三島由紀夫『潮騒』の、拙い恋愛描写の裏に隠された意図は何なのか?

光文社新書noteの大好評を博した、早稲田大学・森川友義教授の連載が光文社新書として発売になりました。この書籍化を記念して、cakesでも全文公開します! 8作目は、今年没後50年後を迎える三島由紀夫の代表作『潮騒』。森川先生が読解するにあたっていちばん引っかかった作品なのですが、それにはちゃんと理由があり…。『潮騒』編、スタート!

これまで恋愛学の知見を総動員して文豪たちの小説を分析してきましたが、前章までの7つの作品は、少なくとも恋愛学で「割り切る」ことができました。経済学を援用した「機会コストの損失」「恋愛均衡説」といった考え、「恋愛市場」「結婚市場」「浮気市場」の市場原理に基づく分析、進化生物学から考える「五感と恋愛」の関係性や「処女性」の歴史的経緯、ホルモンや脳内神経物質を分析する「社会内分泌学」……。これらの観点で、深く、新しい切り口で小説を読むことが可能になったかと思います。

ところが、今回の『潮騒』は割り切れないのです。恋愛に関する知識を活用したところで、説明がつかない描写ばかりなのです。三島由紀夫は恋愛描写が下手、と一言で片づけてしまえば簡単です。しかし三島は『金閣寺』や『豊饒の海』といったすばらしい文学作品を書いた作家。とりわけ『金閣寺』は日本文学の最高傑作の1つと言っていいと思いますし、三島がこの小説で見せた心理描写は20世紀随一のものです。それが、なぜ『潮騒』では一見拙劣とも思われる恋愛描写をしたのでしょうか?

これがわたしの『潮騒』に対する最初の感想であり、出発点でした。

というわけで今回は、なぜ恋愛学で割り切れないのかを順を追って解説し、『潮騒』とはどういう小説なのかをわたしなりに考察していきます。

孤島を舞台にした二人の若者の純愛物語

主人公は18歳の久保新治と宮田初江の二人です。初江の年齢は明らかにされていません。舞台は人口1400人の、世俗から隔離された小島である「歌島」です。新治は漁師で、母と弟の三人で細々と暮らしています。

漁作業を終えて休息中の初江を目にとめたのが最初の出会いでした。「健康な肌いろはほかの女たちと変らないが、目もとが涼しく、眉は静か」な初江は、地元では見覚えのない女性であり、新治は興味をもちます。

初江の父親は宮田照吉という、歌島丸と春風丸と名づけられた2隻の漁船のオーナーであり、「村でも屈指の金持」です。照吉は長男を病気で亡くして寂しさを覚え、養子に出していた初江を呼び戻したのでした。新治は初めて出会ったときから初江に心を奪われます。神社にお祈りをしたときも「いつかわたくしのような者にも、気立てのよい、美しい花嫁が授かりますように! ……たとえば宮田照吉のところへかえって来た娘のような……」と願ったくらいです。

新治が二度目に初江に会ったのは、初江が道を誤って観的哨(太平洋戦争中に海軍が築いた監視場所で、廃墟)に迷い込んだときでした。しかし村中のうわさになるといけないので、新治は偶然会ったことは黙っておいてくれと初江にお願いします。

新治はますます初江のことが気にかかり、青年会の支部長・川本安夫(19歳)が初江の入り婿になるといううわさを聞いて、心中穏やかではありません。安夫は村の有力者の子弟で、青年会を仕切るリーダーシップを備えている男でした。

そんな中、新治は給料袋を道に落としてしまいます。それを拾ってくれたのが初江でした。これが三度目の出会いです。新治は安夫が入り婿になるうわさは本当なのかたずねますが、「大うそ」であると初江は大笑いして答えます。「おお、苦し。あんまり笑うて、ここんところが苦しなった」と初江が胸をおさえて言うので、新治は大丈夫かと思わず乳房に手をやり ました。二人の顔が近くなり、「ひびわれた乾いた唇が触れ合っ」てキスをしました。

