川端康成『伊豆の踊子』に、本当に「恋愛」が存在したのかを検証する

光文社新書noteの大好評を博した、早稲田大学・森川友義教授の連載が光文社新書として発売になりました。この書籍化を記念して、cakesでも全文公開します! 7作目として、日本人初のノーベル文学賞を受賞した川端康成の『伊豆の踊子』を考察します。爽やかな恋を描いた名作として名高い『伊豆の踊子』ですが、どうにも一筋縄ではいかぬ難解さがあり…。限られた描写から、丁寧に作中の恋を分析します。

ここまで6つの小説を恋愛学の見地から考察してきたわけですが、そのどれもが夜空に舞う華麗な打ち上げ花火とも言うべき見事な作品ばかりでした。読みごたえがあり、圧倒される迫力がある。それだけに批評のしがいもありました。

ところが『伊豆の踊子』、こちらはまったく異なります。圧倒されません。迫力もありません。花火にたとえるならば、線香花火です。小さくまとまっていて、小説内に恋愛があるのかどうかさえはっきりしない、たいへんもどかしい作品です。したがって、もう一度読むことになります。すると、線香花火の美しさに気づかされ、読むたびに新しい発見もあって、とめどなく作品世界にのめり込まされる中毒性をもった小説です。

この小説は無駄を一切排除しており、さらに恐ろしいのは、必要な情報さえも排して、典型的な「説かず、描かず」の小説となっています。描写も説明もないので想像するしかないのですが、その解釈が正しいのかどうか、たいへん不安を覚えます。より深く理解するためには、川端康成の生い立ちや、作者自身による解説をあわせ読まなければならないという難解さももち合わせています。なにしろ川端自身が「『伊豆の踊子』には随所に省筆がある」と述べているくらいなのですから。

なお、この小説は川端自身の経験がつづられた「私小説」です。『伊豆の踊子』は、旧制一高(現在の東京大学教養学部)の寮生活を送っていた川端が、寮の友人には内緒で1918年(大正7年)秋に伊豆を旅した際の8日間のできごとが書かれています。その旅を『湯ヶ島での思ひ出』としてまとめたのが4年後の1922年(大正11年)。その中から「踊子」に関わる箇所だけを抽出したのがさらに4年後で、雑誌『文藝時代』に「伊豆の踊子」「続 伊豆の踊子」として発表されました。

このような「私小説」ですから、読むにあたり、川端の性格から、あのぎょろっとした目つき、大きな耳や小柄な体型までをも思い浮かべる必要があります。映画の主演を務めた若き日の高橋英樹や三浦友和からはイメージがかけ離れていますので、念のため。

恋愛未満の恋愛が描かれた小説

この短編の主人公は「私」(=川端康成、数えで20歳)です。当時は、旧制一高の学生です。「私」は学校を休んで修善寺から下田までの伊豆旅行に出かけます。「孤児根性」で自身の性格がゆがんでいると思い、その劣等感を払拭したいと願っての一人旅でした。「高等学校の 制帽をかぶり、紺飛白(こんがすり)の着物に袴をはき、学生カバンを肩にかけていた」ので、誰でも一高の学生であると身なりでわかります。

修善寺温泉に一泊、湯河原温泉に二泊して、4日目に天城の坂道に至りましたが、そのときすでに「私」の胸は高鳴っていました。なぜなら旅の途中で知り合った「旅芸人」、とくに踊り子である「薫」に会えると思ったからです。当時、旅芸人は蔑まれる存在でしたが、「私」は興味をいだきました。このときまでに二度道中で見かけていて、「私」の願いどおりに三度目は雨宿りする峠の茶屋で出会います。

旅芸人の一座は、20代の男性(栄吉)、踊子の薫(栄吉の妹で、見た目には17歳くらい)のほか、若い女性二人(栄吉の妻の千代子と雇い人の百合子)と40代の女性(千代子の母親)の五人です。「私」は声をかけたかったのですが、勇気が出ずにやり過ごします。

ところが途中、旅芸人の栄吉の方から話しかけられます。話が弾む中、「私」が「下田まで一緒に旅をしたいと思い切って言った」ところ、旅芸人一行も喜んで承知してくれました。 会話の中で、彼らが大島の出身であること、栄吉の年齢が24歳であることなどを知ります。

