そなたは己の腹を賭場に置けるか」|もっこすの城 熊本築城始末

熊本城に生涯を賭した築城家の一代記、感涙必至の戦国ロマン!
藤九郎、わしと一緒に日本一の城を築いてみないか──。

織田信長の家臣・木村忠範は本能寺の変後の戦いで、自らが造った安土城を枕に壮絶な討ち死にを遂げた。遺された嫡男の藤九郎は家族を養うため、肥後半国の領主となった加藤清正のもとに仕官を願い出る。父が残した城取りの秘伝書と己の才知を駆使し、清正の無理な命令に応え続ける藤九郎――。戦乱の世に翻弄されながらも、次から次に持ちあがる難題に立ち向かう藤九郎は、日本一の城を築くことができるのか。

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 その男は河畔に置いた床几しようぎに腰を下ろし、微動だにしなかった。男の周辺には小姓こしようや近習が控え、宿老や奉行らしき者たちの姿も見える。

 強い風が河畔の木々や陣幕を揺らす。その音は耳を圧するばかりだが、男はそれを意にも介さないかのように、じっと川面かわもを見つめているようだ。

 陣羽織を着ているためか、その肩幅はやけに広く見え、背筋がピンと伸びているので、かなりの長身だと分かる。

 ──このお方が、加藤清正公に違いない。

 男の着る黒羅紗ラシヤの陣羽織の背板には、朱色で縁取られた黄金の蛇目紋が描かれている。その意匠は大胆だが繊細で、細部まで計算し尽くされた美意識が宿っているように感じられる。

「そなたらは、ここに控えておれ」

 飯田角兵衛の指示に従い、三人はその場にとどまった。

「ご無礼仕る」と言いつつ清正の傍らまで行った角兵衛が、耳元で何事か耳打ちする。

 それをうなずくこともなく聞いていた清正が、床几に座したまま体を半身にし、藤九郎たちの方を見た。

 藤九郎のいる位置からは片目しか見えないが、その眼光はおおかみのように鋭い。

 その時、角兵衛の鋭い叫び声が聞こえた。

が高い!」

 驚いた三人が慌ててその場に平伏する。むろん顔を上げられないので、清正とおぼしき男の顔を拝むことはできない。

衣擦きぬずれの音がすると、足音が近づいてきた。

 藤九郎が河畔の砂利に額をり付ける。

「よくぞ、参った」

 顔は見えなくても、その醸し出す迫力に、藤九郎は気圧けおされた。

「はっ、ははあ」

「わしが──」

 男の声は低くかすれている。おそらく戦場で大声を張り上げすぎて、のどを痛めているのだ。

「加藤主計頭かずえのかみである」

 清正は朝廷から主計頭という官職をもらっていた。

 主計頭とは、律令制での主計寮、現在で言えば財務省主計局の長官のことだ。つまり秀吉は、清正の理財の才を早くから見抜いていたのだ。

おもてを上げい」

 おそるおそる顔を上げると、身の丈六尺(約一・八メートル)にも及ぶ男が、三人を見下ろしていた。

 顔は少し面長で、鼻は高く、目は切れ長で、そのあごの線にはたとえようもない威厳が漂っている。しかもそのひとみからは、慈愛に満ちた光が発せられていた。

 これまで藤九郎が見てきた大身の武将、貴人、高僧らは、誰もが気品に溢れ、立ち居振る舞いも堂々としていた。清正も例外ではない。

 藤九郎は清正のすべてに圧倒されていた。

「そなたは何に感心している」

 突然、清正に問われた藤九郎は、清正の顔に見入っていたことに気づいた。

「わしの顔が、それほど気になるか」

「あっ、いえ、はい」

「鬼のようなつらをしていると思っていたのだろう」

 その言葉に家臣たちが沸く。

 だが清正はすぐに顔の話に関心をなくし、本題に入った。

「ここに来る前に、この辺りを見てきたか」

「はい」

 清正の陣所に来る前、三人は田原たばるやまという眺めのいい場所から菊池川を見下ろし、飯田角兵衛から、周辺の地形についての説明を受けていた。

「まずは、そなたらの産(出身地)と名を聞きたい」

「はっ」と言うや、二人が立て続けに名乗った。

 一人は甲斐かい国出身の源内げんないという四十絡みの男で、いま一人は近江国出身の佐之助さのすけという三十五前後の男だ。

 続いて藤九郎が名乗ると、清正が「そなたは随分と若いな」とつぶやいた。

「は、はい。数えで二十歳になります」

「そうか。若かろうと励めば報われる。それが当家だ」

「はっ、ははあ」

 この時、藤九郎は加藤家に仕官して心からよかったと思った。

「あれを見よ」

 清正が、手にしていた大ぶりな鉄扇てつせんを川に向かって掲げる。

「この川から水が溢れれば、肥後平野は水浸しになる。こうしたことが、これまで五年に一度は起こっていたという。そのたびに農民は困窮して流民となり、かつえて死ぬ者も多く出た。それゆえわしは、この菊池川の溢れ水を治めたいのだ」

 菊池川は、阿蘇外輪山あそがいりんざん北西部を水源とした肥後国屈指の大河川だ。同国北西部の菊池平野(玉名たまな平野)に流れ出た後、その流路を西北に取り、有明海ありあけかいに注いでおり、幹線流路の総延長は七十一キロメートルにも及ぶ。

 肥後国には北から菊池川、白川しらかわ緑川みどりかわ球磨川くまがわという四大河川が、九州山地を水源として西流し、有明海へと流れ込んでいる。こうした大河川には分流や支流がおびただしくあり、水量が安定している時は豊かな水資源となるが、ひとたび溢れ水になると、広大な平野が水浸しになってしまう。

