四
東京での党勢拡大に限界を感じた大隈と立憲改進党は、地方への浸透を図っていくことにした。これにより小野梓や矢野文雄らが各地に遊説に赴いた。
彼らが入党を促したのは、府県会議員を務めるような地方名望家層だった。彼らの大半は大地主で、極めて裕福な上、地方に隠然たる勢力を扶植しており、党勢拡大に寄与してくれると思ったからだ。
小野は「地方の府県会の権限拡張を政府に訴えていきましょう」と唱え、府県会議員のネットワーク化を図ろうとしていた。
だが立憲改進党の党勢拡大の動きが、政府に伝わらないわけがない。政府は府県会議員の集会や通信に制限を掛けるといった方法で、妨害工作に出てきた。これにより小野らの遊説会場はなくなり、懇親会場からも断られる始末だった。
こうしたことから大隈や小野は、党勢拡大に限界を感じるようになっていた。
明治十六年(一八八三)四月、大隈は五代友厚から「ある人物が会いたがっている」という打診を受ける。
五代が新橋の料亭に連れてきたのは、薩摩藩閥の領袖的地位にある黒田清隆だった。
その人懐っこい性格から、西郷からも大久保からも可愛がられた黒田は、鳥羽・伏見の戦いから戊辰戦争にかけて小隊長として勇猛果敢に戦い、さらに参謀に抜擢されてから箱館戦争を終息に導いた。その時、北海道の無限の可能性に気づき、開拓使として北海道の開拓に活躍の場を求めることになる。
大隈は黒田と親しくないどころか、開拓使官有物払い下げ事件で、二人の間は険悪になっていた。その黒田が五代を通して「会いたい」と言ってきたのだ。
時候の挨拶などを済ませると、黒田が先手を打つかのように言った。
「あの時は誤解から、つい感情的になってしまいました。大隈さんのお立場を考えれば当然のことです。お詫び申し上げます」
汚職まがいのことをしていたのだから黒田が詫びるのは当然だが、素直に非を認めることのできる黒田という男に、大隈は一目置いた。
「もう、あの時のことは忘れましょう。あのことがなくても早晩、私は政府から叩き出されるはずでしたから」
大隈の方針は「藩閥政治の打破」で一貫していた。だが優勢になりつつある長州閥に危機感を抱いていた薩摩閥に接近することで、自らの失脚を防いでいた。
ところが開拓使官有物払い下げ事件では、大蔵卿という立場から黒田を批判せざるを得ず、それが薩摩閥との決別を生み、閣内での孤立につながり、下野を余儀なくされた。
一方の黒田も、大隈の批判によって参議兼開拓使長官を辞任せざるを得ず、内閣顧問という閑職に追いやられ、政治的に死に体となってしまった。
伊藤ら長州閥は、開拓使官有物払い下げ事件による大隈と黒田の対立を利用し、双方の関係を断ち切り、薩摩閥と佐賀閥(厳密には政府内大隈派)の領袖二人を失脚させたのだ。結果的に見れば、伊藤と長州閥の大勝利だった。
五代が言う。
「黒田さんには言いにくいこともあるので、私が代弁しますが、黒田さんらは、大隈さんの参議復帰を後押ししてくれるとのことです」
——そういうことか。
薩摩閥と言っても、西郷とその与党が西南戦争で潰え、大久保が暗殺され、川路利良が不可解な死を遂げることで、長州閥に対抗して政治的な駆け引きのできる人材が払底していた。すなわち長州閥と伍していくには、大隈の才覚が必要なのだ。
「せっかくのお言葉ですが、私は政府に復帰するつもりはありません」
だが大隈は、黒田の申し出をにべもなく断った。
「そう仰せになられると思っていました」
どうやら黒田と五代は、大隈の返事を予想していたようだ。
「私は立憲改進党の党首として、党員を率いていく義務があります。たとえ伊藤君が『参議に復帰させるから政府に戻ってくれ』と言ってきても、おいそれと戻るわけにはいきません」
「当然のことです」
黒田が葉巻に火を点けると続けた。
「大隈さんは責任感のあるお方だ。政党を作ったからには、不退転の覚悟で政府と戦うつもりだということは分かります」
「褒めてもだめですよ」
その言葉に、黒田と五代が笑う。
黒田が続ける。
「分かっています。大隈さんは立憲改進党の党首のまま、将来的には政権を奪取するつもりでしょう」
「その通りです。われらには綱領があり、それを実現すべく政権を担うことが目標です」
「しかし——」
黒田が苦い顔で言う。
「政府は、立憲改進党と自由党の存在を認める発言をしていますが、それは建前で、党勢が拡大する兆候があれば、潰しに掛かりますよ」
「どうやらそのようですね」
伊藤が直接やっているわけではないだろうが、末端では地方の料亭を脅し、懇親会すらやらせないようにしているのだ。これから何をやってくるか分からない。
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