ジョージ・ワシントンは誰もが知るアメリカの初代大統領だが、多くの黒人奴隷を抱えた農園主でもあった。アメリカの初期の大統領は報酬がそれほど高くないため、自腹を切る者も少なくなかった。そのため、退任後に破産に追い込まれた者もいたが、「事業家」でもあったワシントンにカネの心配は無縁だった。
ワシントンが何をしたかを具体的に知らなくても、サクラの木の話は耳にしたことがあるだろう。ワシントンが子どもの頃、斧の切れ味を試そうとサクラの木を切ってしまう。父親は大事に育てていた木の無残な姿を前に、「この木を切ったのは誰だ」とワシントンに尋ねる。うそをつくことができないワシントンが自分がやりましたと打ち明けると、父親は正直な申し出に感激し誇りに感じたという有名なエピソードだ。
知っている人も多いかもしれないが、この逸話は事実ではない。つくり話である。
サクラの木の逸話は、ワシントンの死後、パーソン・ウィームズという作家が書いたワシントンの評伝の中で紹介されている。興味深いのは初版にはこの記述はなかったことだ。ベストセラーになり、版を重ねると、5版の時に突如としてこの逸話が登場する。
当時、アメリカは国として船出したばかりで、英雄が必要だった。独立戦争の立役者で初代大統領になったワシントンはまさに国民的英雄にうってつけの存在であった。
ワシントンの偉業となれば少しばかりのねつ造も問われなかったのだろう。
正義感が強い偉大な政治家をわかりやすく描くために、この本には「そんなことありえないだろ」的なエピソードも盛り込まれている。例えば、ワシントンが対岸が見えないような川の向こう岸に石を軽々投げたとか、ライフル銃で17回撃たれたが、倒されなかったとか、ドナルド・トランプ大統領ですらドン引きするようなトンデモな逸話が満載だ。
つくり話のサクラの木の逸話も、さらに進化していく。先に挙げた本とは別の本では、サクラの木を切り倒したのは黒人の少年で、彼が切り倒したと申し出たらムチ打ちの刑にされると懸念したワシントンが身代わりになる。神様、仏様、ワシントン様の世界である。
こうした評伝の力もあり、ワシントンは「建国の父」として人気が高い偉人のひとりだ。歴代の合衆国大横領の格付け調査でもエイブラハム・リンカーンやフランクリン・ルーズベルトなどと上位を常に争っている。