四
その男は河畔に置いた床几に腰を下ろし、微動だにしなかった。男の周辺には小姓や近習が控え、宿老や奉行らしき者たちの姿も見える。
強い風が河畔の木々や陣幕を揺らす。その音は耳を圧するばかりだが、男はそれを意にも介さないかのように、じっと川面を見つめているようだ。
陣羽織を着ているためか、その肩幅はやけに広く見え、背筋がピンと伸びているので、かなりの長身だと分かる。
──このお方が、加藤清正公に違いない。
男の着る黒羅紗の陣羽織の背板には、朱色で縁取られた黄金の蛇目紋が描かれている。その意匠は大胆だが繊細で、細部まで計算し尽くされた美意識が宿っているように感じられる。
「そなたらは、ここに控えておれ」
飯田角兵衛の指示に従い、三人はその場にとどまった。
「ご無礼仕る」と言いつつ清正の傍らまで行った角兵衛が、耳元で何事か耳打ちする。
それをうなずくこともなく聞いていた清正が、床几に座したまま体を半身にし、藤九郎たちの方を見た。
藤九郎のいる位置からは片目しか見えないが、その眼光は狼のように鋭い。
その時、角兵衛の鋭い叫び声が聞こえた。
「頭が高い!」
驚いた三人が慌ててその場に平伏する。むろん顔を上げられないので、清正とおぼしき男の顔を拝むことはできない。
衣擦れの音がすると、足音が近づいてきた。
藤九郎が河畔の砂利に額を擦り付ける。
「よくぞ、参った」
顔は見えなくても、その醸し出す迫力に、藤九郎は気圧された。
「はっ、ははあ」
「わしが──」
男の声は低くかすれている。おそらく戦場で大声を張り上げすぎて、喉を痛めているのだ。
「加藤主計頭である」
清正は朝廷から主計頭という官職をもらっていた。
主計頭とは、律令制での主計寮、現在で言えば財務省主計局の長官のことだ。つまり秀吉は、清正の理財の才を早くから見抜いていたのだ。
「面を上げい」
おそるおそる顔を上げると、身の丈六尺(約一・八メートル)にも及ぶ男が、三人を見下ろしていた。
顔は少し面長で、鼻は高く、目は切れ長で、その顎の線には喩えようもない威厳が漂っている。しかもその瞳からは、慈愛に満ちた光が発せられていた。
これまで藤九郎が見てきた大身の武将、貴人、高僧らは、誰もが気品に溢れ、立ち居振る舞いも堂々としていた。清正も例外ではない。
藤九郎は清正のすべてに圧倒されていた。
「そなたは何に感心している」
突然、清正に問われた藤九郎は、清正の顔に見入っていたことに気づいた。
「わしの顔が、それほど気になるか」
「あっ、いえ、はい」
「鬼のような面をしていると思っていたのだろう」
その言葉に家臣たちが沸く。
だが清正はすぐに顔の話に関心をなくし、本題に入った。
「ここに来る前に、この辺りを見てきたか」
「はい」
清正の陣所に来る前、三人は田原山という眺めのいい場所から菊池川を見下ろし、飯田角兵衛から、周辺の地形についての説明を受けていた。
「まずは、そなたらの産(出身地)と名を聞きたい」
「はっ」と言うや、二人が立て続けに名乗った。
一人は甲斐国出身の源内という四十絡みの男で、いま一人は近江国出身の佐之助という三十五前後の男だ。
続いて藤九郎が名乗ると、清正が「そなたは随分と若いな」と呟いた。
「は、はい。数えで二十歳になります」
「そうか。若かろうと励めば報われる。それが当家だ」
「はっ、ははあ」
この時、藤九郎は加藤家に仕官して心からよかったと思った。
「あれを見よ」
清正が、手にしていた大ぶりな鉄扇を川に向かって掲げる。
「この川から水が溢れれば、肥後平野は水浸しになる。こうしたことが、これまで五年に一度は起こっていたという。そのたびに農民は困窮して流民となり、餓えて死ぬ者も多く出た。それゆえわしは、この菊池川の溢れ水を治めたいのだ」
菊池川は、阿蘇外輪山北西部を水源とした肥後国屈指の大河川だ。同国北西部の菊池平野(玉名平野)に流れ出た後、その流路を西北に取り、有明海に注いでおり、幹線流路の総延長は七十一キロメートルにも及ぶ。
肥後国には北から菊池川、白川、緑川、球磨川という四大河川が、九州山地を水源として西流し、有明海へと流れ込んでいる。こうした大河川には分流や支流がおびただしくあり、水量が安定している時は豊かな水資源となるが、ひとたび溢れ水になると、広大な平野が水浸しになってしまう。
つまり肥後国の統治を成功させるには、水との戦いに勝たねばならないのだ。
「われらはこの肥沃な大地を守り、農民たちが安んじて農事に励めるようにせねばならぬ。それが成れば一揆は起こらず、関白殿下(秀吉)の御恩に報いられる」
