サンタさんから犬をもらいたい」子どもの願いとペットロス

突然の離婚により、娘ふたりを育てることになった女装が趣味の小説家。「シングルファーザー」になってみると、彼にはこれまで想像もしなかったことが待ち受けていた……。今回は、「犬を飼いたい」と長女からねだられた仙田さんが、これまで一緒に暮らしたことのある動物たちとの出会いと別れを回想します。

「犬を飼いたい」と子どもが言いだした


写真ACによるちゃぁみいさんの写真

「パパ、サンタさんにお願いするの、犬にする」
と長女が言いだしたのは夏頃のこと。

近所にトイプードルを飼っている家があり、「サトル」というその犬が散歩に連れていかれているときや、庭にだされているときなどに、長女は近寄ってなでたり話しかけたりしていた。
サトルに懐かれるにつれて、うちでも犬を飼いたくなったのだろう、何度か私にそう言ったことがあった。
だが、自宅で仕事をしているとはいえ、まだまだ小さな子どもたちをひとりで育てているだけで手いっぱいな私にとって、さらに犬まで育てることはかなりハードルが高い。

そこで、
「犬は散歩も行かなあかんし、お世話するのたいへんやねんで。だから5年生とか6年生とかになって、自分らでお世話できるようになってからやったらいいよ」
と答えていた。
そんなパパに頼んでも埒が明かないから、サンタさんに頼むことにしたのだろう。

「サンタさんって、3個までお願いできんねん」
と長女は続けた。
「犬と、色鉛筆と、あとひとつはパパのほしいものお願いする。パパ、何がほしい?」
「いいの? ありがとう。そうやなー、おしゃれなセーターがほしいな」
シングルファーザーになってから自分の服はほとんど買っていなかった私はつられてそう返事をしたが、内心では困っていた。

—サンタさんに頼まれたらな……。どうやって諦めさせよう。
諦めさせる以外の選択肢は頭に浮かばなかった。
同時に、犬を飼いたいという長女の思いは痛いほどわかった。
私も子どもの頃に、同じことを親にねだったからだ。

子どもの頃に犬を飼って、世界が変わった

小学生の頃、近所の公園や河原で捨て猫を見つけると、よく家に連れて帰った。
毎回親に怒られて、元の場所に戻しにいくのだが、その後も毎日ご飯をあげに行ったり、タオルなどを持って行って寝床を作ったりした。

高学年になるとどうしても犬が飼いたくなり、しつこく親に頼んだ。
ところが動物の毛が苦手だという父親は首を縦に振ってくれず、あるとき奥の部屋に閉じこもってしまった。
困った母親が弟(私の叔父)に連絡すると、叔父はすぐに来てくれた。
そして、父親の閉じこもっている部屋の前で「ええやないですか飼っても」と説得をしてくれた。

叔父は幼い頃から何かと私を気にかけてくれていて、不登校児になったときよく訪ねてくれたり、アルコール依存症と診断されて閉鎖病棟に入院したときに自分の勤務する病院に転院させてくれたり、東京でひとり暮らしを始めたときに訪ねてくれたりと、節目節目で見守っていてくれた。

叔父の説得のおかげで、数日後に母親と妹と一緒にペットショップに行き、シェットランドシープドッグの子どもを買った。
玄関を上がったところの板の間にゲージを置いて、「アンジュ」と名づけた犬の寝床にした。
翌朝はいつもよりかなり早く目が覚めて、アンジュの様子を見に行ったのを覚えている。
小さくて温かくて柔らかくて、生きているということが楽しくて嬉しくて、それまでとは世界が全く違ったふうに見えた。

散歩に連れて行き、白米に味噌汁や鶏ささみを乗せたご飯を食べさせ、家族で出かけるときには一緒に車に乗せた。
家族のひとりとして過ごすうちに私は大きくなり、アンジュは一足早く大人になり、年老いていった。
そして私が大学1年生の初夏に亡くなった。

母親からの早朝の電話に起こされて、大阪の天王寺でひとり暮らしをしていたアパートから京都の実家に戻るともう冷たくなっていて、母親が大声をあげて泣いていた。
その頃の私は漠然とした将来への不安からアルコールに溺れだしていたこともあり、子どもの頃にとても可愛がっていた犬の死に実感が持てないでいた。
ただ、嘆き悲しんでいる母親のことをかわいそうだなと、ぼんやり感じていた。

「ペット」として生き物を飼うということ


写真ACによるk********************pさんの写真

次に生き物を飼ったのは30歳の頃。
たまたま入った亀戸のペットショップの店頭で、1頭1万円で安売りされていたフェレットに一目ぼれをしたのだ。
ハムスターやウサギに似た小動物的な顔に、長い胴に短い手足が可愛らしく、東京でひとり暮らしをしていた日々のくぼみに、その子がぴったりとはまるように思えた。
1日悩み、翌日にまた亀戸まで行き、フェレットを連れて帰った。

名前は「スパシーバ(ロシア語で『ありがとう』の意)」とつけた。
散歩に連れていく必要がないので、手はかからなかった。
ご飯と水とトイレを替えて、1日1時間ほどケージからだして遊ばせるだけで満足そうにしている。
「ヴッヴッ!」と鳴きながら飛びはねて遊んだり、ハンモックで眠ったり、給水ボトルから水を飲んだりする姿は愛らしく、子どもの頃と同じようにその日から世界が変わって見えるのを感じた。

