天皇の即位と諸妃
安康三年十一月十三日、ワカタケルは、泊瀬(はつせ)の朝倉※1に宮を定め、天皇の位に即(つ)きました。第二十一代雄略天皇です。
平群臣マトリ(真鳥)※2を大臣(おおおみ)※3とし、大伴連(おおとものむらじ)ムロヤ(室屋)、物部連(もののべのむらじ)メ(目)を大連(おおむらじ)にしました。
雄略元年三月三日、草香のハタビ(幡梭姫皇女)※4を立てて、皇后としました。またの名をタチバナヒメ(橘姫)といいます。
この月に、三人の妃を立てました。
初めの妃は、葛城のツブラ(円大臣)の娘で、カラヒメ(韓媛)※5です。シラカ(白髪武広国押稚日本根子天皇)※6とワカタラシヒメ(稚足姫皇女)を生みました。この姫は、またの名をタクハタヒメ(栲幡姫皇女)といい、斎宮※7として、伊勢神宮の内宮(ないくう)※8に仕えました。
次の妃は、吉備上道臣(きびのかみつみちのおみ)※9の娘でワカヒメ(稚媛)といい、二人の皇子を生みました。兄がイワキ(磐城皇子)、弟がホシカワ(星川稚宮皇子)です。