項だった。

 黒田が頭に手をやりながら言う。

「大隈さんにはまいった。一時は私も伊藤さんも本気で腹を立てていたんですよ」

「でも大木さんに説得を依頼したということは、私が大木さんの顔をつぶすことはないと、見通していたはずです」

「仰せの通りです。大隈さんは朋友を大切にしますからね」

 それが皮肉のように聞こえるのは、江藤を見殺しにし、大先輩の副島を立ててこなかったことを、大隈本人も意識しているからだ。そうした大隈の態度が佐賀藩閥の力を弱めてきたのだが、藩閥政治を毛嫌いする大隈にとっては、後悔や反省の余地などなかった。

 椅子から立ち上がった黒田が、身を乗り出すようにして言う。

「大隈さん、私は自分の内閣の時に、是が非でも条約改正を成し遂げたいのです」

 黒田は薩摩藩出身だが、家禄四石という極貧の下級武士の出だった。そのため人一倍、功名心が強い。

 —戦場で手柄を立て、西郷から「了介どん、ようやった」と言われるのがうれしくて、走り回っていた男だからな。

 大隈には、黒田のような生き方はできない。

 戦場経験のない大隈は、黒田に対して多少の引け目を感じていた。それだけならまだしも、隣に黙って座る榎本も箱館戦争における一方の大将なのだ。

「どうか、この黒田了介を男にして下さい」

 黒田が求める握手に、大隈は応じた。その手は大きく毛むくじゃらで、無駄に握力が強い。

 大隈の顔が一瞬、歪む。

「これは失敬。大丈夫ですか」

「ええ、まあ」と言いながら、大隈が右手をさする。

 —握力の強さで、交渉相手に心理的圧力を掛けるのは、外国人と変わらぬな。

 大隈は、パークスの常套手段を懐かしく思い出していた。

「大隈さんの改正案に目を通させていただきました。実に見事なものです」

 ここで言う改正案とは、通称「大隈案」と呼ばれる条約改正交渉のための方針を記したもののことだ。

 —先に榎本が読み、その要約を黒田が聞いただけなのは間違いない。

 黒田は文盲ではないが、長年の飲酒生活の影響か、長い文章を読むだけの根気がなくなっていた。

「早速のご一読、ありがとうございます。わが案の基本骨子は、まず外国人も納得する法典の整備をすること」

 それについては伊藤が内閣を解散させ、枢密院議長の座に就いて憲法の作成に取り組んでいる。憲法に従った法典の整備は、その後に取り組むべきことだ。

 黒田が幾度もうなずくと言った。

「それはもちろんです。外国人が安心できる法典あってこその外交交渉です」

「そうです。それゆえ外国人の判事を大審院(最高裁判所)の判事に任用し、外国人の犯罪を裁かせます」

 これは井上馨が外相の頃から行おうとしていたことだが、さらに「大隈案」は、「列強の領事裁判権の五年後の撤廃」を条件とし、その代わりとして外国人にも土地の所有権を与え、「内地雑居」を認めるといったものだった。

「内地雑居」とは、外国人が居留地を離れて日本人と同じように住居を持ち、商業活動や旅行ができるようにすることで、居留地を出られない外国人の苦痛を和らげるためにも、迅速に行わねばならないことだった。

 初めて榎本が口を挟む。

「大隈さんのお考えは、井上さんのものとさほど差異がないように思えますが、勝算はあるのですか」

「あります。井上さんは内容ではなく、交渉の方法に難点があったからです」

 井上は各国の代表を一堂に集め、それぞれ同じ条件での条約改正を求めた。この方法だと互いに出方を見ていて結論が出ない。しかも裏で手を握り合っている可能性すらあった。これに対して大隈は、それぞれの国情に合わせて国別に談判しようとしていた。しかも早期に改正に応じてくれた国には、有利な条件を付与するつもりだと宣言しておけば、足並みが乱れるのは必定だった。

 榎本が冷静な声音で言う。

「井上さんが最も苦労したのがイギリスです。攻略方法をお考えですか」

 イギリスは江戸幕府健在の時代から日本に権益を築き、また戊辰戦争で新政府側に付いたことで、明治になってから、さらに商圏を広げた。この頃、実に日本の総貿易高の三分の一を占めるに至っている。それほど日本に浸透しているので、イギリスは変化を好まず、またプライドが高く、他国人を見下す傾向が強い。しかもイギリス次第で、この条約交渉の成否が決まることも知っているので、他国にはない優遇措置を求め、井上を困らせた。

「仰せご尤も。イギリスを口説き落とせれば、他国は右へ倣えです」

 黒田が茶々を入れる。

「さすが長崎でもてた大隈さんだ。女を口説くのと同じ要領ですな」

 妓楼でもてるには、その妓楼を取り仕切っている女郎頭のような女を味方にするのが手っ取り早い。その女を抱かなくても、金銭や贈り物を与えて、いい評判を流してもらえば、若い女は自然と靡いてくる。