翌日、今度は初江の方が、灯台長の娘である千代子が新治のことが好きであるとのうわさを耳にして心配になります。新治は何もないと答え、二人は次の休漁の日に秘密のデートをする約束して別れました。  時化で休漁となった日、新治は待ち合わせ場所で焚火をして初江が来るのを待っていましたが、待ちくたびれてうたたねをしてしまいました。到着した初江はずぶ濡れの衣服を火で乾かそうと思い、下着以外全部脱ぎ捨てます。

そのときに新治が起きてしまいました。初江と新治は炎を隔てて向かい合い、お互い裸になります。しかし、初江は「今はいかん。私、あんたの嫁さんになることに決めたもの。嫁さんになるまで、どうしてもいかんなア」と宣言します。二人は長くキスをしますが、肉体関係にはなりませんでした。

しかし、嵐の中を家に帰る途中、石段を下りる新治と初江の姿を目撃した者がいました。ちょうど東京から帰省していた、灯台長の娘である千代子です。千代子は二人が肉体関係に なったと安夫に告げ口したため、村中に知られてしまいます。

うわさは初江の父親である宮田照吉の知るところとなります。照吉は二人の関係に反対し、会わせないことにしたため、その後のやりとりは手紙のみとなってしまいます。

春になり、海女が漁をする季節、彼女たちはふざけてお互いの乳房の見せ合いっこをしていました。そのとき初江の乳房も人目にさらされますが、「それ(初江の乳房)は決して男を知った乳房ではなく、まだやっと綻びかけたばかりで、それが一たん花をひらいたらどんなに美しかろうと思われる胸」でした。海女たちはこれで千代子と安夫によるうわさがうそであると確信します。

ある日、新治は、歌島丸の船長から恋敵の安夫とともに甲板見習いとして乗船するように言われます。1ヵ月半の漁の途中、台風に巻き込まれ、船が押し流されてしまう危機に陥ります。誰かが命懸けで船にロープをつなぐ必要がありました。新治は「俺がやります」と名乗り出るや海に飛び込み、見事に船を救います。

一方、うそのうわさを広めた罪悪感をもつ千代子は、母親に手紙を書き、新治と初江が幸せにならなければ自分は夏休みに帰省しないと訴えます。その意を汲んで千代子の母親は海女たちとともに宮田照吉のもとを訪れます。新治と初江の話をしようとすると、照吉は「その話ならもう決っとるがな。新治は初江の婿になる男や」と言います。歌島丸に安夫と新治を乗せたのは、実はどちらが見どころのある男なのかを試すためでした。照吉は続けます。「男は気力」だと。新治は「気力」をもっている男であると。二人は婚約し、成人したら正式に式を挙げることを誓って物語は終わります。

ギリシャ旅行と「ダフニスとクロエ」

『潮騒』は三島由紀夫の長編小説で、1954年に出版されました。翌年、第1回新潮社文学賞を受賞した作品であり、その後5回も映画化されています。

1951年12月から1952年5月に世界旅行をした三島は、訪問先の1つであったギリシャに魅せられ、古代ギリシャの「ダフニスとクロエ」を下敷きにした小説を書きたいと構 想します。そこで書き下ろされたのがこの『潮騒』です。三島は1925年生まれですから、まだ感受性の強い26歳前後のときに世界を旅したことになります。

日本語訳(『ダフニスとクロエー』ロンゴス著、呉茂一訳/角川文庫)を読んでみると、時代と場所は違っても、たしかに同じ純愛物語であること、恋に目覚める過程の描写などが踏襲されていることがわかります。ダフニス(山羊飼いの少年)が新治で、クロエ(羊飼いの少女)が初江に対比できますが、艱難辛 苦をのりこえて結ばれる、ハッピーエンドである点も 共通しています。