 つまり肥後国の統治を成功させるには、水との戦いに勝たねばならないのだ。

「われらはこの肥沃ひよくな大地を守り、農民たちが安んじて農事に励めるようにせねばならぬ。それが成れば一揆は起こらず、関白かんぱく殿下(秀吉)の御恩に報いられる」

 関白殿下という言葉を口にした後、清正は瞑目めいもくし、東方を見て軽く頭を下げた。それほど秀吉の恩に感謝しているのだ。

 清正の声が熱を帯びる。

「わしが第一に取り組むべきは治水、第二は街道整備、第三は商いの振興だ」

 ──このお方は並の大名ではない。

 佐々成政がそうだったように、常の大名は入国すると、検地を行って収入を確定するなり、自らの住み処となる豪壮な城を造る。だが清正は、国衆や農民が最も喜ぶことから始めようとしているのだ。

「治水により沃野を生み出し、百姓たちを富ませる。続いて四方に延びる街道を整え、物の流れをよくする。そして城下町を作り、各地から商人を呼び寄せる。さすれば肥後国は富み、一揆など起こらなくなる」

「仰せの通り!」

 角兵衛が同意する。そこにいた宿老らしき者たちも、口々に賛意を表す。

 むろん宿老といっても、清正と同世代の若者たちだ。

「そなたらは、治水や普請を専らにしていると聞いた」

「はっ、ははあ」

 三人がかしこまる。

「まずは、そなたらが携わってきたことを聞かせてほしい。それから、そなたらの中で最も適任と思われる者を差配役に命じる」

 差配役といえば、現場の奉行(総指揮官)も同然だ。

 藤九郎が啞然あぜんとしていると、「では、それがしから」と言いつつ、源内が持論を述べ始めた。

「それがしは普請方として、甲斐国の武田たけだ家に仕えておりました。かつて甲府こうふ盆地は溢れ水がひどく、実りの悪い地でした。それを防がんとした信玄しんげん公は──」

 源内によると甲府盆地は、笛吹ふえふきがわ釜無川かまなしがわ御勅使川みだいがわの三つの川が作り出した扇状地にある。これらの扇状地に流れ込む川水は豪雨のたびに流路を変え、溢れ水を頻発させていた。

 それでも笛吹川と釜無川は川幅も広く緩やかに南流しているため、よほどのことがない限り、持ちこたえることができた。問題は御勅使川で、西部の山間やまあいから平野へと急流を成して流れ込んでくるため、雨が少し続いただけで甲府盆地西部を水浸しにした。

「それゆえ、われらは河川の流勢を弱めつつ、巧みに流路を変え、いくつにもなった流れを堤で支え、釜無川に導き入れるという方法を編み出しました」

 清正は小姓に床几を持ってこさせると、それに腰掛け、興味津々といった顔つきで源内の話に聞き入っている。

「流路を変えるには、石積出しを使います。これは巨大な石を積み上げて水勢をぎ、流れを導きたい方角に向けます。さらに川を分かつために将棋頭しようぎがしらを造ります」

「将棋頭とな」

「はい。その先端部が将棋の駒の頭のような形をしているため、そう呼ばれています」

「つまり石積みと将棋頭を駆使するのだな」

「そうです。自然にできた砂洲さすを石積みによって固め、将棋頭で激流を分散させます」

 清正が力強くうなずく。

「かくして統御された流れを受け止め、その力を減殺げんさいさせるべく、御勅使川の流路を付け替え、高岩に導きます」

「高岩とな」

「はい。高岩とは、釜無川左岸にある高さ二十間余(約三十七メートル)の断崖だんがいのことです。そこに流路を向けさせ、水流をぶつけることで反流を起こし、流れの力を衰えさせるのです」

「そうか。反流を作り出すのか。さすが信玄公だ。よく考えておるな」

「はっ、仰せの通り、信玄公は深慮遠謀の大将でした」

 源内が遠い目をする。懸命に働いていた若き日々を思い起こしているに違いない。

「その信玄公の大事業を、そなたは差配していたのだな」

「残念ながら、それがしは若輩者でしたので、多くの組頭のうちの一人でした」

「いかにもな。だが事業全体を見渡すように分かっているのは、見事なものだ」

「はっ、ありがたきお言葉」

 ──とてもかなわん。

 治水に関する源内の知識は相当のものだった。

 続いて佐之助が発言する。

「それがしは近江国の浅井あざい家家臣として、主に灌漑かんがいに携わってきました」

 佐之助によると、琵琶湖に注ぐ河川は八百八川はつぴやくはつせんうたわれるほど多く、しかも山地と琵琶湖が近接している。そのため、それぞれの川の長さは極めて短い上に流路の傾斜が急で、大雨となればすぐに水が溢れ出し、その逆に、雨が数日降らないだけで水がなくなる川もあるという。

 そのため「井相論いそうろん」と呼ばれる村落間の水争いが激しく、上流と下流の村がすきくわを手にしてぶつかり合い、死人や怪我けが人が出ることもしばしばあったという。

 これに頭を悩ませた領主の浅井久政ひさまさ・長政父子は、数カ所に井堰いぜきを造り、村々に均等に水が行き渡るようにした。その結果、村落間だけで解決し得ない「井相論」を治めることができ、浅井氏の権力は確立されていったという。

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もっこすの城 熊本築城始末

伊東潤

藤九郎、わしと一緒に日本一の城を築いてみないか――。 織田信長の家臣・木村忠範は本能寺の変後の戦いで、自らが造った安土城を枕に壮絶な討ち死にを遂げた。遺された嫡男の藤九郎は家族を養うため、肥後半国領主加藤清正のもとに仕官を願...もっと読む

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NigerTigris 文章の流れが凄い。場面がありありと浮かぶとはまさにこのこと。: 14日前 replyretweetfavorite