痴人の愛』の読解から、恋愛関係を規定する2つの化学物質に迫る

光文社新書noteの大好評を博した、早稲田大学・森川友義教授の連載が光文社新書として発売になりました。この書籍化を記念して、cakesでも全文公開します! 第14回からは、3回にわたって文豪・谷崎潤一郎の代表作『痴人の愛』を考察します。この名作を考えるうえで有力な視点とは何か。斬新な切り口で作品の本質に迫った前回に続き、今回は人間の相性に作用を及ぼす2つの化学物質について考えます。

(前回からのつづき)

社会内分泌学的アプローチ

社会内分泌学(Social Endocrinology)とは、恋愛学の新しい分野で、人間の体内にあるホルモンや神経伝達物質の多寡と人間の行動を観察することで法則性を見つけ出そうとする学 問です。

ホルモンとは身体の働きを調整する化学物質で、甲腺や生殖腺といった内分泌腺で生産されます。また神経伝達物質はシナプス(神経と神経のつなぎ目)で情報伝達を介在する物質であり、わたしたちの体内にこれらはスプーン小さじ一杯に満たないくらいのほんの少量しか存在しませんが、行動に大きな影響を与えているものです。

恋愛や結婚も人間の行動なので、社会内分泌学からの分析が可能です。とくに『痴人の愛』は、性格や心理描写が非常に細部にわたっているので、河合とナオミにホルモンや神経伝達物質がどの程度あって、どのように影響を与えるかについて十分に知ることができます。

人間関係、とくに恋愛の場面において、私たち人間の性格を規定するもっとも重要なものは、2つの化学物質に集約させることができます。その2つとは、

・男性ホルモンであるテストステロン

・脳内神経伝達物質であるドーパミン

です。各々詳しく解説していきます。

性格を「男らしく」するテストステロン

まずは、テストステロンからです。テストステロンは男性ホルモンの一種で、わたしたちの第二次性徴に大きく関わっています。声変わりをもたらしたり、筋肉質で丈夫な骨格をつくったり、男性の場合は精子をつくる機能にも影響を及ぼします。

性格的には、人はテストステロンが多いと「男らしく」なります。具体的には、

・合理的な思考

・独立心や自立心

・自信家(ただし自信過剰のきらいも)

・リーダーシップに優れ、堂々としている

・集中力がある

・空間認知能力や音楽的素養に優れる

・闘争本能が豊富で、負けず嫌い

・一人でいたい、干渉されたくないという孤独願望が強い

といった特徴があります。

一方でこのような男性は、同時に短所を併せもちますが、その特徴としては、

・暴力的

・性欲が強く浮気性

・夫婦間の協力が不得手で、家庭内不和を起こしやすい

といった点が挙げられます。

他方、テストステロンが少ないと、反対に「優しい」性格になります。特筆すべき点とし
ては、

・争いごとが嫌い

・微笑みを絶やさない

・家族やチームで協調を旨とする

・浮気しないマイホームパパになる

といった長所があります。ただし、短所としては、

・優柔不断

・頼りがいがない

・リーダーシップに欠ける

・会社で昇進しない、もしくは昇進に興味がない

といった点が顕著です。

テストステロンは男性ホルモンですが、女性の体内にも微量ながら存在して、だいたい男子の10数分の1程度あります。総量は少ないですが、女性の身体は繊細につくられているので、少量であっても影響が大きくなります。

女性の場合もテストステロンが多いと、男っぽい性格をもち合わせることになります。たとえば、元気のいい負けず嫌いの女性。これはテストステロンが作用した結果です。また男性特有の合理的思考になったり、1つのことに集中する能力があったり、方向感覚や音楽的素養が優れたりします。性関係では、男性と同じようにセックスを好む傾向になります(社会内分泌学の研究では、「おてんば」な女性ほど、過去に性交した人数や回数が多いとされる)。また、テストステロンが多い人は独立心や自立心が強くなるため、男性と衝突しがちとなり、性対象としての男性に興味はありつつも、精神的な距離感で悩む傾向も見られます。

その反対に、テストステロンが少ない場合には、女性らしさをつくりだすエストロゲンの特徴が色濃く発現します。エストロゲンが多い女性はふくよかな唇をしていますし、胸やヒップの脂肪分も豊かです。またエストロゲンは若さや皮膚のみずみずしさにも作用しますので、年齢よりも若々しく見えます。性格的には合理的思考より情緒的になりがちで、浮気はせずに一人の男性を深く愛する傾向があります。

