サクちゃんへ
こんにちは。
サクちゃんの前回の日記を読んで、居ても立ってもいられなくなり、スーパーへぶどうを買いに行きました。確かに果物って贅沢品ですよね。特にぶどうや桃(ともに大好物)は高価で、どうも買うのを躊躇してしまいます。
でも思い切って買ったぶどう、すごくおいしかった。残りは冷蔵庫にしまって、明日の朝の楽しみにしようと思います。
サクちゃんの「自己満足」は、好きなものを食べることなんですね。
昔は食べることが苦痛だったのが楽しみに変わったと聞き、わたしも嬉しいです。そう言えば、初めてお茶したとき一緒にプリン食べましたね。あれ、もしかしてその日以来、わたしたち会っていないのでは?
ここでたくさん話しているので、いっぱい会っているような気がしていたけれど、実はちゃんと会ったのって数回なんですね。またプリン食べに行きたいです。
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わたしも、昔は食べることが苦痛でした。
というより、「食べる」ことは大好きだったはずなのに、「食べる」ことを自分に許さなくなったことがあったんです。
これは前にも少し書きましたが、高校生の頃にちょっと無理めなダイエットをしたことがあります。炭水化物を食べないという食事制限です。
食欲盛りの年ごろで運動部に所属もしていたので、そんな中で炭水化物を食べないのはかなり大変なことでした。カレーライスとかうどんとか菓子パンとか、大好きでしたから。
でもどうしても痩せたくて、ストイックに制限を続けました。結果半年で7キロくらい痩せたのかな? 目標体重はクリアしたものの、また体重が増えるのがこわくて、引き続き炭水化物はあまり食べずにいました。大学生になってからもそれは続いていたので、多分5年くらい続けたんじゃないでしょうか。
でも、今考えれば、もともとそんなに太っていたわけではないように思います。
それなのに痩せようと思ったのは、痩せればきれいになると信じ込んでいたからです。
なぜなら普段わたしが目にする、雑誌やテレビに出ているいわゆる「きれいな人」は、みんな痩せていたから。だから、きれいになるには痩せないといけないのだと思い込んでいました。
「きれいな人」のサンプルの傾向が、極端に偏っていたのだと思います。世の中には太っているからこそきれいな人や、筋肉質だからこそきれいな人ももいるはずなのに、そちらを知らず目が行くことがありませんでした。知らないということは、選択肢が狭いということです。わたしは「痩せる」という選択肢しか知らなかったんですね。
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この間、こんな話を聞きました。
「課題を解決すると、そこに経済が生まれる」
たとえば、自分でご飯を作るのが難しい人にお弁当を届ければ、そこで経済活動が生まれます。だから「課題」は悪いものではなく経済の「可能性」なのだ、という話でした。
なるほど、とてもポジティブな言葉だな、と思うと同時に、こんなことを考えました。
「もしかしたらわたしは、無意識のうちに『課題』を植えつけられている、ということもあるのかもしれない」
さきほどのダイエットの話がまさにそうです。
「痩せるべきだ」という課題を無意識のうちに植えつけられ、それを改善するためにダイエット本を買ったり、サプリを買ったり、ジムに通ったりする。課題を解決するための行動が、そのまま消費活動に繋がります。
それが本当に自分が解決したい「課題」ならいいのですが、誰かの利益のためにこしらえられ、思い込まされた「課題」であるということも、十分にありえるなと思ったのです。
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