三島が『潮騒』の成功と引き換えにあえて書かなかったことについて

光文社新書noteの大好評を博した、早稲田大学・森川友義教授の連載が光文社新書として発売になりました。この書籍化を記念して、cakesでも全文公開します! 8作目は、今年没後50年後を迎える三島由紀夫の代表作『潮騒』。恋愛学の知見からは整合性のとれない恋愛描写だらけのこの作品、実は三島に意図があったのではないかということについて考えます。『潮騒』編、完結です!

(前回からのつづき)

③初江が新治を好きになった理由も不明

第三の疑問として、新治がなぜ初江を好きになったのかが不明なのと同様に、初江がなぜ新治を好きになったのかもよくわかりません。

恋愛は視覚から入りますので、まずは新治の見かけについて三島がどのように描写しているか知っておきましょう。まだ十八である。背丈は高く、体つきも立派で、顔立ちの稚なさだけがその年齢に適っている。これ以上日焼けしようのない肌と、この島の人たちの特色をなす形のよい鼻と、ひびわれた唇を持っている。黒目がちな目はよく澄んでいたが、それは海を職場とする者の海からの賜物で、決して知的な澄み方ではなかった。彼の学校における成績はひどくわるかったのである。(同、8頁)

肉体的な美しさに秀でた若者であることがわかります。高身長で、筋肉質で、色黒で、鼻筋が通っていることもわかります。野性的なたくましさを感じさせる描写です。

ただし、知性には優れません。中学校もやっと出られたくらいで、成績もひどいものでし た。「すこしも物を考えない少年」であり、「想像力が欠けて」もいました。さらに「無口」でもあります。

社会的な条件もよくありません。彼自身が船を所有しているわけではなく、他人の船に雇われて働く身で、非常に少ない年収が推察されます。農水省の統計によれば、現在の漁業従事者の平均年収は350万円程度ですから、それをかなり下回ることでしょう。漁船を所有する宮田家の初江とは社会的条件の面でバランスがとれないのです。

初江が二度目に新治に出会うのは、観的哨で道に迷ったときです。その際に何か特別なことがあったわけではありませんが、新治は「自分とここで出会ったこと」を他言しないでく れと頼み、初江は「言わない」と約束したので、二人の間に「秘密の共有」ができたことになります。「秘密の共有」には、精神的な距離を縮める効果がありますので、初江に新治を意識させる、つまり恋愛感情を醸成させるきっかけになったことは間違いありません。

次に新治と会話をするのは、新治が給料袋を落としてしまい、それを初江が偶然拾って届けるタイミングです。そのとき、新治は初江と川本安夫が結婚するといううわさを確かめますが、初江は大笑いして否定します。胸を押さえながら笑い転げる初江に対し、新治は「無事か(大丈夫か)」と初江の胸に手を当てるのです。

問題はこの場面です。初江は、たった3回会っただけの同世代の男性に急に胸を触られても拒否をしません。拒否しないどころか、「押えててもろたら、少し楽や」といって新治からの接触を受け入れているのです。さらに、二人は顔を近づけてキスをします。

ちょっと待った、と言いたくなります。初江は3回会ったにすぎない新治に胸を触らせ、続けてキスまでしてしまうのです。

いったい、初江にそうまでさせたものは何なのでしょうか? 作中の描写では「秘密の共有」以外に理由は見つかりませんでした。第4章で「五感と恋愛」について述べましたが、恋愛は視覚的な審査を経て、聴覚、嗅覚、触覚に続き、キスに関わる味覚に移行します。ところが、初江と新治のこの恋愛には段階がなく、いきなり乳房を触らせ、いきなりキスに至るのです。「浮気市場」ならば恋愛が進展する速さに納得がいきますが、「恋愛市場」の観点からは、手順を踏んでいない分、不自然の感が否めません。

三島は、初江が処女であり新治も童貞であるからと言いたいのでしょうか。どんなに恋愛経験に乏しくても、恋愛の手順というのはそれなりに理解しているものです。誰に教えられなくても、人間であるならば、ホモサピエンスが誕生したとされる約20万年前からずっと自然に行なってきたことなのです。