その夜、一行はお座敷に出ますが、「私」は「踊子の今夜が汚れる(金銭を介した売春をする)のであろうか」と妄想し悩みます。なかなか寝つけません。

翌朝、「私」は栄吉と温泉に入りますが、川の向こう岸には別の共同湯があり、その湯気の中に薫の姿を見つけます。「仄暗い湯殿の奥から、突然裸の女が走り出して来たかと思うと、脱衣場の突鼻(とつぱな) に川岸へ飛び下りそうな恰好で立ち、両手を一ぱいに伸して何か叫んでいる。手拭もない真裸」でした。このことで、薫がまだ子どもかつ処女であることを悟り、 「私」の疑念は晴れて「微笑がいつまでもとまらなかった」のでした。

翌日、湯ヶ野で落ち合う約束をしていたので、旅芸人の一行が泊まる宿に行きます。そこで、「私」は薫と五目並べをして遊びます。

旅芸人たちと時間を過ごす中で、「私」は一行に親しみをいだき、ゆがんだ心が癒されていきます。薫は「私」の足元にしゃがんで埃を払ってくれたり、玄関に先回りしていて下駄を揃えてくれたり、「私」のことを「いい人ね」と言ったりしてくれます。

翌日、「私」は下田に着くと、旅費が残り少なくなっていることから、学校の都合があるとして旅芸人たちと別れる決意をしました。その日、薫が映画に連れていってほしいと願ったのですが、一座のおかあさん的存在である「四十女」こと千代子の母が許してくれずに、「私」は一人で映画を観る羽目になります。宿に帰って夜の下田を眺めていると、「私」は 「絶えず微かに太鼓の音が聞えて来るような気がし」て、「わけもなく涙がぽたぽた落ち」てくるのでした。

翌朝は出立の日。栄吉が見送りにきてくれました。ほかの一行はまだ寝ているとのことですが、乗船場に近づくと薫の姿が見えます。「海際にうずくまっている踊子の姿が私の胸に飛び込んだ。傍に行くまで彼女はじっとしていた。黙って頭を下げた。昨夜のままの化粧が私を一層感情的にした」のでした。

別れのときです。「私」は薫に話しかけますが、薫はうなずくばかりです。船が出ると、「ずっと遠ざかってから踊子が白いものを振り始め」ました。「私」は「頭が空っぽで時間というものを感じなかった。涙がぽろぽろカバンに流れ」るほどの寂しさを感じます。

その後、船の中で出会った受験生に親切にされるのですが、「私はどんなに親切にされて も、それをたいへん自然に受け入れられるような美しい空虚な気持」になっていました。

「説かず、描かず」の世界を読みとく

『伊豆の踊子』は、「説かず、描かず」の極致のような作品であるので、すべての語句が意味を成していて、無駄はまったく見あたりません。しかし、じっくり詳細に読まないと、作者の意図がわかりません。というより、しっかり読んだとしてもよくわかりません。そもそも前述したような補足資料がないと、十分に理解されないことを承知で書いているふしもあ ります。それほど、とくに事件も起きず、物語は淡々と静かに流れているのです。

まずは「私」の伊豆旅行の日程をしっかり把握するために、日にち、場所、大まかな出来事を図7-1として一覧表にしました。

大まかな流れはこの図のとおりですが、基本的に説明をしない小説ですので、行間に隠された主題がいくつかあります。これからそのテーマを考察してゆきますが、このような「説かず、描かず」の世界で、わたしたち読者はどこまで解釈していいのでしょうか?

川端が自分の経験を描写した私小説なので、作家が経験したものを同じように感じることが「正解」なのでしょうか? 省略の多い『伊豆の踊子』ではなかなか難しいと言えます。いずれにしても旅先での薫との出会いが小説中の大きな出来事なので、まず、そもそも「私」がなぜ旅に出たかを考えなければなりません。

「私」はなぜ伊豆旅行をしたのか

作中では、育った環境のせいで「私」の性格が孤児根性でゆがんでいて、その劣等感を払拭したいがために一人旅をしたと描かれています。本当でしょうか?

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恋愛学で読みとく文豪の恋

森川友義

名だたる文豪たちが小説に描いた恋ははたして「アリ」なのか? 恋愛学を提唱する著者が科学的に分析し、考察する。漱石が描く片想いは納得いかないし、川端康成は処女にこだわりすぎで、 三島由紀夫は恋愛描写が下手!? 従来の文学研究にとらわ...もっと読む

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