一
明治六年の政変で下野した西郷の後を追うように鹿児島県に帰った近衛兵や邏卒(後の警察官)六百余は、明治七年(一八七四)六月、私学校なるものを作り、不穏な動きを見せつつあった。
鹿児島県は独自路線を主張し、次第に政府の言うことも聞かなくなってきた。
そのため大隈は、大久保が佐賀戦争に掛かりきりになっている間、東京に残った薩摩系の西郷従道(陸軍少将兼陸軍大輔)や寺島宗則(参議兼外務卿)らと手を組み、台湾出兵計画を進めていた。すなわち全国の不平士族を集めて台湾に送り込み、国内から不穏な動きを除去しようというのだ。
三条や岩倉もこれに賛同し、大隈を台湾蕃地事務局長官という事務方のトップに就けた。
もちろん大隈には勝算がある。
前年、清国政府が台湾を「化外の地」として関心を払わないという言質を、副島が取っており、清国との戦争にはならないと踏んでいたからだ。しかも台湾の生蕃は刀槍を主武器としているため、戦わずして制圧することもできる。
だが意気揚々と長崎に赴任した大隈の前に、またしても難題が横たわっていた。
「何だと。船がないだと!」
大隈が細い目を見開くと、西郷従道がその太い眉を寄せて困った顔をした。
「今朝方、東京から電報が届き、米英両公使が局外中立の立場から、艦船の使用拒否を告げてきたようです」
「それはおかしい。イギリスのペニンシュラ・アンド・オリエンタル社とも、アメリカのパシフィック・メイル社とも、すでに契約は済んでいる。ここに契約書もある」
大隈が鞄の中から契約書を取り出し、従道に示す。
「私にそれを見せられても困りますよ。現に船は来ていないんですから」
「パークスめ。民間企業に圧力を掛けたのだな」
この時の英国公使は大隈もおなじみのハリー・パークスで、米国公使はジョン・A・ビンガムだ。ビンガムは昨年赴任したばかりなので、パークスが二社に圧力を掛けたのは間違いない。
「すぐに東京に戻り、パークスらを説得する」
「ちょっと待って下さい」
立ち上がろうとする大隈を従道が制した。
「そんな時間的余裕はありません。三千もの不平士族が長崎に集まっているのですぞ。連中は昼から長崎の町を練り歩き、町衆との間に諍いも頻発しています。夜ともなれば丸山の遊廓に繰り出して大騒ぎです。彼奴らを抑えることなど、もうできません」
従道が外国人のような「お手上げ」というポーズをする。
日本軍と言っても、この時の台湾派遣軍は、不平士族たちを募って長崎に連れてきただけなので、軍隊としての体を成しておらず、歯止めが利かなくなっていた。
「今、長崎に入っている輸送船はあるのか」
「三、四隻ならあります」
「どこの船だ」
「米国船籍のものです」
「よし、買い上げよう」
「米国政府から局外中立という方針が出ているんですから、売ってはくれないでしょう」
「いや、どさくさに紛れて買ってしまう。相場の二倍、いや三倍出すと言えば、船主も売る気になるだろう」
従道が「あきれた」という顔をする。
「それでうるさい連中をさっさと台湾に送り込めますが、兵を送るということは補給が必要になります。とても船の数が足りません」
「では、どうする」
「長崎航路を持つ国内の会社は、帝国郵便蒸気船会社しかありません。その船をチャーターできればよいのですが」
——岩橋萬造か。そいつはうまくない。
日本帝国郵便蒸気船会社の社長を務める岩橋は元長州藩士で、木戸や井上の後ろ盾で会社を立ち上げ、政府から優遇措置まで受けていた。だが木戸は台湾出兵に反対なので、協力を取り付けるのは困難と思われ、今回も声を掛けないでいた。
——そうなれば岩崎弥太郎に頼むしかないか。
だが岩崎弥太郎の三菱汽船会社は、これまで長州閥によって政府の仕事から遠ざけられており、民間中心の輸送業を営んでいる。その航路も東京・大阪間だけで、扱い量も小さい。
「とにかく船は何とかする。だから威勢のいい連中を集めておいてくれ。そいつらをまず船に乗せて台湾に送る」
「分かりました。でも威勢のいい連中を送った後、船がなくて補給ができないでは困りますよ」
従道が釘を刺してきた。
「分かっている。何とかする」
「何とかできなかったら、どうしますか」
いつもは呑気な印象の従道が、どすの利いた声で問う。
「何が言いたい」
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