蘭ちゃんへ
こんにちは!
朝夜が寒くなってきました。買い換えた洗濯機に「毛布モード」があったので、家で毛布を丸洗いしてみました。さっきベランダに毛布をバーンと干したのだけど、達成感がすごいです。
蘭ちゃんの歯列矯正の話、食べることが生きる楽しみのかなり上位に入るわたしには、食べられないのはつらすぎて想像を絶します。つらいねー!
ミキサーを買ったなら、野菜をコンソメで煮てミキサーにかけ、牛乳で伸ばすとポタージュになります。これを機に、いろんな野菜で試してみてください(あったかいもの飲んで~)。
*ー*ー*
さて、前回の日記で、蘭ちゃんにとってよくない思い込み(呪い)を解く言葉が「ないものねだり」だった、と書いてありました。
それを読んで思い出したのだけど、島根県のちいさな島にある海士町のスローガンは「ないものはない」なのだそうです。「ないものはなくていい」と、「すべてがある」のダブルミーニングですね。これを知ったとき、人口も少ない小さな島には、ないものはないのだからしかたがないという諦めと、大事なものはすべてここにあるという希望が同時に表現されていて、すごいなーと思いました。
蘭ちゃんは「わたしにはこれがない(からダメだ)」とないものを見てしまうので、あるものに目を向けて「あるものよろこび」をしたいと(すごくすてきな言葉だね)。ないものねだりをしないことが課題だと書いていました。
わたしの場合は、「わたしにはこれがない(からしょうがない)」と、ないものから目をそらして、あるものだけでやろうとしてきました。ないものねだりの逆で、ほしがることを避けてしまい、どこに行きたいか、どうなりたいのかを見失ってしまうのが問題でした。
今までも何度かこのパターンのふたりのちがいはあったよね。ないものを得るために努力する(鬼コーチと)蘭ちゃんと、すぐに諦めてガマンしてしまうわたし。逆方向に偏っているけど、ふたりともバランスをとって目指す場所は「すべてここにある」なのかもしれないね。
*ー*ー*
わたしの場合、ないものを欲しがるとか、ないことを嘆くようなことは少ないけど、若い頃は、あるものを活かそうとするときの「あるもの」の認識が下手でした。
たとえば、わたしは「おせっかい」という性質がつよくあります。使い方も悪かったのでしょうが、とにかく嫌がられた経験が多かったので、長い間「よくないもの」として認識していました。それで、よくないものは出てこないように抑えなければいけないと思っていました。
ある場所で迷惑がられていた経験から、「おせっかい」を自分の直すべき欠点としてある人に話したら、「いや、それは使う場所がちがうだけで、助かる人もいるよ」と言ってくれたことがありました。組み合わせや相性の問題なだけで、ひっこめたらもったいないし使うべきだよと。
「サクちゃんは、誰かに花や種を見つけてもらった経験はありますか?」という質問のお返事にもつながりますが、自分には見えていない花や種を「ここにあるよ」と見つけてもらったというよりも、自分が持っているものを別の角度から見たらどう見えるか、光の当て方を変えるとどう見えるか、それを教えてくれるのはいつも他人でした。
「自分はこうだ」と、持っているものを一面で捉えないで、いろんな角度から見て、いろんな使い方をしてみると、だんだん球体のように捉えられるようになります。性格や性質を抑えたり変える努力をするのではなくて、球体に捉え直して、うまく使う方法や、活かせる場所や人を見つける努力をするようになりました。