昔、あるお寺に、六歳の男の子がもらわれてきました。男の子の家は貧乏で子だくさん。全員養う余裕がなかったんです。お寺が下働きの小僧さんとして子どもをもらうことも、珍しくない時代でした。
昔のお坊さんは妻を持ちませんでしたから、お寺に一人暮らしをしている和尚さんは、家族と縁がない年取った男の人。だから、子どもの扱い方がわからない。男の子が言うことを聞かなければ殴ったり叩いたり。悪気はなかったのかもしれませんが、なにせ自分で志願して弟子入りしたわけでもありません。それはそれは怖かっただろうと思います。
男の子は毎日夕暮れ時になると、お寺の外にあるお地蔵さんに抱きついて泣いていたそうです。想像してみてください。たった六歳で、まだまだ親が恋しい年頃。毎日がつらくて、家に帰ろうにも帰り道すらわからない。そりゃ泣くしかありませんよね。
あるとき、和尚さんがきつねうどんを注文しました。うどん屋さんがチリンチリンと自転車で運んでくるわけです。男の子が門前で受け取り、和尚さんのところまで運ぶのですが、うどんは当時としては贅沢(ぜいたく)品。もちろん男の子のぶんはありません。
食べ盛りの子どもですから、湯気を立てている丼があれば、食べたくてたまらない。どうしても我慢できず、つい油揚げの端っこをかじってわからないように和尚さんに渡すのですが、当然バレてまた折檻(せっかん)。お地蔵さんのところで泣くわけです。
そんな男の子の様子を知ってか知らずか、実家の両親は、ときどきお寺に手紙を寄こしました。郵便屋さんから受け取って和尚さんに渡すのは男の子の役目ですが、中身を読むことは許されない。でもね、だんだん知恵がついてきた男の子は、「郵便屋さんに渡せば自分の手紙がお父さんやお母さんに届く!」と学ぶんです。
ある日、男の子はこっそりと手紙を書き、和尚さんの目を盗んで、なんとかポストに入れることに成功します。書いてあるのは、「帰りたい、迎えにきて」。そしてひたすら、お父さんお母さんからの返事を待ちました。数日後、男の子のもとに手紙が来ました。「やった!」と喜んだのは束の間、それは自分が書いた手紙でした。親から来た手紙の宛先を一所懸命書き写したので、お寺の住所に戻ってきてしまった。このときも、こっぴどく叱られたそうです。
そんな日々を過ごすうちに何年か経ち、ある年のお盆のこと。お寺にとっては一番忙しい時期で、もうずいぶん役に立つようになっていた男の子は朝から晩までよく働きました。そしてようやくお盆が終わったとき、和尚さんが「おまえあてだよ」と、一通の電報を差し出したのです。
「チチ、キトク、スグカエレ」とある電報を。日付を見ると、数日前。「一番忙しいお盆に、貴重な働き手に帰られちゃ困る」と思った和尚さんは、お盆が終わるまで電報を男の子に見せなかったんですね。むごい話です。男の子は、親の死に目にすら会えませんでした。
時が流れ、男の子は大人になりましたが、親から来た手紙をそれはそれは大切にしていました。きれいに伸ばした手紙を衝立(ついたて)に貼り付け、毎日それを見て慰(なぐさ)めにしていました。そうやって親を思い続けていた彼の姿を、私は今でも想像してみるのです。
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