心の傷を抱えている人のお話を、私はたくさんうかがってきました。「生きていても仕方がない」 「この世は醜(みにく)いことばかりだ」 そう苦しむ人に、私は『中部(ちゅうぶ)経典』という経典に登場する「一夜賢者(いちやけんじゃ)の偈(げ)」を紹介することにしています。
過去は追うな。未来を願うな。過去はすでに捨てられ、未来はまだ来ない。 だから、ただ現在のことをありのままに観察し、動揺することなく、よく理解して、実践せよ。ただ今日すべきことを熱心になせ。 明日、死のあることを誰が知ろうか。かの死神の大軍と会わないわけはない。このように考えて、熱心に昼夜おこたることなく励む人、このような人を一夜賢者といい、寂静者(じゃくじょうしゃ)、寂黙者(じゃくもくしゃ)と人はいう。(辻本敬順訳『阿弥陀経のことばたち』)
仏教では、起きてしまった過去や、まだ起こっていない未来のことを考え、妄想をふくらませることを厳しく戒めています。 今日、なすべきことをなせ。 それが二五〇〇年前にお釈迦様がおっしゃったことであり、はるかな時を超えて語り継がれてきた仏教の根本なのです 。
つらい過去にとらわれている人は、「今」という現実を生きておらず、「過去」という頭の中に記憶されている妄想を生きています。 将来が不安だとか、先行きが見えないと心配する人は、「今」という現実を生きておらず、「未来」という頭の中でつくった妄想を生きています。 私たちが動かせるのは、「今」この自分、この肉体だけなのにもかかわらず……。 過去の苦しみは、今この瞬間に起きていることではなく、過ぎ去ってしまった記憶に過ぎません。それなのに「今」を「過去」によって奪われている。「過去」に「今」を台無しにされているのです。
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