八
明治十八年(一八八五)十二月、それまでの太政官制度が廃され、内閣制度が発足した。初代総理大臣には伊藤博文が就任し、外務大臣には井上馨が就き、かねてから懸案の条約改正交渉を担当することになった。
安政の頃、外交のイロハも分からない江戸幕府によって締結された不平等条約に、長らく日本は悩まされていた。というのも外国人に認められている治外法権によって、外国人の犯罪を日本の裁判所が裁けず、ほとんど無罪となってしまうので、外国人がやりたい放題になっていたからだ。また日本が独自に輸入関税を設定できないため、外国からの輸入品が安価で流入し、国産品を痛めつけていた。
それで条約改正を早急に行わなければならないとなったが、相手あってのものなので、こちらの都合だけでは、なかなか進まない。
それでもアメリカやドイツは比較的鷹揚だったが、この頃、植民地の独立運動で悩まされていたイギリスとフランスは、植民地からも同様の要求がなされることを恐れて、容易に認めなかった。
この状況を打開しようと井上が取った政策は、鹿鳴館と呼ばれる一大社交場を作り、外国の貴顕を招待して、ロングドレスをまとった日本人女性とダンスさせることだ。
これは文明開化が軌道に乗っていることを証明し、それにより外国人の理解を得ようという欧化政策の一つだが、松方デフレによる不況が続く中、巨費を投じて鹿鳴館を作り、さらに運営にも多額の経費を掛けるに値することか、日増しに批判が高まっていた。
とくに旧自由党系の壮士たちは、反対運動の先頭に立ち、各地の演説会で反対を声高に唱え始めた。
外国人気質を知る大隈は、こうした上辺だけの欧化政策が外国人に馬鹿にされるだけなのを知っており、その巨額の経費にも呆れるしかなかった。
かくして年が明け、明治十九年(一八八六)となった。この年は正月早々から悲しい事件で幕を開ける。
昨年の秋頃から小野梓が体調を崩して寝込んでいるとは聞いていたが、正月の挨拶にも来なかったことから、大隈は心配していた。
それで矢野に小野邸まで行き、様子を見てきてもらうよう頼んだところ、帰ってきた矢野が衝撃的なことを告げてきた。
矢野によると、出てきたのは小野の姉で、小野は面会を謝絶し、「心配要らない」と伝えてきた。それで驚いた矢野が、詳しく病状を聞くと、姉は泣き出し、「弟は肺結核を患っている」と答えたというのだ。
大隈は茫然とした。この時代、肺結核は死病だからだ。
小野の姉は「空気感染するので来ないでほしい」と大隈に伝えてほしいと言ったというが、大隈はかつて洋書で肺結核の予防法を読んでいたので、正月が明けると早々、馬車で小野のいる家に赴いた。
小野は、墨田川西岸の橋場と呼ばれる川沿いの場所に住んでいた。ここは「鷗の渡し」と呼ばれる渡し場があり、江戸時代から賑やかな場所として知られていた。
小野が療養しているのは、義兄の小野義真邸内にある書生用の別棟で、ここで姉によって食事が運ばれ、看病されていた。
「小野君、来たぞ」
大隈が生きたすっぽんを提げてきたので、思わず小野も笑みを浮かべた。
「結核には、こいつの生き血を飲むのが一番だという。昔さばき方も教わったので、後で血を絞っておく」
佐賀城の堀では、すっぽんがよく釣れた。だがすっぽんは気性が激しく、さばくのが厄介だったのを覚えている。
小野が手拭いで口元を押さえながら言う。
「大隈さん、あれだけ来ないでくれと伝えたのに」
「心配するな。結核菌は乾燥に弱い上、こうして窓を開け放てば空気感染する恐れは極端に減る」
大隈が小野の部屋の窓を開け放つと、冬の寒気が瞬く間に六畳の部屋に満ちた。
「さすが『鷗の渡し』と呼ばれるだけあって、鷗がうるさいな」
慣れれば気にならないのだろうが、鷗たちの鳴き声が、やけにかまびすしい。
「ここの鷗は自由党ですよ。声だけは大きいが、自分が何のために鳴いているのか、すぐに忘れてしまいます」
小野の冗談に大隈が大声で笑う。
「大隈さん、いらしていただきありがとうございました」
「他人行儀なことを言うな。こちらこそ見舞いに来るのが遅れてすまなかったな」
大隈が謝ると小野は恐縮した。
「とんでもありません。これほどうれしい——」
そこまで言ったところで、小野が咳き込む。その咳は、胸の中で蝶が羽ばたいているように聞こえ、小野の病状が進んでいることを告げていた。
「辛そうだな」
「ええ、まあ、辛いです」
大隈に背を向けた小野が、痰壺に痰を吐く。
「栄養を取り、ゆっくり養生すれば治らぬ病ではない」
だが肺結核に有効な薬はなく、よほどのことがない限り、生還は難しい病気だった。
「ありがとうございます。しかしどうやら長くはないようです」
小野が背を向けたまま答える。
「医師がそう言ったのか」
「はい。友人の医師も最初は気休めを言っていたのですが、私が『どうしても著作を完成させたいので、本当のことを言ってくれ』と頼んだところ——」
小野の声が震える。
「年を越せるかどうかだと」
——それほどだったか。
大隈は衝撃を受けたが、それを面に出すわけにはいかない。
「でも、君は年を越せたではないか」
「何とか明治十九年を蒲団の上で迎えることができましたが、明治二十年の正月は、間違いなく土の中で迎えることになります」
小野特有の諧謔味溢れる冗談だったが、大隈は笑えない。