のちの描写に新治が「あんなことがどうしてできたかふしぎである」と苦悩する場面がありますが、小説中で「ふしぎ」などと開き直られては、わたしたち読者はたまったものでは ありません。不思議を言葉で表現するのが小説というものなのですから。


④初江の行動が性的に大胆すぎる

『潮騒』の中では、初江の年齢が特定されていません。16歳くらいであろうか、と推測する学者もいます。大学生の千代子を恋の敵役として登場させていますので、おそらく16~18歳くらいでしょう。先述のとおり、男性経験がなく、処女であるという設定です。

第四に問題なのは、こんな女性が性的にたいへん大胆なのです。『潮騒』の中でもっとも有名な場面は、雨の日の観的哨で二人が落ち合うくだりでしょうが、繰り返しますと、待ち合わせ場所に先に到着した新治は居眠りしてしまい、後からやって来た初江は、ずぶ濡れの衣服を焚火で乾かします(好きな女性とのデート前に居眠りしてしまうというのも現実的ではありません)。やがて新治は眠りから覚め、下着姿の初江を見つめます。初江は「目をあいちゃいかんぜ!」と言いますが、新治は目を閉じません。初江は後ずさりして、二人は炎をへだて向かい合います。この場面は次のような会話が交わされます。(地の文は省略し、《》は 引用者による補足)

《新治》「なんだって逃げるんじゃ」

《初江》「だって、恥かしいもの」

《新治》「どうしたら、恥かしくなくなるのやろ」

《初江》「汝も裸になれ、そしたら恥かしくなくなるだろ」

《新治》(ふんどしだけになった後に)「もう恥かしくないやろ」

《初江》「ううん」

《新治》「なぜや」

《初江》「まんだ汝は裸になっとらんもの」

《新治》「汝がそれをとったら、俺もとる」 (同、77~78頁)

このような会話ののち、二人は全裸になります。性体験がまったくない男女に、このような大胆な言動が成立するものでしょうか?

常識では考えられません。どこが不自然かといえば、初江の大胆さです。新治の方は理解できます。性的な関係をもちたいと願うことは男性の性行動としては当然だからです。ところが初江は過去に肉体関係を一度ももったことがない少女なのです。通常は、性経験がないなら、保守的に行動するのがわたしたちに組み込まれた遺伝子の行動規範です。しかし三島は初江に逆の行動をとらせているのです。あたかも性経験のない女性でも、情熱にかられて 性的に大胆なことをする場合もあるのだと言いたいかのように。

初江は下着姿になるだけでは満足しません。新治にも脱げと言い、お互いに全裸になります。ここからも不自然さはさらに続きます。新治が「初江!」と叫んで初江の方に近寄ろうとすると、その前に初江は「その火を飛び越して来い。その火を飛び越してきたら」と言うのです。恥ずかしそうに無言で立ちつくしていたならわかります。この場面で、どうしてそんな危険な行為を新治を求めなければならないのか。せっかく二人が裸になって、肉体関係を結ぼうというときに、です。

この描写を「浄化する火をくぐらせる」清めの儀式だったと解釈する文芸評論もあるようですが、非現実的な行為であることに変わりはありません。小説は現実との整合性がなければ、おとぎ話で終わってしまいます。

不自然な描写はさらに続きます。結婚前に肉体関係にはなりたくないという初江に対し、新治は実直にそれを受け入れます。当時の恋愛事情としては納得のいくことではありますが、そのかわりに二人は長い間キスをするのです。ここで三島は次のように 書きます。

永い接吻は、充たされない若者を苦しめたが、ある瞬間から、この苦痛がふしぎな幸福感に転化したのである。

キスが幸福感に転換し、それだけで満足するでしょうか。通常はありえません。長い間キスをしたら、新治の性器は勃起して、次のステップである性行為を望むものです。キスとは性行為への準備の確認作業です。幸福感に包まれることもあるでしょうが、それ以上に性欲が勝ってしまうのが男性の肉体的な構造になっているものなのです。

このシーンにおける三島の描写は、通常ではありえないことだらけです。

⑤どうやって初江が処女と判断できたのか

第五は、初江が処女であるとどうやって判別したかです。三島は初江が処女であることを強調しています。一度目は、観的哨において二人が全裸になるシーンです。

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