蘭ちゃんへ
こんにちは!
加湿器に水を与え続ける季節になりました。今年は換気と保湿の両方に気を配らないといけないのでいそがしいね。また感染症の影響が大きくなってきているけれど、何事もなく年を越せることを願っています。
前回の日記で、蘭ちゃんは「わたしは死ぬ間際に何を後悔しながら死ぬんだろう」と心配してしまうと書いていました。そしてきっと「どうしてもっと、今ある幸せを享受できなかったんだろう」と悔やむのだろうとわかっている、とも。
それを聞いたとき、「死ぬときに後悔することを、心配する…??」と、マンガのようにはてなマークが頭にたくさん浮かびました。「今死んだら後悔する」ではなく、未来のこととして心配するのが、わたしにはさっぱりわからなかったのです。
それで「蘭ちゃんはほんとうに未来のことを考えるのが得意なんだなー」と思いました。
「自分」という単位で未来について考えると、行き着くのは死です。わたしは「死」を怖いことやイヤなことだと捉えていないからかもしれないけど、単純に「そんなに先のことまで自分について考えられるんだね」と感じたのです。
わたしは、そもそも「後悔」があまりわかっていないかもしれません。今まで「あー、あのときこうすればよかったのか、知らなかったー!」と思うことは多々あるけど、むしろそんなことばかりだけど、そのときできなかったことや知らなかったことだけが紛れも無い事実です。今まで散々書いてきたように「しょうがない」という諦めがつよいという性質もあるのでしょうけど、どうもわたしは過去に対しても未来に対しても「もしも」の話が苦手なのです。
ちなみに、今死んだら何か後悔するかな?と考えてみたけれど、なにも浮かびませんでした。「まあ、こんなもんか」と、そしてきっと「なんだかんだあったけど、楽しかったなー」と思います。誤解を恐れずにいうと、受け入れられるという意味で、わたしは別にいつ死んでもいいです。
「あれをしたい、これもしたい」と未来の風景が見えていないから「あれができなかった」という後悔がないのだとしたら、死ぬことが怖くないのは、未来を考えるのが苦手な人のちょっとだけいい点かもしれないね。
蘭ちゃんは、未来の心配から目を離して、または逆算して「今、どうありたいか」を見るようにしたらいいし、わたしは、過去にできなかったあれこれを思い出して「今ならなにができるか」を見つけながら進めばいいのかな、と思います。
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ここでこうして「あなたはこうだね」「わたしはこうだよ」と対話をしていると、すぐにわかることばかりではなくて、時間をかけて考えたり、「あのときの話と一緒だね」と後からわかったりするのが、とてもおもしろいです。
「時間をかける」というのは、わたしが交換日記を通してしたかったことのひとつですが、その背景にはSNSの存在があります。
SNS上の時間の流れ方はとても早く、忙しなく、すぐに答えがわかるものが目立ちます。大量に目に入ってきた情報が、翌週にはもうなかったかのように関心が移り、情報を受け取った瞬間の反射的な意見が溢れていて、まるで激流を眺めているようです。
便利な点や楽しい点もたくさんあるので、わたしも長らく使ってきたのだけど、今年、コロナウイルスの流行によって日常がガラリと変わり、その中でSNSで受ける影響の大きさを改めて感じました。
今年の春以降、人に会うことが極端に減って、SNSの中を覗く時間が世間と触れる手段になりました。今までずっとSNSを使ってきたけれど、時間配分や依存度みたいなものが変わったように感じて、なにかが気持ち悪いなと感じたのです。その理由がなんなのかよくわからなかったので、試しに一度やめてみました。
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