テストステロンの多寡は、性格ばかりでなく見かけにも表れるので、外見によってどのくらいテストステロンが多いか少ないかがある程度わかるものです。

たとえばテストステロンの多い男性だと、いわゆる男っぽい顔立ちで、骨格はがっしり、あごが大きく、中年になるとはげになりやすく、胸毛が多いという特徴があります。

また、内分泌学者は、テストステロンは右手の薬指と人さし指の長さの比率を見れば、ある程度わかるとしています。右手の人さし指と薬指にテストステロンの多寡が発現しているとする研究は多くあり、それによると、人さし指と比較して薬指の方が長い人ほどテストステロン値が高いことが統計的に見られるとのことです。

なお、ここまでテストステロンが「多い」「少ない」と二元化して書いていますが、実際には狂暴なほど多い人から虫も殺さないくらい少ない人までが存在するわけで、テストステロンの多寡は一直線上になっているとご理解ください(後述するドーパミンも同)。「多い」「少ない」とはあくまで比較の問題であり、わたしたちはそれぞれその線上のどこかに位置しているということです。

このようなテストステロンですが、人間関係に大きく影響を与えるため、性格的な相性がわかります。テストステロンが多い同士が良いとか悪いとか一概に断定することはできませんが、どのような関係になるかはだいたい推測できるのです。

図6-1は夫婦関係を例にとり、男女のテストステロンの多寡に応じて分類したものです。

①のように、両者ともにテストステロンが多いと、自己主張が強い負けず嫌い同士なので、個性がぶつかって反発し合い、ケンカも生じやすくなります。ただし上手に妥協することができれば、一緒にいて楽しく、セックスの相性も良好です。男女ともに合理性を志向するので、お互いが何を考え、何を欲しているか理解し合えるという利点もあります。

他方、④のように両者ともにテストステロンが少ないと、たいへん物静かなカップルということになります。ケンカのような争いごとが少なく、性格的な相性は良好です。ただし、お互いものごとを合理的に決めるのが苦手なので、何か問題が生じたときの迅速な対応が難しいといった欠点があります。

②と③のように、一方が多かったり少なかったりという偏りがある場合には、どちらかがリードする関係性になります。②の場合は、男性のテストステロンが多く、女性のそれが少ないので、圧倒的に男性がリードする夫婦関係になり、俗に言う「亭主関白」になる可能性が大です。家庭内の決定権は夫にあり、妻は従順です。昭和の家庭像をイメージしてもらえるとしっくりくるかもしれませんが、夫の家庭内暴力や不倫も生じやすい関係ではあります。

③の場合は②の逆で、いわゆる「かかあ天下」の関係です。家庭内の決定権は妻がもち、給料は妻の管理下におかれ、夫は少額のお小遣いをもらってやりくりします。③とは逆に、妻の不倫や家庭内暴力も起きる可能性があります。

基本的には、人間関係はこうした4つの関係に属することになりますが、どちらかがこの関係に不満をいだくと、恋愛では別れることになり、結婚では別居、さらには離婚という手順を踏んで関係が解消されることになります。

ドーパミンが多いと情熱的な恋をする

恋愛や結婚においてもう1つ重要なのが、神経伝達物質であるドーパミンです。斬新性、冒険性を規定するものであり、人は恋愛をするとドーパミンがどっと出ます。恋愛バブルが生じているとドキドキして心地よさを覚えますが、その気持ちの高ぶりはドーパミンによるもの。また、好きな相手に告白してOKされたときは最高の気分になるものですが、そのときこそドーパミンが最高潮に出ている瞬間です。

米国ラトガー大学のヘレン・フィッシャーによると、ドーパミンは「危険をかえりみない傾向、衝動性、旺盛なエネルギー、好奇心、創造性、楽観主義、情熱、精神的な柔軟性」を決める物質となります。

端的に言えば、ドーパミンが多いとアウトドア派になり、少ないとインドア派になります。スポーツやバンジージャンプなどのアクティビティに挑戦するアウトドア派に対し、読書や 音楽鑑賞を好むインドア派と分類するとわかりやすいでしょうか。

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森川友義

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