関白殿下という言葉を口にした後、清正は瞑目し、東方を見て軽く頭を下げた。それほど秀吉の恩に感謝しているのだ。
清正の声が熱を帯びる。
「わしが第一に取り組むべきは治水、第二は街道整備、第三は商いの振興だ」
──このお方は並の大名ではない。
佐々成政がそうだったように、常の大名は入国すると、検地を行って収入を確定するなり、自らの住み処となる豪壮な城を造る。だが清正は、国衆や農民が最も喜ぶことから始めようとしているのだ。
「治水により沃野を生み出し、百姓たちを富ませる。続いて四方に延びる街道を整え、物の流れをよくする。そして城下町を作り、各地から商人を呼び寄せる。さすれば肥後国は富み、一揆など起こらなくなる」
「仰せの通り!」
角兵衛が同意する。そこにいた宿老らしき者たちも、口々に賛意を表す。
むろん宿老といっても、清正と同世代の若者たちだ。
「そなたらは、治水や普請を専らにしていると聞いた」
「はっ、ははあ」
三人が畏まる。
「まずは、そなたらが携わってきたことを聞かせてほしい。それから、そなたらの中で最も適任と思われる者を差配役に命じる」
差配役といえば、現場の奉行(総指揮官)も同然だ。
藤九郎が啞然としていると、「では、それがしから」と言いつつ、源内が持論を述べ始めた。
「それがしは普請方として、甲斐国の武田家に仕えておりました。かつて甲府盆地は溢れ水がひどく、実りの悪い地でした。それを防がんとした信玄公は──」
源内によると甲府盆地は、笛吹・釜無川・御勅使川の三つの川が作り出した扇状地にある。これらの扇状地に流れ込む川水は豪雨のたびに流路を変え、溢れ水を頻発させていた。
それでも笛吹川と釜無川は川幅も広く緩やかに南流しているため、よほどのことがない限り、持ちこたえることができた。問題は御勅使川で、西部の山間から平野へと急流を成して流れ込んでくるため、雨が少し続いただけで甲府盆地西部を水浸しにした。
「それゆえ、われらは河川の流勢を弱めつつ、巧みに流路を変え、いくつにもなった流れを堤で支え、釜無川に導き入れるという方法を編み出しました」
清正は小姓に床几を持ってこさせると、それに腰掛け、興味津々といった顔つきで源内の話に聞き入っている。
「流路を変えるには、石積出しを使います。これは巨大な石を積み上げて水勢を削ぎ、流れを導きたい方角に向けます。さらに川を分かつために将棋頭を造ります」
「将棋頭とな」
「はい。その先端部が将棋の駒の頭のような形をしているため、そう呼ばれています」
「つまり石積みと将棋頭を駆使するのだな」
「そうです。自然にできた砂洲を石積みによって固め、将棋頭で激流を分散させます」
清正が力強くうなずく。
「かくして統御された流れを受け止め、その力を減殺させるべく、御勅使川の流路を付け替え、高岩に導きます」
「高岩とな」
「はい。高岩とは、釜無川左岸にある高さ二十間余(約三十七メートル)の断崖のことです。そこに流路を向けさせ、水流をぶつけることで反流を起こし、流れの力を衰えさせるのです」
「そうか。反流を作り出すのか。さすが信玄公だ。よく考えておるな」
「はっ、仰せの通り、信玄公は深慮遠謀の大将でした」
源内が遠い目をする。懸命に働いていた若き日々を思い起こしているに違いない。
「その信玄公の大事業を、そなたは差配していたのだな」
「残念ながら、それがしは若輩者でしたので、多くの組頭のうちの一人でした」
「いかにもな。だが事業全体を見渡すように分かっているのは、見事なものだ」
「はっ、ありがたきお言葉」
──とても敵わん。
治水に関する源内の知識は相当のものだった。
続いて佐之助が発言する。
「それがしは近江国の浅井家家臣として、主に灌漑に携わってきました」
佐之助によると、琵琶湖に注ぐ河川は八百八川と謳われるほど多く、しかも山地と琵琶湖が近接している。そのため、それぞれの川の長さは極めて短い上に流路の傾斜が急で、大雨となればすぐに水が溢れ出し、その逆に、雨が数日降らないだけで水がなくなる川もあるという。
そのため「井相論」と呼ばれる村落間の水争いが激しく、上流と下流の村が鋤や鍬を手にしてぶつかり合い、死人や怪我人が出ることもしばしばあったという。
これに頭を悩ませた領主の浅井久政・長政父子は、数カ所に井堰を造り、村々に均等に水が行き渡るようにした。その結果、村落間だけで解決し得ない「井相論」を治めることができ、浅井氏の権力は確立されていったという。
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