スパシーバの体調が悪くなったのは4年ほど経った頃だった。
体を引きずるようにして歩き、咳きこんでいるのですぐに動物病院に連れていったところ、腫瘍ができているとのことだった。
原因は、生まれて間もない頃に手術をしたからだと説明を受けた。

イタチの仲間であるフェレットは、野生の状態だととても強い体臭がする。
そこでペットとして飼われる際には、臭腺を除去する手術が施されたうえでペットショップに送られる。
ところがその副作用として、手術を受けたフェレットにはもれなく、晩年になって腫瘍ができる。
そして苦しみながら死んでいくのだと。

そのような事情を全く知らなかった私には、返す言葉が見つからなかった。
手術を受けていたことも、いずれ腫瘍ができることも、ペットショップからは説明を受けていなかったのだ。

—経過観察のために、毎月見せに来てください。症状が進むと脱毛が始まったり、ぐったりするようになったりすると思いますが、腫瘍が大きくなって臓器を圧迫している状態でなければ心配要りません。手術で腫瘍を摘出することもできますが、費用がそれなりにかかります。

医師からはさらにそう説明を受けた。
当時住んでいた吉祥寺から、中野にあるその病院まで、月に1回フェレットを連れて通う生活が始まった。
人気の動物病院なので毎回かなり待たされ、診察になると医師がフェレットの腹を触診する。
そして、「腫瘍の大きさは変わりないので大丈夫です」というような診断をされて帰る。

腫瘍を切除してしまえば通わなくて済むのだが、手術には40万円がかかると言われた。
しかも、フェレットの寿命は5年から10年とされているので、手術をしたとしても早ければ1年後には死んでしまうかもしれない。
手術はフェレットの体に大きな負担になるという。
ひと月ほど悩んで、私は延命治療を受けさせないことにした。

「また別の形で戻ってきてくれるよ」

やがて脱毛が始まった。
柔らかな茶色い毛で覆われていたスパシーバの体は、骨の浮いたピンク色の皮膚が剥きだしになった。
ぐったりとして、ほとんどの時間はハンモックの上で寝ているだけ。
それまでと同じように世話をして、元気なときにはゲージからだして遊ばせていたが、私はだんだんスパシーバの体をしっかりと見ていられなくなってきた。

元気だった子どもの頃とはまるで別の生き物のような姿で、力なく動いているスパシーバを見ているのは辛かった。
お腹の腫瘍がいつ大きくなるかもわからないという不安と緊張のなかで日々を過ごしていた。
それでもスパシーバは元気だったし、腫瘍の大きさはいつも変わらず、そんな生活が日常になりつつあった。

1年ほどが経った頃、その日はとつぜん訪れた。
—スパシーバが口から血を吐いて倒れてるから病院連れてくね! 
というメールが、当時同棲していた元妻から届いたのだ。
仕事中だった私はスパシーバのことを元妻に任せたものの、気が気ではなかった。

—診察を受けて、応急処置してもらったけど、もう長くないだろうって。早く帰ってあげて。
そのメールを見たときに、私は手が震えた。
—わかった。仕事があるからすぐは無理だけど、なるべく早く帰る。

確かにその日は仕事が詰まっていて、とつぜん早退することが難しい状況だった。
だがそれ以上に、死を前にしているスパシーバに会うのが怖かった。
死んでいく家族をなす術もなくただ見届けるということが、怖くてたまらなかったのだ。

だから「自分がいなければ仕事がまわらないんだから」と言い訳をしながら、いつもと同じように仕事を終えて家路についた。

電車のなかで元妻からメールが届いた。
—スパシーバ、息してない。ずっと横にいたんだけど、ちょっと目を離してるあいだに……。

家に帰ると、元妻がぼんやりと座っていて、その横にタオルに包まれたスパシーバがいた。 
あちこち毛が抜けて骨の浮いた体に、口のまわりに垂れて固まった血。
私は久しぶりにスパシーバの姿をはっきりと見て、お腹を触った。
柔らかくて温かくて肌触りがよかったはずのお腹は、冷たく硬くなっていた。

その感触が指から伝わったとたんに、私の目から涙が落ちた。
涙は後から後から止まらなくなり、冷たくなったスパシーバの体を抱いたまま声をあげて泣いた。

夜遅くになってから、家にあった箱のなかにタオルやハンモックや花と一緒にスパシーバを入れた。
そして枕もとに置いて一緒に眠った。

翌日にはペットの葬儀をしてくれる寺で火葬をしてもらった。
お骨は寺に納めずに持ち帰り、本棚にしまった。
晩年に苦しむということを知らずにスパシーバを飼ったことを後悔した。

また、腫瘍ができることを前提として手術をされることや、延命手術のために高額の医療費がかかるというシステムが、「ペット」として生きることを余儀なくされた生き物の尊厳をないがしろにしているように思えて憤りを感じた。
だが何より、死が近づいているスパシーバの姿を真っ直ぐに見ることができなかった自分に嫌気がさした。

スパシーバの一周忌に、ふと思いだして、スパシーバを飼い始めた頃に付き合っていた女の子にメールを送った。
可愛がってくれていたので、亡くなったことを知らせたかったのだ。
彼女が送ってくれた返事が忘れられない。

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女装パパが「ママ」をしながら、家族と愛と性について考えてみた。

仙田学

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sendamanabu cakesの連載。今回は、「犬を飼いたい」と子どもが言いだしたことをきっかけに、ペットとして動物を飼うとはどういうことか、について考えました。 https://t.co/HnrNVvr9U7 2ヶ月前 replyretweetfavorite