岩崎さん、私も賭場に全額賭けましょう」|三軍暴骨(二) 1

豪腕作家として知られる伊東潤が描く、大隈重信の成長譚!
早稲田大学の創始者で、内閣総理大臣を2度務めた大隈重信という男は
どのような人物だったのか?
幕末の佐賀藩に生まれ、
明治期に藩閥政治から立憲・政党政治への道筋を切り拓いた男の思想と生涯とは。
青年期から最晩年まで、
「走る人」「闘う人」「創る人」「聞く人」として駆け抜けた、
令和版大隈像をお楽しみください。


 —久しぶりだな。

 大隈が引田屋の暖簾をくぐった。明治元年以来なので七年ぶりになる。

 顔なじみの下足番も随分と老人になっていた。

「藤花はいるかい」

「ああ、馴染みにしていた女ですね。年季が明けたので故郷に帰ると言っていました。その後のことは知りません」

「そうか。ありがとう」

 大隈は、それ以上詮索するつもりはなかった。藤花が年季明けとなり、この店から堂々と出ていったことが分かれば、それでよかった。

 店の番頭や主人が次々と現れ、「お懐かしゅうございます」「ご活躍は聞いております」などと追従を述べてくる。

 やがて部屋に通され、久しぶりに紅灯の瞬きを眺めながら一人で酒を飲んでいると、満面に笑みを浮かべて、岩崎が入ってきた。

「お待たせしました。港から直行してきました」

「この度は、ご足労いただき、ありがとうございます」

「政府の高官のお呼び出しだ。何を措いても駆けつけねばなりません」

 岩崎が肥満した腹を揺すって笑う。

「それにしても、ここは懐かしいですね」

 岩崎が室内を見回しつつ言う。

「われらは、ここで初めて会いましたからね」

「そうでした。あの時は威勢のいいのが飛び込んできたので驚きました。危うく殴り合いになるところでしたな」

 しばしの間、二人は昔話に花を咲かせた。

 話が途切れがちになったところで、大隈が本題に入った。

「相変わらず、お盛んなようですな」

「事業ですか。まあ、やるとなったら負けられません」

 勝ち負けの相手が、帝国郵便蒸気船会社を指しているのは間違いない。

「さすが岩崎さんです。何事もそつがない」

「われわれのような民間は、そつがあったらおしまいですからね」

「なるほど、商売の世界は政治の世界よりも厳しいようですね」

 岩崎の盃に大隈が酒を注ぐと、岩崎がずばりと聞いてきた。

「私を呼んだということは、台湾出兵の輸送船が相当足りないのですね」

「ご明察」

「つまり岩橋萬造に断られたということですな」

「面目ない」

 大隈は苦笑するしかない。

「萬造は長州閥だ。井上さんに続き、木戸さんまで下野したことで、政府に対して反感を持っている。だが商人にとって、そんなことはくだらないことです。長州閥がしぼんだら薩摩閥でも佐賀閥でも乗り換えればいいものを」

 —それができない者もいるのだ。

 岩橋萬造は長州閥への義理立てと己の感情に負け、岩崎に逆転の機会を与えてしまったのだ。

「それで大隈さんは、船がなくて困っているというわけですね」

「その通りです。それで何隻くらい貸してもらえますか」

「すべて出しましょう」

 大隈が息をのむ。

「この岩崎弥太郎、賭場に入ってちびちび賭けたことはありません。賭場に入れば勝負は一度きりです」

「しかし現行の契約があるでしょう」

 もちろん国内外を問わず、少量の荷でも厭わない三菱に輸送を委託している顧客は多い。

「それらは米英の会社に回します。実は、その指示を番頭らに出してから、こちらに飛んできたんです」

 —やはり岩崎は賢い。

 大隈は頭の下がる思いだった。

「貴社は全部で何隻お持ちですか」

「大小取り混ぜて二十隻ほどです」

「一つお願いなのですが、政府の十三隻の運用も引き受けていただけませんか」

 船団を組むことになるので当然の依頼だった。

「引き受けましょう」

 それで話はついた。後は請負費用などだが、それには相場もあるので、事務方に任せられる。

「それで大隈さん、こっちも勝負を掛けたんだ。見返りをいただきますよ」

「見返り—」

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威風堂々 幕末佐賀風雲録

伊東潤

豪腕作家として知られる伊東潤が描く、大隈重信の成長譚! 早稲田大学の創始者で、内閣総理大臣を2度務めた大隈重信という男はどのような人物だったのか? 幕末の佐賀藩に生まれ、明治期に藩閥政治から立憲・政党政治への道筋を切り拓いた男の思想と...もっと読む

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