本題に入る前にもう1つ逸話を。三島は小説の舞台として古代ギリシャのイメージに合う島を探していましたが、どうやら水産庁に候補地の推薦を依頼したようです。そこでリストアップされたのが金華山沖の孤島と、伊勢湾の神島でした。三島は、気候が温暖なことに加え、パチンコ店や自動車はおろか自転車さえなかった素朴さが気に入り、神島を選んだとのことです。三島は神島に二度ほど訪問し、島の人々と交流する中で「人情は素朴で強情で、なかなかプライドが強くて、都会を軽蔑してゐるところが気に入つた」と述懐しています。

なお、「潮騒」とは「海の潮が満ちるときにできる波の音」です。このタイトルからは海をめぐる若い男女をイメージできます。また主人公の名前に「新」「初」をつけるくらいですから、三島としてはよほど初々しい純愛にこだわったということなのでしょう。

恋愛学で割り切れない描写とは何か?  

さて、このような『潮騒』ですが、読後感がどうもしっくりきません。冒頭に書いたように、恋愛学の見地からどのような解説をしようかと読んでみても、新治と初江の恋愛に関しては不自然な描写ばかりで腑に落ちないのです。自分の知識の欠如かと思い、再度詳細に読んでみたのですが、徐々にわたしの問題というより、三島の描写の問題であると思うようになりました。大作家である三島由紀夫を批評するわけですから慎重に読み込みましたが、何度読んでも『潮騒』の粗が見えてしまうのです。

そこで、今回は『潮騒』の恋愛描写をぶった斬ってしまおうと考えました。自信をもって批評します。恋愛描写に限って考察しますが、恋愛学者として『潮騒』の描写に納得がいかない点は主に5つあります。ひとつひとつ見ていきましょう。

①新治が初江を好きになった理由が不明
第一に、新治は初江に恋愛感情をいだきますが、初江のどこが気に入ったのかがはっきりしません。通常は、見かけがよいとか、優しい性格がよいとか、社会的な条件がよいとか、なんらかの理由がないと好きになりません。一目惚れのように短時間で好きになる場合もありますが、その場合でも、作者はどこが気に入ったのか描写し、読者に納得させてくれるものです。そうでないと小説の登場人物に感情移入できませんから。

ところが、新治の初江に対する恋心の描写がほとんどありません。極端に言えば「歌島で見かけない女子に出会った→突然好きになった」ということでしかないのです。

初江との最初の出会いは以下のとおりです。

額は汗ばみ、頬は燃えていた。(中略)髪をなびかせてたのしんでいるようにみえた。(中略)健康な肌いろはほかの女たちと変らないが、目もとが涼しく、眉は静かである。(中略)ただ、海に一人で見入っているその様子が、島の快活な女たちとはちがっている。(『潮騒』、9頁)

初江の見かけに関する記述はこれだけです。たったこれだけで、新治は初江に恋をしてしまうのです。これで読者はどうやって納得できるでしょうか。

一目惚れで恋することがないわけではありません。しかし、一目惚れと言いつつもそこには五感の入口である「視覚」があるわけです。視覚的な魅力について詳しい描写があって初めて、読者としては新治の恋愛感情に共感できるわけです。

初江の髪が長いことはわかります。目もとが涼しく、眉が整っていて、物腰も柔らかいこともわかります。ただし、そのような女性はこの世にたくさんいます。新治がなぜそのよう な女性を好むのか、この描写だけでは理解できません。初江の年齢も不詳ですから、どのような若さを思い浮かべてよいのかもわかりません。

それでは、そもそも歌島には恋愛対象になる女性が存在していなかったのでしょうか? 恋愛できる女性が皆無だったら初江に恋するのも理解できますが、いくら人口1400人の小さい島とはいえ、恋愛の選択肢として考えられる女性はほかにもいたはずです。

フェルミ推定して、この歌島には同年代の恋人候補の女性が何人いたかという点を明確にします。

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恋愛学で読みとく文豪の恋

森川友義

名だたる文豪たちが小説に描いた恋ははたして「アリ」なのか? 恋愛学を提唱する著者が科学的に分析し、考察する。漱石が描く片想いは納得いかないし、川端康成は処女にこだわりすぎで、 三島由紀夫は恋愛描写が下手!? 従来の文学研究にとらわ...もっと読む

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