「まあ、そういうことですが、この女郎はちと手強い」

 黒田が哄笑し、榎本が仕方なさそうに笑うのは、先ほどと同じだ。

「それゆえ女郎頭を、まずは無視します」

 黒田があんぐりと口を開けた。

「まあ、聞いて下さい。井上さんは女郎頭、もといイギリスを落とせば、他国を口説くのは容易だという認識の下、イギリスの説得に重きを置きました。しかし私は逆をやります」

 榎本の目が光る。

「つまりイギリスを無視して、ほかの国を説得するのですね」

「その通り。寛容な国から落としていきます。さすればイギリスの誇りはいたく傷つけられ、また他国との交渉条件が基準になってしまうのを防ぐために、必ずや秋波を送ってきます」

「こいはよか!」

 黒田が膝を打った拍子に方言が出た。

「さすが大隈さんじゃ」

「いえいえ、まだ着手していないので、どうなるかは分かりません」

 榎本が冷静に問う。

「勝算はおありか」

「勝算なくして外務大臣の座には就きません」

「さすがじゃ!」

 その後、大隈が「大隈案」の詳細について説明すると、二人は十分に納得したようだ。

「それで黒田さん、最後に一つだけ確かめたいことがあります」

「何ですかの」

「まず、私のやり方に口を挟まないでいただきたい」

 黒田でなく榎本が何か言い掛けてやめた。

「私のやり方は荒療治だ。井上さんの方針を踏襲すると聞けば、怒り狂う連中もいる。その時、あなたは私を守ってくれますか」

「言うまでもなか。いや失礼」と言いつつ、黒田が標準語に戻す。

「この黒田了介、内閣総理大臣を拝命したからには、命に代えてもわが閣僚を守り抜きます」

 こうした芝居掛かった態度を大隈は好まないが、こういう人物が総理大臣なのだから仕方がない。

「それを聞いて安心しました。では、徹底的にやらせていただきます」

「この件に関しては一任しますので、よろしくお願いします」

 大隈が立ち上がって一礼し、総理大臣室から去ろうとすると、榎本が呟くように言った。

「くれぐれも身辺にはお気をつけ下さい」

「どういう意味ですか」

 榎本が立ち上がると、大隈を送るようにドア近くまでやってきた。

「井上さんが外務大臣をお辞めになったのは、脅迫状が届いたことが理由です」

「脅迫状—、まさか旧自由党系の壮士のものですか」

 榎本が首をかしげる。

「それは何とも言えません。いずれにせよ彼奴らは内容について吟味せず、何もかも気に入らんと言って不平不満ばかり並べます。それを聞いている若者が、さらに何も分からないまま無謀なことをやろうとします」

 明治十一年の大久保利通暗殺事件以来、いまだ暗殺や暗殺未遂事件が起こっていた。明治十五年には板垣退助が襲われ、「板垣死すとも自由は死せず」という言葉を残したが(別の者が言ったという説あり)、板垣は軽傷で済んでいた。この後のことだが、森有礼や伊藤博文が暗殺されるのは周知の通りだ。

「そうか。井上さんは若い頃に死に掛けていたからな」

 明治維新前のことだが、井上は意見を異にする長州藩士に襲われ、瀕死の重傷を負ったことがある。以来、用心深くなり、外出時は常に身辺に書生を配置していた。

 黒田が威厳ある声音で言う。

「もはやわれらの身は、われらのものではない。国民のものだ。互いに気をつけていこう」

「お気遣い、かたじけない」

 肩肘張った黒田につられ、つい大隈の口から武士言葉が出てしまい、三人は笑い合った。


 六月、大隈は関西方面への視察旅行に出掛けた。とくに条約改正交渉とは関係がないが、下野していた間に刷新された関西の官憲に、挨拶回りするのが目的だった。

 大隈は大阪控訴院長(現在の高等裁判所長官)、大阪府知事、検事ら、第四師団長、そして大阪実業界の重鎮たちと会食するなどして顔を売った。また八十余名の立憲改進党関西支部の党員とも会い、今後の党の方針を話し合った。

 この時、大隈の身辺を警護したのは北畠治房とその配下の者たちで、全く危険が感じられなかった。しかしそれが、後に油断を生むことになる。

<次回は1月19日(火)更新です>

コルク

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威風堂々 幕末佐賀風雲録

伊東潤

豪腕作家として知られる伊東潤が描く、大隈重信の成長譚! 早稲田大学の創始者で、内閣総理大臣を2度務めた大隈重信という男はどのような人物だったのか? 幕末の佐賀藩に生まれ、明治期に藩閥政治から立憲・政党政治への道筋を切り拓いた男の思想と...もっと読む

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